それを争点にしている党はない。
将来の原発が争点になってるが、これも、どの様に脱原発に結びつけるか、が争点になるべき。
卒とか半とか、10年とか、を争ってるときではない。
論説委員長 芹川洋一
なにかがすっぽり抜けおちているような気がしてならない。政党がしのぎをけずる選挙だから、原発をはじめ、おたがいに異なる点を、ことさら強調して、ぶつかりあうのはしかたがない。だが、今、本当に問われているのは、ちょっと違うのではないか。
豊かさ保つには経済力がどんどん落ちて、もはや二流国家になりさがろうとしている日本。ぎりぎりのところで立て直すにはどうしたらいいのか。政党に求められているのは、国の力をみなぎらせるための政策のきそい合いだろう。
「反」「脱」「卒」……いろんなものを否定ばかりしていて、その先をどうするつもりなのか。たしかに脱近代で、つつましやかに生きていくのもひとつの考え方かもしれない。しかし、子や孫の代まで豊かで自由な生活を営むためには、一流国家で踏みとどまろうとする頑張りがいるにちがいない。
将来の経済社会のすがたを全体として示す必要があるはずだ。政党には、明日の日本をたしかなものにするための大きな物語を語ってもらわないと困る。
そうしないと有権者は判断をまちがえる。ひとつの争点だけで選挙をやった結果、何がもたらされたかは過去2回が教えるとおりだ。
有権者の側にも、チェックポイントが少なくとも3つはいる。
第1は、過去の業績評価である。3年3カ月にわたって政権をになった民主党は、マニフェスト(政権公約)をどこまで達成できたかが当然問われる。
辛い点がついて進級がむずかしいとなっても、それがマニフェスト選挙というものだ。
第2は、将来への期待である。各党の政権公約に盛り込まれた各論の点検だが、そのとき大事なのは、政策を個別にみて比較するだけでなく全体としてとらえることだ。
それは前回の民主党マニフェストの教訓でもある。子ども手当などそれぞれは評価できても、それらをトータルに実施しようとして、しくじった。部分最適ではあっても、財源が限られている以上、全体最適ではなかったからだ。
第3は、政党のあり方である。にわか仕立てをふくめて政党が乱立した今回、ここでも、民主党の教訓が生きる。理念や価値観がちがったメンバーが、選挙を目的にあつまったら、必ずどこかでつまずく。
利益の分配がもっぱらだった時代は理念を横においても、まとまっていけたかもしれない。不利益をどう分配するかの説得が政治の仕事となっている今日、もはや無理だ。
そのうえで「決められる政治」に向けた政権の枠組みができるかどうかが焦点となる。
政治の立て直しところが、民主党政権がつづいても、自公政権か、自公+第三極の政権になっても、参院の構成は同じだから、いずれも過半数には届かない。衆参のねじれ状況がつづく。衆院選をやっても政治の局面は転換しない。
それが変わるのは民主と自民が組んだときだけだ。日本が二流国家になろうかという瀬戸際で、政治リスクを解消するには来年夏の参院選までは民・自公の協力政権のかたちを探るほかない。
おかしな話だが、今回の衆院選は準決勝でしかない。決勝は参院選だ。新しい連立や政党再編で、政治のかたちをととのえるのは、おそらくそのあとになる。
そうだとしても、機能不全におちいった日本の政党政治を立て直すための選択は、この選挙からはじまる。
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