一人あたりGDPが18位に低落したのを奇禍として経済成長に政策転換する風でもない。
政府が成長戦略を打ち出したのは06年のこと。それが1年もたたない内に反故にされそう。
漂流は誰も国体の舵を取らないからだ。
政治の争点は「年金問題」に相違ない。
個々人が全くの個人として自分の社会の中での立ち位置を確認しようとすれば、わが国の経済的豊かさと国民としての自らを支えてくれるであろう社会保障がきっちり機能していることが頼りだ。
その経済成長がままならず、かつ社会保障も尻抜けでその補修するままならないとすれば、国家の体をなさなくなる。
さすれば、「ねじれ国会」などと、何も決まらないことを嘆いて、それがあたかも漂流の原因であるかのように語られてはいるがそれが問題とは思われない。表出する政局は「ねじれ」どころか、ともに格差是正、地方への配慮を競い合っている状態でベクトル方向は皆一緒のバラマキ。ねじれどころか、大政翼賛的なポピュリズムの世界。メディアも格差をあおり国全体が小泉改革の陰の部分を治せと集中豪雨的カスケードとなっている。
新自由主義が後景に追いやられたのはともかく、そうなればなったでそれに代わる思想は何なのか?
政治の争点が「年金」にあると言ったのは、個の時代の最も重要な国家としてのセーフティネットだからだが、それだけでなく、年金問題で明らかになったのが日本の統治システムの欠陥だったと考えるからである。
官僚が責任を取らない仕組み、官僚が政治家を操る仕組み、官僚の所作へのチェック機構が機能しないこと、これが想像以上の日本の退廃、モラルの低下をもたらしている。
政治に従順な省とそうではない省とが併存しているが、大勢は政治を値踏みしている。昭和40年代以降国士型の官僚がへり調整型の官僚になったことが、さらに官僚の立ち回りを巧妙にさせている。官の世界は、政治家と運命共同体的性癖を持ちつつ、政治に迎合しそれだけに省の面倒を見てくれる政治家との肝胆あい照らす関係を作ろうとする。しかしそれも程度問題で、基本的には日本の統治システムの基盤としての自負を持つだけに、いざとなると、政治の仕組みに牙をむく。
安倍・福田政権下で、幼稚なガバナンスを続ける政治家を目の当たりにすればするほどこの性癖は強くなる。小泉政権下で、出身省から離れて主君のために働いた官僚がいたのとは今は対照的だ。
小泉政権が評価されるのは、本音は経世会つぶしだったのか、あるいはアメリカへの迎合だったのか、動機はいろいろに解釈されてはいるものの、戦後の統治システムにメスを入れたことである。財投、特別会計、郵政、諸規制の改革、それに吉田ドクトリン依頼わが国の保守本流思想である経済成長思想によって立っていたのも保守がついていった所以である。
その点、「年金問題」は、郵政問題以上に日本の統治システムを問い、政治家がリーダーシップを発揮する新たな統治システムを問う課題であり、それをどういった政治家が成し遂げるかのテストケースである。
その意味でこれは次の総選挙の争点である。
桝添厚労相相に期待したものの、多くの国民は肩すかしにあった気がしてるだろう。福田首相の優柔不断が墓穴を掘ってしまった。
民主党の長妻議員に期待するむきもある。しかし、問題の所在は社保庁内部の自治労との関係だと言うことに国民は気付いている。民主党が生活政党としてますます社会民主主義的性格を帯びてきている中で、改革が可能とは思わなくなっている。
社会民主主義は、大きな政府を目指す。というよりも社会的な配分に重点を置いた考えだ。民主党がこれまで成長した背景には、岡田、前原氏らが、新たな統治の仕組みを創造するのではないかとの期待感によるところが大きかった。若いがしかしそれだけに因習にとらわれないと期待するイメージだ。若さが露呈してしまったところに老獪な小澤氏がでてきて、それを引き継ぐものと期待された。『日本改造論』や『自民党を割って出た』とする細川政権以来のイメージが人々の記憶の中にあるからだ。
しかし、参議院選挙での民主党のマニュフェストや11月上旬の大連立騒動を見ると、小澤氏は、結局田中派以来の『政局の人』でしかなかった。参議院選挙前の、民主党農政は何かの間違いではないのか、と思い続けてきたし、政権を執ったらこうは言わないのではないか、政権を執るまでの、、、と私は思っていた。しかし、間違いだったようだ。本気になって社民路線を歩んでるようだ。だからそうした人をリーダー持つ党に社保庁改革を期待できるかとなれば、いささか疑問と感じざるを得なくなる。
自民党は、これまた流動化が激しい。
この政党は良きにつけ悪しきにつけ、政権を維持する手法を良く知っている。逆に言えば、そのためなら何でもする政党だ。選挙に負けそうだとなると、様々な考えが頭を持ち上げる。
リベラルという単語がその内容の不確定性から、説明力を失ってしまった今、明らかに後退したのは保守主義であり、形勢不利となったのが新自由主義である。自民党の中の成長路線改革派、上げ潮派もじっと様子を見ている。
その間隙を縫って自民党にも民主党にも社会民主主義がはびこっている。あるいはケインジアンかも知れない。そうした流れの中に「大連立構想」もあったのだろう。これは社会民主主義路線の大連立である。
わが国は危機的状況に直面している。
11年のプライマリーバランスの黒字化はどこかへ消えてしまった。「やはり政府は金を使え」の流れが強くなってきた。そのためには増税だ、と安易?な増税論が幅を利かせるようになった。
この増税論議、経済の工夫を全く度外視した、何もしなければ、こうなる、、だから増税といったような内容。今になってわかったことは、この増税論議は、大連立を正当化するためのお膳立てだったこと。
やはり福田政権も社会民主主義的な修正路線なのだろう。
効率的な国家を作るには、①官僚システムを含めた政官の改革を行い、新たな統治システムを作り、②経済成長を促すあらゆる政策に本腰を入れ、イノベーションを喚起し、、③後は防衛・外交での日本のスタンスを明確にすること、、だと私は思っている。やっかいなのは、国連とアメリカの間に距離が出てきたことだ。
しかし国内的には、経済成長と、文化力、さらには社会保障の制度改革。その根底に国家の統治機構の再編問題がある。
国家の統治システムの改革をポジティブに考える政党が必要なのだ。
テロ特措法はどこかに行ってしまった様に当面の課題は年金問題への処理をテストケースとした国家統治システムの改変を大胆に提案し実行できる政党の出現だろう。
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