発端は、市場を前提に商売をしている農業者がすべからく農政のひずみによって苦境に直面しているためだ。
米の表示、集落営農、生産調整と、コメ・水田農業に関しては、実際農政のひづみが多すぎる。
私が考える農政の理想は、我が国に農業があることによって、多くの国民が豊さを実感できる社会を作ることである。
そのためには、誇りを持って農業に打ち込める人々が必要だと思うのだが、そう思わない人々もいるようだ。農業を確固たる産業として維持する人々が我が国に存在する必要がある、という一点は私にとっては譲れない点である。
理想は、多くの国民が、農業や農村空間をを楽しめ、自分の定住先として、農村を考えてくれるようになることである。そこには、コミュニティ活動とホスピタリティがあり、創意がある。
多くの人々にもっともっと農業や農村の良さを実感してもらいたいのだ。
こんな事を、何10年来として主張しつづけ、その様な社会の仕組みを提唱し、そのための手法をこれまで提案し続けてきた。
ただ、今の農政がそうした未来を目指してるかとなると、きわめて疑問と言わざるを得ない。残念なことだが、既得権益や、農政の継続性(といったいわゆる社会のしがらみ)に重点が置かれすぎていて、多くの人々の幸せや豊さの創造に気付いていないように思うのだ。
現にそのためにおきている矛盾がこの間いろいろにでてきている。
当面、農村が農村としてもっと自負心を持つことが、多くの人々に、農村にあこがれをもってもらい、上記のような社会を作ることにつながると思うのだが。現実には、逆にノブレスオブリージをもったリーダーがすくなすぎるし、相互の思いやりもなさすぎる社会になっている様な気がしてならない。
政府や人の施しは、貧困をなくす手だてには絶対にならないし、ましてや豊かな農村を作る術にもほとんど意味を持たない。
農村は既に経済的には都市よりも豊になってる現状を考えるに、補助金を無理にでも導入しようとするむらのリーダー達の精神は、農村の自負心や他者を思いやる心をくじき、豊かな農村を作る障碍にすらなっている。
それが生産調整だったし、集落営農なのではないか。
この間の農村の動きは正直みっともない、の一言につきると感じている。
そうした意味では、集落営農によって貸しはがしをし、担い手を苦況に陥れるのも、生産調整方針作成者の方針を拒否するのも、農政の犠牲者達なのかもしれない。
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