日本には昔から「イタコ」なんてのもございます。
「ガラスの仮面」の北島マヤ、役に徹してる時はまさにそうかも
「電王」のイマジンは憑依。
良太郎は憑依されてもちゃんといて、憑依したイマジンに「やめてよ」って言う時がある。
そのイマジン、憑依ではなく、実は多重人格…という見方をしたらどうかなと。
「電王」の脇役にいたのが、三浦さんという「悪霊退散」のオカルト系でなく、
心理学者、精神科医だったら…って思ってしまいます。
映画「スプリット」
好きな監督の一人、シャマラン監督作品。
「シックスセンス」「サイン」「ヴィレッジ」など大どんでん返しなラストや、象徴的な描き方をする方だなと思います。
ゆえに、あまりネタバレできないんですが;
シャマラン監督の「理論」はこう
小さい時のトラウマで、「自己」をきちんと確立できないと
恐ろしい世の中から「弱い自分」を守るため、いくつもの自分を作る。
そして、「同意」「理解」を求めるゆえに、同じ心の傷を持つ者を探す(むしろ賢く神聖であると是認する)。
しかしそれゆえに、傷を持たない者に対しては自分を理解できない者として認めない。
すべてのパーツが象徴詩のようでした。
SNSと個室
心のドアと開く鍵
絵に描かれた(本物ではない)窓
デザインとファッション、デザインされる自己
動物と本能
子供は最初から社会性を身につけて生まれてきません。
「あ、ここは病院だから泣きわめいちゃ迷惑だ」ってのでオギャーと泣かない赤ちゃんがいたら怖いです。
それこそ、トイレの躾、公共施設、お片づけの意味、
社会でうまくやってく為に、動物とは何倍も違う躾をしなきゃいけない。
でもやっぱり、人間は本能も持ってて
我々は理性によって、「やってはならん」とそれをコントロールしながら生きているのです。
親が立派にやろう、やろうと頑張りすぎると
きちんとできない子供に厳しすぎになってしまう。
ちょうどその社会性と本能は「住宅地に来たクマ」。
本気で解放してしまえば撃ち殺されるべき部分だろうし
かといって…というジレンマ
満員電車の痴漢はもしかして常に住宅地のクマかもしれませんな。
多重人格のその男は
分裂した人物の分だけ名前もあるんですが
「大勢が一人の体に同居してる」状態だと言います。
憑依と違うのは、霊的なものがよそから入り込んだのではなく
一人がどんどん別性格を確立して分かれて行った、みたいなとこですか。
「演じて」いるのではなく、バトンタッチしてる感?
それに「映画的」なファンタジックな面白い要素が入ってます。
肉体的要素も変えられる、な部分が。
ちょっと「幽☆遊☆白書」を思い出すかも。
普通はこういうのやると寝そうになるのを
常にハラハラしどうしでラストまで。
どうなんの?どうなんの?畳み掛ける。
ちょっと友達作りにくい、SNSとかめんどそうな主人公のJK、ケイティが
最後まで鍵ですが
「孤独なのではなく、他の人と外向きに付き合うには自意識という地下室がでっかい」
のですよね…
地下の窓は開かない。
すべてが謎解きのようで、ハマる人はハマります。
ですが、そういうのめんどくさい人には不向きかも。
で、この映画はどうも
「アンブレイカブル」とコラボで続編が出るらしい。
サイコサスペンスの総まとめ、みたいなものになるんですかね。
「ガラスの仮面」の北島マヤ、役に徹してる時はまさにそうかも
「電王」のイマジンは憑依。
良太郎は憑依されてもちゃんといて、憑依したイマジンに「やめてよ」って言う時がある。
そのイマジン、憑依ではなく、実は多重人格…という見方をしたらどうかなと。
「電王」の脇役にいたのが、三浦さんという「悪霊退散」のオカルト系でなく、
心理学者、精神科医だったら…って思ってしまいます。
映画「スプリット」
好きな監督の一人、シャマラン監督作品。
「シックスセンス」「サイン」「ヴィレッジ」など大どんでん返しなラストや、象徴的な描き方をする方だなと思います。
ゆえに、あまりネタバレできないんですが;
シャマラン監督の「理論」はこう
小さい時のトラウマで、「自己」をきちんと確立できないと
恐ろしい世の中から「弱い自分」を守るため、いくつもの自分を作る。
そして、「同意」「理解」を求めるゆえに、同じ心の傷を持つ者を探す(むしろ賢く神聖であると是認する)。
しかしそれゆえに、傷を持たない者に対しては自分を理解できない者として認めない。
すべてのパーツが象徴詩のようでした。
SNSと個室
心のドアと開く鍵
絵に描かれた(本物ではない)窓
デザインとファッション、デザインされる自己
動物と本能
子供は最初から社会性を身につけて生まれてきません。
「あ、ここは病院だから泣きわめいちゃ迷惑だ」ってのでオギャーと泣かない赤ちゃんがいたら怖いです。
それこそ、トイレの躾、公共施設、お片づけの意味、
社会でうまくやってく為に、動物とは何倍も違う躾をしなきゃいけない。
でもやっぱり、人間は本能も持ってて
我々は理性によって、「やってはならん」とそれをコントロールしながら生きているのです。
親が立派にやろう、やろうと頑張りすぎると
きちんとできない子供に厳しすぎになってしまう。
ちょうどその社会性と本能は「住宅地に来たクマ」。
本気で解放してしまえば撃ち殺されるべき部分だろうし
かといって…というジレンマ
満員電車の痴漢はもしかして常に住宅地のクマかもしれませんな。
多重人格のその男は
分裂した人物の分だけ名前もあるんですが
「大勢が一人の体に同居してる」状態だと言います。
憑依と違うのは、霊的なものがよそから入り込んだのではなく
一人がどんどん別性格を確立して分かれて行った、みたいなとこですか。
「演じて」いるのではなく、バトンタッチしてる感?
それに「映画的」なファンタジックな面白い要素が入ってます。
肉体的要素も変えられる、な部分が。
ちょっと「幽☆遊☆白書」を思い出すかも。
普通はこういうのやると寝そうになるのを
常にハラハラしどうしでラストまで。
どうなんの?どうなんの?畳み掛ける。
ちょっと友達作りにくい、SNSとかめんどそうな主人公のJK、ケイティが
最後まで鍵ですが
「孤独なのではなく、他の人と外向きに付き合うには自意識という地下室がでっかい」
のですよね…
地下の窓は開かない。
すべてが謎解きのようで、ハマる人はハマります。
ですが、そういうのめんどくさい人には不向きかも。
で、この映画はどうも
「アンブレイカブル」とコラボで続編が出るらしい。
サイコサスペンスの総まとめ、みたいなものになるんですかね。