今日の一貫

内圃と外圃

「内圃と外圃」といってもほぼ死語に等しい。
今風にいえば、集約農業と粗放農業である。

ドイツの農業ユンカー経営の頃、この概念が登場した。
大土地所有を前提とした経営には、内圃として集約的に営まれる経営の中心となる部門があり、またその周辺には、外圃として粗放だが地力維持や輪作などで内圃と有機的関連を持った外圃が存在すること。

これはわが国の適用される際には、私的所有が成立した集約的農業の内圃と、むらなどの共同体的所有に任されている、装置や林野、柴刈り等で必要とされる里山等々、私的所有地の地力維持機能を持つ外圃という理解が一般的だった。
この日本流の理解は、もともと入り会い林野や漁業権などの所有に関する法制的な研究をする人々によって取り入れられた考え。
いまでもコモンズを考える際には、有効な概念と考えて良い。


ただ、私は、農業で収益部門を持つためには、それをサポートする粗放な収益性の低い外圃を必要していると理解した方がいいと思っている。
今風にいえば、農業経営は、経営の中心となる集約部門をもちその周辺に、土地利用型といわれる粗放農業があり、一体化して一つの経営を構成する、といったあたりか。
これ、もっとわかりやすくいえば、「耕種農業+α」、あるいは「稲作+α」といわれている形態だ。もちろんαが内圃。
もっと単純化していえば、αは内圃、稲作は外圃。
こう言ってしまうと一部の学者から反論が来るかも知れないが、、、耕種=外圃、
集約=内圃とする考えは既に許容されている。

何が言いたいかだが、稲作=外圃ということ。

もともと日本農業が園芸的な性格を持っていることから、耕種農業も(つまり大豆も稲も麦も、五穀といわれるもの)内圃だというのは分からなくもない。実際江戸期までは内圃的な進化をしてきた。日本農業がファーミングではなく、ガーデニングといわれる所以だ。

しかし明治以来というより基本的には戦後の1960年代からのわが国の農業機械化や農業技術の方向は、耕種を欧米型の粗放農業に転換し、コストダウンを図っていくことだった。つまり耕種農業の外圃化が進んだといっていい。

外圃だけで農業経営は成立すべくもない。
農業経営にとってコアとなるのは内圃。
それが複合化の呼びかけだったが、高度経済成長下の日本農業は、稲作だけで農業経営が成り立つと言って米価を上げていった。
成り立たないと分かると、兼業化や農地転用を進めた。

これで成り立つのは、広大の開墾可能地を持つ新大陸の農業だけだった。ヨーロッパでも内圃は必要。
日本でも稲作だけで農業経営は成立すべくもない。
そこでなるべく「経営」という概念を使うのを避けようとしているのが、今の農政なのかも知れない。
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