雑誌の発売より早いが、昆社長大丈夫でしょうか?
●亡国のWO交渉
高関税と生産調整で米価を維持することが日本農政の主要テーマとなっている。
我が国の農業や農民を守るため、が大義名分だ。
しかし、我が国のWTO対応はディメリットが多い不可解な政策である。
問題なのはコメなどの高額関税維持対応だ。
高額関税化は多くの犠牲を強いる政策だ。
多くの国は、その犠牲を最小限に押さえようとするが、日本は逆で、関税割当を増やしてでも高関税維持を狙おうとしている。
世界が東に向かっているとき、日本だけが西に向かおうとしているのだから交渉にならない。
今回も関税割当(MA米)をさらに40万トン以上増やす交渉を政府は選択した。
おそらく決裂後、交渉が再開することがあるとしても、我が国の対応にかわりないだろう。
高額関税を維持して輸入量を増やす政策は、国内農業の縮小・輸入拡大を見越した政策選択であり、まちがった選択である。
これは私達が主張する国内農業強化、海外競争力の強化とは全く逆の政策である。
●整合性を欠くWTO交渉
MA米だが、財政的に見れば、120万トンの援助用に、過去2600億円の財政支出をした経緯がある。
単年度会計では、1000億円の財政支出が必要と推測される。
悪名高い生産調整の予算が1700億円、農水省予算が2兆6千億だから、MA米のためにかなりの財政支出が行われている。
現在のMA米は77万トン、キロ146円のコメといわれている。
食用には充当しないことになっているので(実際には使われているが)、使途の大半以上はキロ30―40円程度のエサ米などになるといわれている。差額は100円ぐらいか?
在庫も多いが、たとえ全て販売して財政に繰りいれたとしても、847億円の財政支出が必要になる(100円×77万トン)。これに保管料がかかる。これで約1千億円の財政支出が必要になると推測される。
政府はこの数字をもっと開示すべきだろう。
過去において、財務省は、05年には総額650億円の財政支出が必要だと報告している。それはキロ63円で輸入し14円で売却したとし、それに170億円の保管料と会わせた額というのだが、輸入価格はそれ以降高騰しているし、今回のWTO交渉ではこの数量が1,5倍に増える可能性があったのだ。
昨年500億円の予算をつけ、鳴り物入りで10万ha(約52万トン)のコメ生産縮小を図ったが、逆に重要品目維持という名目に隠れて、44万トンのコメを多額の予算措置で日本に入れるという整合性のない政策が進行していたのである。
こうした亡国の交渉は決裂して良かったのだ。
●コメの高関税は国も農家も守らない
ところが、この政策、高額関税を維持し日本の農家を守るためと主張しているのだから、ますますわからなくなる。
第一日本のコメは高額関税ではけっして守られない。
世界の潮流は、関税を下げることで一致している。
その上で守るべきは自国の農産物市場だし自国の農家だ。
前者は先に述べた関税割当を最小限にすることによって、また後者は直接支払制度で下がった分の農家所得を補填することによって実現しようと言うのが世界の共通認識だ。その方が消費者のためにもなるし農家の努力目標も明確になり、一生懸命努力している農家の保護になる。
何よりMA米増加などという代償も付かない。
高額関税はその逆となる。
農家にとっては直接支払いでも米価維持でも本来どちらでも良いはずだが、いやむしろ直接支払いの方がいいのだが、なぜ米価維持、高額関税だけに農家は拘泥するのだろうか?
そこにはどうしても米価維持でなければならない人がいるからではないか。
●言い訳につきあわされる農業
そうした人々が政府と一緒になって間違ったメッセージを与え続け、農家がそれを農業を発展させる道と思いこまされてきた。
またお客や市場を嫌悪してきた戦後農政のDNAもある。
戦後の農民は「単なる耕作者」だった。作れば政府が買ってくれる。
特に関心があるのは、いくらで買ってくれるかその価格ぐらいだ。農民のできることといったら、せいぜい価格をおねだりすることと低コストを図るための増収や規模拡大の努力しかなくなる。
しかし80年代以降、価格も規模も増収も、農民への回答はゼロ回答が続くこととなる。
そこで、農水省の高官の口癖は、「どんなに努力しても、USAやEUに規模ではかなわない。まともな競争はできない。そこで関税を維持するためにしっかり交渉し、また米価を維持するために、しっかり生産調整を維持しなければならない」となってくる。
しかしこうした考えが農業を成長させることはない。
なぜならそれは単に戦後農政の破綻を示しているだけで、言い訳にすぎないからだ。
必要なのは言い訳ではなく、日本農業を成長産業にするための戦略的施策展開だ。
日本の農政が如何に農業の成長を考えられない基盤の上に成り立っているかがわかった今こそ、こうしたマインドコントロールを解き農業を発展させる好機だと私は思う。
●農業を成長産業に
改めて言おう。日本農業が衰退したのは、政府高官の言うように、けっして規模が小さいからでない。
農業には経営がなかった。顧客志向がなかった。農業のビジネスモデルがなかった。
だから農業は衰退したのだ。
農業を成立させるには、自分のお客を確保すればそれだけでいいはずだ。
これは農業に限らない。地域の家族経営全般に言えることだ。
自分が生活できるぐらいのお客をしっかりつかまえた農家は家族経営でも充分にやっていける。
直接支払い制度と併用すれば、海外の農産物と競争しても、品質やブランドで充分対応可能である。場合によっては、高関税などなくても価格競争にも勝つことができる。
戦後作られた農政のDNAのために、お客さんを知らない農家が多すぎて右往左往しているだけなのだ。まずは、自分の家族が食える農業を考え、さらに拡大しようと考えたときにはじめて規模拡大を考えればいい。お客もいないのに規模拡大だけ進めようとする農業は、国際競争力に勝てないばかりか、国内ですら破綻が待っている。
また日本にアメリカのような規模の農場がないかと言えばそれもそんなことはない。農水高官がどんなに努力してもかなわないというが、アメリカの規模に匹敵する農業経営は既に我が国のあちこちにある。基本を押さえれば、農業は成長産業にすらなりうるのだ。
●新たなビジネスモデルの必要性
そのためには農業産業のビジネスモデルが必要だ。
戦後は農協を中心にそのモデルが作られてきた。60年代ピークを迎えたものの、70・80年代から崩壊しはじめた。時代が変わったのだ。「成熟社会、個の時代」を迎えた農協はそのモデルをイメージできない状況にある。
一部の農協や個々の農家、さらには、新規参入企業などが新しいモデルを作り始めている。課題は、それがなかなか広まらないことだ。その背景には農業者の人材の枯渇がある。
農業の人材は、農家であろうとそうでなかろうと、広く国民に開放されなければならない。
国民的に開放されてはじめて農業は成長産業やら輸出産業になる。
その際の観点も顧客志向であるべきだ。
産業の重要なコンセプトは、どんな場合も顧客や市場の創造である。
ビジネスチャンスを求めて世界に打って出ようとするのも新たな市場を求めるからだ。
その市場、政府が会議の場で850万トンが良いとか820万トンが良いなどと需要量を議論すること自体おかしいのだ。
そのおかしい発想に基づき、それを現場に強制する行動がさらに農業をおかしくする。
本来ものづくりは現場の力が最も大事なはずだ。
そう考える人々が戦前の日本の農村には数多くいた。地主や酒屋もそうだった。酒屋は地元の農家が作ったものを原料に酒を造って地元の人に還元する。循環型の農業があった。酒屋や地主は金融業もやっていた。多様な業を営んでおり、農業はけっして特殊な産業ではなかった。
各地にそれぞれの農業を発展させる知恵があり、農業の「仕組み」を作り上げていた。
農業の生産性を上げ付加価値を高めるためのある種のビジネスモデルがその土地・土地にあったのだ。
今必要なのは、そうした農業のビジネスモデルを構築しやすい環境を作ることだ。
そのためには、農政は現場に近い地方政府にまかせた方がいいのではないかと思う。
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昆吉則
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