7月1日のブラタモリで放映された「木曽三川〜暴れ川vs.人間 激闘の歴史とは?〜」の中で、岐阜県海津市の行基寺が紹介され、タモリさんが山寺の庭で隆起した海底の痕跡を見て、このお寺いいね〜を連発して絶賛されていました。行基寺は2017年6月に撮影しブログでも紹介したものですが、放映されたのを機に木曽三川公園 (2017年7月撮影)と一緒に編成して再掲載いたします。
行基寺(ぎょうきじ)は天平の初め頃、行基菩薩が美濃・尾張・伊勢三国の守護霊場山として菩提院を建立されたのが始まりです。元禄年間尾張藩第二代藩主徳川光友公の次男松平義行公(徳川家康の曾孫)が美濃高須藩の藩主として封ぜられるにあたり、当山を松平家の菩提寺として境内及び全伽藍を城郭に見立てて改築し、宝永二年(1705)に再建しました。その後明治維新に至る160年間は、一般庶民の登山参拝は禁止されていました。(行基寺沿革より)
行基寺
庫裏にある月見の間からは広大な濃尾平野が一望できます。
駐車場に建つ常夜灯は平成15年に再建されたものです。
駐車場から山門に続く道です。城としての役割も果たしていただけに、
高い石垣と塀に囲まれています。
山門です。
山門を潜るととシナノキの大木が
花をいっぱいつけて芳香を放っていました。
緑山和尚が作庭された、
濃尾平野を借景とした池泉回遊式庭園に向かう廊下です。
廊下に映る障子などの影がとっても綺麗です。
各書院からは濃尾平野はもとより、南は知多半島、
北アルプス連峰を眺めることができます。
残念ながらこの日は北アルプス連峰は見えませんでした。
名古屋駅周辺のビル郡が見えます。
眼下を流れるのは揖斐川です。
寺自体が急な斜面に建てられているので
視界を遮るものがありません。絶景です。
藩主の間です。
108個からなる飛び石が周りを取り囲んでいます。
苔庭の奥には岩肌を伝わって落ちる滝があります。
滝水を利用した「ししおどし (添水)」です。
絶妙な間合いで響く音が静けさを強調します。
菩提院 (本堂) です。
木曽三川公園
水と緑の館・展望タワー
岐阜県海津市の木曽三川公園には「水と緑の館・展望タワー」があり、
高さ65mの展望タワーからは、 眼下に広がる木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の
雄大な流れと輪中地帯独特の水郷景観が360度一望できます。
水と緑の館・展望タワーからの眺望
展望タワーから見た長良川大橋です。
左:長良川 右:揖斐川
木曽川
輪中の農家
展望タワーから見た輪中の農家です。
輪中の農家
明治の中頃生活した、比較的豊かな農家だということです。
治水神社
江戸時代の中頃、徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む
濃尾平野西南部の住民を救うため、薩摩藩にお手伝い
普請を命じました。薩摩藩士らは、経験したことのない
水の流れに苦しみながら、この地方の住民のため、
多大の犠牲を払い、万難を排して工事を見事完成させました。
(治水神社 御由緒)
薩摩義士之像
行基寺(ぎょうきじ)は天平の初め頃、行基菩薩が美濃・尾張・伊勢三国の守護霊場山として菩提院を建立されたのが始まりです。元禄年間尾張藩第二代藩主徳川光友公の次男松平義行公(徳川家康の曾孫)が美濃高須藩の藩主として封ぜられるにあたり、当山を松平家の菩提寺として境内及び全伽藍を城郭に見立てて改築し、宝永二年(1705)に再建しました。その後明治維新に至る160年間は、一般庶民の登山参拝は禁止されていました。(行基寺沿革より)
行基寺
庫裏にある月見の間からは広大な濃尾平野が一望できます。
駐車場に建つ常夜灯は平成15年に再建されたものです。
駐車場から山門に続く道です。城としての役割も果たしていただけに、
高い石垣と塀に囲まれています。
山門です。
山門を潜るととシナノキの大木が
花をいっぱいつけて芳香を放っていました。
緑山和尚が作庭された、
濃尾平野を借景とした池泉回遊式庭園に向かう廊下です。
廊下に映る障子などの影がとっても綺麗です。
各書院からは濃尾平野はもとより、南は知多半島、
北アルプス連峰を眺めることができます。
残念ながらこの日は北アルプス連峰は見えませんでした。
名古屋駅周辺のビル郡が見えます。
眼下を流れるのは揖斐川です。
寺自体が急な斜面に建てられているので
視界を遮るものがありません。絶景です。
藩主の間です。
108個からなる飛び石が周りを取り囲んでいます。
苔庭の奥には岩肌を伝わって落ちる滝があります。
滝水を利用した「ししおどし (添水)」です。
絶妙な間合いで響く音が静けさを強調します。
菩提院 (本堂) です。
木曽三川公園
水と緑の館・展望タワー
岐阜県海津市の木曽三川公園には「水と緑の館・展望タワー」があり、
高さ65mの展望タワーからは、 眼下に広がる木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の
雄大な流れと輪中地帯独特の水郷景観が360度一望できます。
水と緑の館・展望タワーからの眺望
展望タワーから見た長良川大橋です。
左:長良川 右:揖斐川
木曽川
輪中の農家
展望タワーから見た輪中の農家です。
輪中の農家
明治の中頃生活した、比較的豊かな農家だということです。
治水神社
江戸時代の中頃、徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む
濃尾平野西南部の住民を救うため、薩摩藩にお手伝い
普請を命じました。薩摩藩士らは、経験したことのない
水の流れに苦しみながら、この地方の住民のため、
多大の犠牲を払い、万難を排して工事を見事完成させました。
(治水神社 御由緒)
薩摩義士之像
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