中高年からの永易流紀州釣りを極める?「いけしゅ」のクロダイな日記(仮)

合唱,Win95,Webページ,MIDI,PC自作を経て黒鯛の紀州釣りで団子団酒田支部を名乗る男の放談(訳ワカラン)

チャールズ・R・ジェンキンス氏の「告白」を読む

2006年01月16日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
先週末,曽我ひとみさんの夫であるチャールズ・R・ジェンキンス氏原作の「告白」というドラマが放映され,タイミングの関係で今週末に録画したDVDで観た。
そして,嫁とともに大泣きしてしまった(不覚というより毎度!?)

直後に「原作を読みたい」と話したところ,嫁はもちろん,大学生の長男も「読みたいと思った」とのこと。
速攻で本屋に行くが売り切れ...2軒目も3軒目も売り切れだった。
そして「ココになければネットで注文しよう」と思ってのぞいた4軒目..やっと発見,もちろん購入した。

さて,彼が曽我さんとともにインドネシア経由で「帰国」する頃,国家犯罪の被害者たる曽我さん本人に国税を使うのは良いとして,自身の判断で北に渡った米国人であるジェンキンス氏に国税を使うのは如何か,と問題になっていた。
(警備を担当したのは新潟県警だったようだが...)
私も「原則的には」その通りであると思う。

が,現実的に,経過した月日を取り返すのが困難なのと同様,私たちが何とかしたいと思っていた曽我さん自身も,既に娘ではなく,もちろろん夫と二人の娘がおり,本人のみが日本に戻ったとしても「原状復帰」となることはあり得ない。
とすれば,次善の策としてジェンキンス氏や娘たちを含めて,過度でない範囲で面倒を見るしかない,というオトナの対応になったのはやむを得ないことだと思う。

やっと内容の話になるが,少なくともジェンキンス氏が「自身の判断で北に渡ったのだから,いろいろと問題があったとして,あくまで自己責任」と簡単に片付けるには,余りに過酷な約40年間だったようだ。
曽我さんと出会い,家族となり,二人の娘に恵まれていなかったら,日本の刑務所が天国に思えるくらいでなかっただろうか。

密告社会(魔女狩り?)の中に飛び込み,同じ思いをしている筈の同国(米国)人からですら,簡単に裏切られてしまうような日々。
せっかく慣れたと思えば,簡単に転居を迫られる生活。
そんな中でも,適応し,知恵を使い生き延びる毎日。
必死に生きた結果として,さらには曽我さんという伴侶と暮らしてきた結果として,日本という「自由世界の国に戻れた」彼は,本心から幸福というものを感じているようだ。

得られるはずがないと思っていた「自由」を再びつかんだだけでなく,30日という短期間の服役を終え,祖国にも渡り,母親とも再会できた(しかし,母親はアルツハイマーを患っていたが)

60代の彼は,曽我さんが看護助手?として働く時間帯には,畑を耕し,運転免許を取得し,そして今回の「手記」も書き...失われた時間を取り戻そうとしながら,自分なりに社会に世話をかけない生活を志向して生き始めている。

私は,たまたま拉致被害者の皆さんとは,かなり近い世代だ(曽我さんより上で,蓮池氏より下)
そして「告白」させてもらえれば,タラップから降りてきたジェンキンス氏の迷いを完全に払拭させるように,TVカメラをものともせずに熱く抱擁してみせた曽我さんの大ファンだ(感動できる事実として,あれだけ素晴らしい場面は,滅多にあるものではない,と思う)
私は,寡黙で,誰よりも家族思いの彼女に,エールを送ってきた。

たぶん,ジェンキンス氏は,あのタラップを降りる直前までは迷いもあったろうと思うが,曽我さんの熱烈な行為を受けて,たぶん吹っ切れただろう。
北に戻るべきか,日本に行き裁判を受けるべきか,等々について...

家族と再会さえできれば,という一途な思いが全てを解決し,日本政府はもちろん,北の関係者すらも納得させてしまったのだろう。

私は,これからも彼らにエールを送り続けるつもりだし,何より曽我さんの幸福を継続させるためにも,ジェンキンスしにも不断の努力を続け,長生きしてもらいたいものだ。

うーん,行ってみたいぜ佐渡!もちろん釣りもしたい(失礼しました)

(注)ドラマで曽我さんを演じた桜井幸子さんの演技も,予想したより良かったです。感動しました。
無論,曽我さんのあの雰囲気が出ていました(主観)

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