ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

「推しの子」2期とデザインとアートの間の漫画

2024年07月20日 | 文学・歴史・美術および書評
忙しいですが「推しの子」だけアニメ見てます。

「うわー!これは例の事件を思い出してしまう」
という…
漫画が原作のメディアミックス、
脚本家のキャラ改変に漫画家がダメ出し、と言うやつです。

セクシー田中さん事件の折に考えたのですが
まず

出版の会社と広告系の会社で
漫画家の扱いが違う!!

これなんですよ。
出版社では最初から「作家」の扱い
広告では「デザイナー」の扱いです。

つまり、出版系は漫画家に対しては多少「芸術」に対する態度で来られます。
所によっては昔はお中元お歳暮が届いてました。
呼び方も「先生」で確定申告の書類宛名は「先生」ついてました。
(電子化で紙の書類もほとんど消えましたが)
存在が表現をしている感じなので、当然ですが代わりはいません。
名前=ブランドで、それを売る為に苦労されます。


これに対して
広告系、広告漫画の現場は「デザイナー」です。
著作権を渡してしまうと中抜きできないと言う派遣事情もあるんでしょうが
最初から「案件」はチームワークです。
シングルテニスとサッカーくらい違います。
シナリオや企画を漫画に仕立てる作業工程に関わる一人です。
みんなで作り上げるものですから、当然「自己主張」は不要。
宛名に「先生」がついた事はないです。
ですので作者に著作権やブランドは無いかと思います。
(名前を出してもらえる人は何か主張したかであり
ほとんどの場合クレジット表記はされません)

普通の場合は広告は広告、出版は出版なので平和ですが
これが「ミックス」になった途端、面倒なことになります。

まず著作権を持ち、主体的な創造主であり先生である出版社系の漫画家は
そりゃ勝手にいじられたり、リテイク多すぎたら怒りますよ…
「私が決めているのに。日々何の為に必死に身を削ってんの」
てなりますよ。

しかし広告系としては、とにかく「アート」「芸術」をやってるのではなく
「ビジネスとして仕事をしている」だけです。


さて。
日本で「広告代理店」を始めたのは岸田吟香という人です。
今私が最終話を描いてます、「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜」
にも登場しています。(最終話にも出ます)

吟香氏は浮世絵絵師の小林清親と親しく、目薬の広告を手掛け
もう当時から「漫画」と広告はコラボしていたのですが

では当時の漫画家はどうだったか?
というと
江戸時代から続く「浮世絵」はやっぱり今のデザインに近く
版元の企画に応じて制作していました。
己を表現する画家が皆無というわけではないです。

自己表現をしてきたという絵師、画家は高く評価されているが
そうでない浮世絵は最近まで格下扱いだった。
それはなぜか?
これって
「評論家が、西洋的芸術の意味を持つものを芸術だと評価した」
からではないかと思うのです。
つまり明治以降、日本は美術評論も輸入し、
西洋人が芸術とするものの基準に沿ってそれを芸術かどうか決めた。
海外も海外で基準を疑わないのでそうなります。
「まるで西洋の〇〇の作品のようだ」とか。

岸田吟香の息子さんは岸田劉生という有名な画家ですが
息子さんの時代にはもう、西洋芸術のベースで動いてて
画家は画家、という「特別な存在」になっていきます。
純粋芸術とは何かの話になると長くなってしまいますが
純粋な自己表現とビジネスって両立させるの、なかなか難しいです。


漫画を「自己表現」「芸術」にしたいのは
おそらく出版社はそうだと思います。
それは、小説が昔、芸術ではなかった大衆文化の時代を経て
芥川賞のような「芸術」に押し上げてきたというプライドがあるからでしょう。


私の場合は出版社も広告も同人誌も
「それはそれ」を徹底してペンネーム変えてはリニューアルして渡り歩いてきたのですが、
それでもこのギャップは、
解決するまでやっぱり鬱になる程悩みました。


21世紀以降
漫画の地位を上げてビジネス的に拡大していく世界では
「アート」か「デザイン」か
ソロプレイなのか、チームプレイなのか
これをあらかじめ認識しておく必要はあると思います。
これから漫画を描きたいという人は
そこを理解しておいたが良いのかなと思います。


手塚治虫は「海のトリトン」がアニメ化されて
大幅に原作改変された時「あれは僕の作品ではない」と明言しました。
しかし、富野由悠季監督の手から生まれたアニメのそれは
原作とはまた違うファンがついて人気になりました。
「一旦冷静に手放して、自分は自分にできる最大限をやる」
これ大事かもしれません。

チーム作品はチーム作品で
単独原作も単独原作で
要するにそれぞれ制作された背景を理解し、
受け手の側が評価すればいいだけの話です。
作り手の方も「今何をやっているか」「自分はどこに立っているか」
は重要です。

そして、もし芸術として完全な自己表現がしたいができない
出版社や広告がダメだというなら同人誌もあります。
ネットのある現代ならいくらでも方法があります。

マニアックに、自閉的に自分の作品にこだわり抜かないと良作が生まれないのも確かでしょうが我々は既にその「天才性」すら危うい時代に来ているのではないでしょうか。

それぞれの立場を理解できるという人が増えたらな
と思っていたところでしたので
いいタイミングでしたね。アニメ。

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