塩飽二郎さんに会った。その後、近所の焼鳥屋でごちそうになる。
32年生まれというのだから、もう75歳を過ぎているがお元気だ。
翻訳本に次の様なモノがある。
「ガット農業交渉50年史-起源からウルグアイ・ラウンドまで」や
「通商戦士 下-米通商代表部(USTR)の世界戦略」、
「食の安全を守る規制と貿易-これからのグローバル・フード・システム」
翻訳本からして純粋国際畑かと思っていたら、あにはからんや、水田利用再編事業時(78年)の群馬県の農政部長や、構造改善局事業課長をしていたというから、こての国内派でもある。
森整治さんの次の次の畜産振興事業団理事長だという。
ともあれ、焼鳥屋での話はUR時のウラはなし。
当時塩飽さんに仕えたのが、今や民主党衆議員の篠原先生、次いで亡くなってしまったが自民党の永岡先生、そしてかの山下一仁先生。
興味ある話がいくつか。
93年12月15日妥結後、23日に帰国したら、すでに農水省はMA米は国内農業に影響を与えないという世論を形成していた。交渉では、国内農業に大きなダメージがあるからと防戦、拒否に躍起となっていたのに、である。
日本は何かマジックを使ったのか?と交渉当事者はもとより世界から怪訝に思われてしまった、という。
また、MA米は日本では法制をからめて、100%対応しなければ、、とやってしまっていた。これは交渉だから、対応の仕方はいろいろあったはずなのに、、と残念がっていた。
この2点は、すでに篠原民主党大先生が明らかにしてるので、さして新しいモノでもないが、残りの二つは、韓国のMA米(1から4%、10年)の関係での我が国政官界の対応や、アメリカの対応のはなし。さらに我が国の特例措置が現実味をおび始めたきっかけに関する話、またUSDAとUSTRの違い等々。
これはまた後日書こうとは思うが、、。
いくつかUR時の興味深い話を伺った。
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