ダリウスは、コハクの次あたりに早々とクリアしていたのですが
あまりにも考える事が多すぎて、まとめづらかったので最後になりました。
おそらくこの作品の看板スターであろうと思われる彼には、すっかり「雰囲気」に騙されてしまいます。
甘い言葉で囁き、とにかく恋愛ゲームならではかと。これでもか、これでもかというくらいに優しい。
レモネードおかわり、くらいの勢いでプロポーズ、銀座でお買い物…
王子様ご登場、貴公子ご登場に加えて、革命とか、テロ?とかちょっとスリリングな香をさせ
かと思うとけっこうお茶目という、「いくらなんでもツボる」ポイントを確実に押さえているんだもの。
ディズニーアニメの王子とか全員クソだなと軽く思える位なんだよ、ホント。
しかし、「この人と恋愛するのってすごく難しいのでは」というのを抱えずにおれない。
なんでしっくりこないんだ、なんかぼんやり午後の紅茶状態、これでいいのか
ダリウスと梓、運命だという。二人は、じゃあもう何もかも忘れて激甘ラブラブか?
と思いきや、そうはいかない。
それどころか、愛宕山の件で仲違いしてしまう。
今回はここから、その蠱惑の森に施された術を解いていきます、という試みですハイ。
なんかしっくりこないまま敵対する、それは何故なのか。
鬼の仮面とは何なのか。
ダリウスは「忙しい」人です。仕事が…も含めて、「忙しい」ってのは
つまり自分の目指す理想だとか、やらねばならない計画準備とかに忙しいのです。
忙しい男はまだしも、忙しすぎる男との恋愛って難易度が高いんです。
なにせ「忙」という字は、「心」を「亡」くすって書くんだもの。
ところで
スタンダールというフランスの小説家が1830年代に書いた「赤と黒」という作品があります。
1789年、革命を起こした後のフランスは激動の時代で、共和政、帝政、王政とめんどくさい事になりました。
「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルも、ダリウスのように美青年で繊細かつ鋭敏な感受性をしていました。
共和主義の野心に燃える彼は、弾圧される側である事を常に意識していて、己の野心の為に女を誘惑していく…
というかんじのお話です。
ジュリアンは偽善こそ出世の手段とか思っておりますが、ナルシストでもあるのです。偽善は醜いと知ってはいる。
よってそんな汚い自分が許せないという…。(めんどくさいわね~)
しっくりこないのは、「心」「情」の部分は「寂しいから」で側に寄り添っても
忙しく働く「理」の部分が寄り添えないから、ですかね。
敵対するという物事の本質は、「相手を理解するなんてもっての他」というものでしょうね。
敵はうち負かし、間違っていたら少々の犠牲を出してでも革命する
そうしてても、ちっとも世界は全然平和にならないですよね。
今日も今日とて、自分こそが世界を救うような方達が日々頑張っておられますけども…。
どちらの言ってる事も理想的であり、理屈は正しい。
しかしその筈が結果的にダリウスも清四郎も同じように、自分の意思ではなに大きなものに支配されていってしまう。
その力が無ければ成されないと、力を求めて結果、悲劇になってしまう。
ダリウスの持っていた鬼の仮面というのは、あれはいわば
「絶対的に正しいという力を持った理論や思想」なのではないかと思います。
自分の意見は正しい、それを行使する事は多くの人のためになると考えている。
しかし、すぐにそうした「力」で武装するというのは非常に危険です。
その「力」が絶対的に思えるのは、「相手を全く寄せ付けぬほど拒み、否定するから」
なのではないですか?
いつの間にか勧善懲悪と単純な対立関係で裁く事で、「聞く耳など持たぬ」塊であるものだから。
相手を論破し、否定し、もう立ち上がれないまでに屈服させる事ができるから。
仮面はダリウス自身が作ったものではないのです。
鬼の一族が、市井で憎まれる元凶を作った件とか
誤解をなんとかしようにも、人々の中にも信念はあり、正義もあり、ゆえに偏見も生まれる事案とか
エピソードもてんこもりでした。
だから本当に忙しい、彼。
ただし、村雨あたりと比べると、根っこの部分がさびしんぼ、寂しがりやなのです。
側にいてほしい、というのが実は隠せぬ本心なんだろうなと思います。
(なにそれかわいい)
ダリウスを撃ったのではないのよ。
神子が撃ったのは、ダリウスのつけてる仮面、仮面なんだ。
カッコいいぞ梓。ゴーゴー梓。
他人を支配しようとか、屈服させようとか、懐柔しようとかそんな事しなくていいよ。
何があっても側にいるという事です。そんな仮面いらんのよホント。
そんな仮面あっても孤独なだけの日々ならば、正解を得たところで虚しくないですか。
そして眠れる森の王子になった日にゃ…
鬼の仮面など必要としないところを理想郷にできたらいいんですけど
それはそれでやっぱり、ファンタジーならではなのでしょうね。
そうそう、ダリアの花。
丁度、スタンダールの時代に流行っていたのだそう。
21世紀は、女性は運命に翻弄される存在でも、ジュリアン・ソレルの道具でもない
この話は確かにリアリズムではなくファンタジーだけど、
眠れる森の王子を救うのは、案外普通の女子高生なんでは?
なんて事を話したら、スタンダールはどう言いますかね。
ちょっと痛快な乙女的革命ですね。乙女のポリシーね。
あまりにも考える事が多すぎて、まとめづらかったので最後になりました。
おそらくこの作品の看板スターであろうと思われる彼には、すっかり「雰囲気」に騙されてしまいます。
甘い言葉で囁き、とにかく恋愛ゲームならではかと。これでもか、これでもかというくらいに優しい。
レモネードおかわり、くらいの勢いでプロポーズ、銀座でお買い物…
王子様ご登場、貴公子ご登場に加えて、革命とか、テロ?とかちょっとスリリングな香をさせ
かと思うとけっこうお茶目という、「いくらなんでもツボる」ポイントを確実に押さえているんだもの。
ディズニーアニメの王子とか全員クソだなと軽く思える位なんだよ、ホント。
しかし、「この人と恋愛するのってすごく難しいのでは」というのを抱えずにおれない。
なんでしっくりこないんだ、なんかぼんやり午後の紅茶状態、これでいいのか
ダリウスと梓、運命だという。二人は、じゃあもう何もかも忘れて激甘ラブラブか?
と思いきや、そうはいかない。
それどころか、愛宕山の件で仲違いしてしまう。
今回はここから、その蠱惑の森に施された術を解いていきます、という試みですハイ。
なんかしっくりこないまま敵対する、それは何故なのか。
鬼の仮面とは何なのか。
ダリウスは「忙しい」人です。仕事が…も含めて、「忙しい」ってのは
つまり自分の目指す理想だとか、やらねばならない計画準備とかに忙しいのです。
忙しい男はまだしも、忙しすぎる男との恋愛って難易度が高いんです。
なにせ「忙」という字は、「心」を「亡」くすって書くんだもの。
ところで
スタンダールというフランスの小説家が1830年代に書いた「赤と黒」という作品があります。
1789年、革命を起こした後のフランスは激動の時代で、共和政、帝政、王政とめんどくさい事になりました。
「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルも、ダリウスのように美青年で繊細かつ鋭敏な感受性をしていました。
共和主義の野心に燃える彼は、弾圧される側である事を常に意識していて、己の野心の為に女を誘惑していく…
というかんじのお話です。
ジュリアンは偽善こそ出世の手段とか思っておりますが、ナルシストでもあるのです。偽善は醜いと知ってはいる。
よってそんな汚い自分が許せないという…。(めんどくさいわね~)
しっくりこないのは、「心」「情」の部分は「寂しいから」で側に寄り添っても
忙しく働く「理」の部分が寄り添えないから、ですかね。
敵対するという物事の本質は、「相手を理解するなんてもっての他」というものでしょうね。
敵はうち負かし、間違っていたら少々の犠牲を出してでも革命する
そうしてても、ちっとも世界は全然平和にならないですよね。
今日も今日とて、自分こそが世界を救うような方達が日々頑張っておられますけども…。
どちらの言ってる事も理想的であり、理屈は正しい。
しかしその筈が結果的にダリウスも清四郎も同じように、自分の意思ではなに大きなものに支配されていってしまう。
その力が無ければ成されないと、力を求めて結果、悲劇になってしまう。
ダリウスの持っていた鬼の仮面というのは、あれはいわば
「絶対的に正しいという力を持った理論や思想」なのではないかと思います。
自分の意見は正しい、それを行使する事は多くの人のためになると考えている。
しかし、すぐにそうした「力」で武装するというのは非常に危険です。
その「力」が絶対的に思えるのは、「相手を全く寄せ付けぬほど拒み、否定するから」
なのではないですか?
いつの間にか勧善懲悪と単純な対立関係で裁く事で、「聞く耳など持たぬ」塊であるものだから。
相手を論破し、否定し、もう立ち上がれないまでに屈服させる事ができるから。
仮面はダリウス自身が作ったものではないのです。
鬼の一族が、市井で憎まれる元凶を作った件とか
誤解をなんとかしようにも、人々の中にも信念はあり、正義もあり、ゆえに偏見も生まれる事案とか
エピソードもてんこもりでした。
だから本当に忙しい、彼。
ただし、村雨あたりと比べると、根っこの部分がさびしんぼ、寂しがりやなのです。
側にいてほしい、というのが実は隠せぬ本心なんだろうなと思います。
(なにそれかわいい)
ダリウスを撃ったのではないのよ。
神子が撃ったのは、ダリウスのつけてる仮面、仮面なんだ。
カッコいいぞ梓。ゴーゴー梓。
他人を支配しようとか、屈服させようとか、懐柔しようとかそんな事しなくていいよ。
何があっても側にいるという事です。そんな仮面いらんのよホント。
そんな仮面あっても孤独なだけの日々ならば、正解を得たところで虚しくないですか。
そして眠れる森の王子になった日にゃ…
鬼の仮面など必要としないところを理想郷にできたらいいんですけど
それはそれでやっぱり、ファンタジーならではなのでしょうね。
そうそう、ダリアの花。
丁度、スタンダールの時代に流行っていたのだそう。
21世紀は、女性は運命に翻弄される存在でも、ジュリアン・ソレルの道具でもない
この話は確かにリアリズムではなくファンタジーだけど、
眠れる森の王子を救うのは、案外普通の女子高生なんでは?
なんて事を話したら、スタンダールはどう言いますかね。
ちょっと痛快な乙女的革命ですね。乙女のポリシーね。