最近はなんでも「ステータス」でして…
SNSの肩書きで思い切り嘘書いていて
実はセレブでもなんでもないのに、偽ったアカウントで
自分をデラックスに見せている人もいると聞きました。
いや…そんな見栄はってどうすんでしょうかね?
アバターチェンジして「お姫様」を演じるとかなのですかね?
マッチングアプリなんかやろうと思えば画像もステータスも
嘘次第じゃないですか。(おお怖っ)
夏目漱石は自分に与えられる「肩書き」が嫌いで
文学博士を辞退しましたが、文部省がこれを認めなかった。
ある時、知人らとパーティーをやるというので※
招待ハガキを出してもらったら、
事務局の人が文学博士の名簿を見てそのまま名前を書いたので
夏目漱石の名前の上に「文学博士」って堂々、つけられてたそうです。
すると漱石、これを大変不服に思い、あわてて
「肩書きを消してくれ」
と申し立て、寄付金に自腹で印刷費用を足して納入して
既に出来上がったハガキ200枚、肩書き無しのものに修正、
印刷させ直したそうです。
日本人は昔からステータス大好きです。
水戸黄門や遠山の金さんが庶民のフリをしていながら
「実は超身分が高い」と暴露するのに驚き、平伏す…
これって、他人の評価をその個を見て下してるんではなく
最初から人の中身より「看板重視」ってことではないですかね?
看板重視だから逆に「レッテル貼り」の弊害も生む。
漱石にとって、個人の価値を決めるのは「看板」ではないのでしょう。
自分の真価を決めるのは自分でしかない。
ずっと「夏目なんとか」何某でいる。
明治の末ごろになると、文学が権威を持ち始めて
官憲の力で「文芸」を盛り上げようと「文芸委員会」が発足
学校教育でも取り入れようという動きになったけれど
漱石は「逆にマズいんじゃないか」と言い
優秀作品を表彰しようという動きになった時も
「自分の作品は選奨しないでくれ」と言います。
「文芸委員会などというものは、文部省という串で
委員という団子を突刺すことをするのだ。
串刺しにされた文芸家に、何の活動ができるものか」
大抵の場合はステータスも賞状も賞金も喜んでいただき
さらにはそれを自慢し続けてやまないだろうよ、ってとこなんですが
漱石だけは賞候補に入るのを嫌った。賞から外すと聞いて「ほつとした」
ようです。
何かで肩書きを得れば、そこで一つそれに縛られることになります。
その肩書きを通した色眼鏡でも見られる。
何があろうが自分というわけにいかなくなる。
人は肩書き、ステータスから「らしさ」を求めてくるからです。
「文学博士らしい物言い」「さすがなるほど文学博士様だ」
そんな文章を書く方がうんと恥、だったのかもしれない。
自由でいられるから、弱い部分も強い部分も
自分に忠実でいられる、見栄張ったものではない
「人間」の漱石を読むことができるんだと思います。
ーーーーーーー
※ 杉浦重剛の還暦祝賀会。漱石が発起人に加わっていた。