ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

戦後教育と消された谷村計介のこと

2020年08月20日 | 文学・歴史・美術および書評
熊本には銅像もあり、戦前には忠君愛国のモデルヒーローとして讃えられた
谷村計介という軍人がいます。

教科書にも載っていて、文部省唱歌もあり
戦前生まれは知ってて当然な人のようです。

田原坂に解説板と碑もあります。二の坂付近かな。

が!
板の錆れ具合からわかるだろう…


今は誰も知らん?!

試しにグーグルに名前とヒット数を求めると
4380件。
同じく、西南戦争に官軍から参戦した有名人として
「斎藤一」を入れると、5000万件ヒットしますから(汗;)
う〜んと少ないです。もはや現代では無名と言って過言ではないです。

私も戦後教育で育ちました。
だから全然知らないというか、
たどり着けなかった人。

とにかく、戦後教育というのは、戦争アレルギーというか
いや、確かに戦争はやっちゃいかんことですが
「忠君愛国」を恐れすぎて、極端な右翼教育から
今度は極端に左翼教育してしまったんだろうなと思います。
(その間にGHQの指導が入るけどね)
教育勅語が出たのが明治23年(1890)だから
戦前も戦後も、戦争を挟んでの前と後の約50年、
右が隠し、左が隠した「知ってはいけないこと」だらけの教科書で大きくなったわけですよ。
(でも生活指導の教師は軍国主義的に竹刀持ってたよね。矛盾ときたらないわ〜)


谷村計介というのは、西南戦争の時は官軍のスパイでして
熊本城を脱出、途中、薩摩軍(熊本隊の佐々友房ら)に捕まったものの脱出。
官軍本営に到達。熊本城の様子を述べ、任務遂行。
熊本城の谷干城のところへ戻るというのを、野津静雄が引き留め
そのまま官軍本営にいたけど、田原坂の戦いに自ら身を投じて戦死。

という、そんな人です。


で、実は前回
「雲よ、伝へて!」其の四で削ったページに出てましたが;
この人を描くには別に1つのテーマを設けてみたいなあと。

「スパイ」と「記者」
面白いかもしれんで…と思ったわけです。
結局、どうしようかなと考え中ですが。


とにかく、西南戦争というのは最初、私が思っていたより
「情報戦」
でした…。かなり。
電信のみならず、情報撹乱とかある。
情報を制する者が勝つという近代戦争がおっぱじまっていたのですな。


そんな中で

戦前に生まれていたら、もしかしたら
谷村計介を「軍人さんの鏡」として描いていたのかもしれません。
そして戦後は「谷村って誰?何の人?」くらいに消されてて知り得なかった。
どっちも正しい知だと思えない。
何かに隠され脅され、消されるのはおかしな話です。

もしかしたら令和、21世紀の今だからこそ描けることがあるかもしれない。

ですが。

讃えられ、消された部分というのは扱いがすごくデリケートでもあります。
戦後教育が必死で平和を教えてきたことは大事にしたいです、一応。
もう歴史をそんなふうな物に利用しないで欲しいし。

けれど一方で、正しく知っておく必要もある。
国の為に命を賭けるファシズム愛国心でなくて、海外の人に堂々と
「日本史」を語れる日本人が令和以降に必要なんではないでしょうか。



そこで谷村くん
谷村くんはもう、戦前のようにカリスマヒーローとしては扱わないよ。
けれど、消したくもない。
あくまで、一人の20代前半の、ただの若者の一人として捉えていきたいなとか。


戦後75年、戦争の記憶が風化するとか…
しかし、教えないことで強制的に消された物もある。
それを復活させることが悪魔の復活にならないようにするにはどうしよう。


個人は誰もがその人生において常に1ヒーローだが
それ以上のカリスマとして祀られたり
あるいは全くの諸悪の根源にされて嫌悪され消されるものでもない

そういう方向で…やっていきたいかも。
私これを「令和リアリズム」と呼ぶことにしてます。



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