ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

人からは見えないものと情報

2020年01月29日 | 雑記
コロナウィルスへの恐怖で揺れてる。

ィルスの他、戦争だの株価の暴落だの
凶悪犯罪だの不安材料に暇ない。
人間て毎日、情報ある限り不安がある。

でも、一方で
情報ある限り安心得たりする。

疱疹ウィルスのせいで
肋骨神経痛の激痛でのたうちまわったけど
なぜ痛いのか、どうしたらいいかの情報があるのは暗闇の中の灯りのようだった。
いたずらに不安で悩ましいよりはいい。
痛いのは痛いけど。


自分は最近になって
「これだったのか…」という生きづらい正体のようなのを知った。

HSPなんてそれこそ昭和の時には
言葉すらないし
アダルトチルドレンだの機能不全家族だの、全部後出しだ。
当事の大人に言ってほしかった。
特に、戦後のトラウマ抱えた元軍人へのメンタルケアなんか皆無だったんだけどな。(国の責任だと思う)


当事、例え情報を得られたとして子供から訴えて改善されただろうか?
ムリだろう。
しかも子供の自分に関わった人らはもう近くにいないか死んでいる。

原因がわかる病気のうち
わかった所でしょうがないモノがある。
そういう場合は、原因を考える必要は無い気がしている。
むしろ「だからどうした」でいいのでは。


HSPだと
「痛い」は通常の2倍なのかもしれない。
人からは分からない。
痛みは他人に見えない。(これこそ数値化しろよと思うわ…)

自分が小さい時は、痛みを訴えても信じたりわかったりしてもらえなかった。

「その程度でピーピーわめくな
お前は何でも大げさだから。
戦時中の兵隊は片足取れても泣かなかった。泣くのは甘えてる証拠」

それ以上を言い返したらビンタだろうから言わないし。

私の面倒をみたのはつまり、
子供面倒みたくない、子供なんか面倒くさい(むしろ戦場にいたかったんでは?と思う)という人らだったから。

昭和時代は痛みなんか見えもしないモノ
心なんて見えもしないモノは
「うるさい、面倒くさい、甘えるな」
でオシマイだった。

でも令和の今、もう「戦中」「戦後」はやっと消えた気がする。
私が躾だと思って受けていた事の一部は
立派に虐待とも言える事も知った。
休むのは甘えでもなくなった。
歯を食いしばって耐える、国の為に死ぬのも美学じゃなくなった。

「それはおかしい!」という人の声を聞けることで
自分のいた世界の狭さを知った。
それは、老いた父もそうで
昔は祖父母、父の両親が怖くて
ネコを飼うなんてとんでもなかったんだと思う(戦時中ネコ飼うの禁止だった)
どうしたんだというほど、今、ネコ愛がすごい。

自分についての何故ついて
昭和時代には無かった回答を得る事できたのは、情報のおかげだと思う。

多すぎる情報は人を不安にさせるが
「何故」をきちんと持って挑めば
あながち全てが404Not Foundではないと思う。
投げた疑問に、誰かは答えてくれる。
一人でも多くの人が自分を語る事で
解決方法を共有できるのだ。

人から見えない心、
痛み、
もちろん今騒ぎになっている
ウィルスについても

不安がらず冷静に受け止める事
有益な情報を共有するのも、今は何倍も早いはず。

否定と不安と忍耐、これがストレスの正体なら
21世紀、情報は上手く使えば
数々の困難を乗り越える為の大きな味方になってくれるはずだと思う。



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