乃木希典は、明治生まれにはドラゴンボールの孫悟空や仮面ライダー以上のヒーローだったのは確か。
戦前教育と戦前パラダイムの中で、乃木希典に否定的な態度は取れない。
日本代表を勝利に導いたエースストライカーを叩けない以上のものだったはずだ。
私の祖母がそうだったけど、戦前生まれは男の子の躾にも厳しかった。
まず泣くことは絶対に許されない。
「不安がったらハグ」なんてまずあり得ない。ハグどころか「根性叩きなおす」と打ち叩かれるだろうし。
抱き癖を付けると甘えたダメ人間になるとも言われていた。
子供はまず厳しく躾、からだから。
学校の教師にもこういう人は多かった。
最近なら「暴力」「虐待」で逮捕だろうけれど。
乃木希典は戦前教育の
「忍耐」のシンボルでもあった。戦前教育下に日本人はずっとそれを讃えてきた。
乃木の辛抱を示すエピソードは幾つもある。
まず、息子2人を戦争で失ったが平然としていた、立派であったというもの。
国民に日露戦争で子供を失った人は多かったが、
「一人息子と泣いては済まぬ。二人亡くした方もいる」
という歌が流行した。
二人亡くした、乃木の事だ。
西南戦争では左足に銃弾を受けている。
歩行するにも痛かったはずだが、悟られないようにしていた。
悟られないようにといえば、乃木は小さい頃、母親が躾で畳みかけた蚊帳で叩いたら、たまたま目に当たったらしく
左目の視力をほぼ失っている。
歯が痛くなった時は
「痛みなどというのは己の勝手」として、医者が止めるのもきかず、全部の歯を抜歯している。
おまけに重度の「痔」で靴まで流血して乗馬していたとか
ガマンに枚挙暇ないんだ、この人。
このため、まだ明治生まれが健在だった努力と根性の昭和の時は「ガマン強さ」のシンボルとして
あるいは「二面性のある」
などと書かれてるが
令和の今、数々の精神病理の本や社会学の本読んでるうち
「乃木希典は単に壊れていたのではないか?」
と思うようになった。
つまり、それは忍耐ではない。
美学じゃない。
国に利用された「やせ我慢」にすぎない。
第二次大戦ドイツ空軍のエースパイロット、ルーデルあたりも
話聞いてると頭おかしいんではないかというエピソード多いんだけど
まだルーデルの方が軍人に向いてた気がする。
乃木希典
日露戦争、旅順攻撃
真っ先に203高地でなく塹壕掘って行った本当の理由は?
西南戦争、初戦で退却を選んだのは何故だ。
明治天皇の為に殉死した本当の理由は何だ。
彼は本当の所
戦争なんかやってなければ
そういう家に生まれてなければ
軍人ではなかったかもしれない。
もしも、アドラー心理学が流行る戦争の無い平成末なら、
「泣き虫のなきとくん」あっても全然構わなかったんではないのか。
二面性なんか最初からどこにも無いのでは。
我慢を美化させるのは
その嘆きを聞き入れるのが面倒だという者のエゴなんだ。
「わがままをやめなさい」という者は言う。つまり
「私のわがままは許しなさい」。
本当に賢いなら、まず先に
ガマンではなく、解決方法を考えるんではなかろうか。
とはいえ
「なんのこれしき」を思う時
耐えねば進めない時
あの乃木のやせ我慢、よい子は真似しちゃいけないんだけど
少し頑張ってみようってなる事は…
確かに、あるかなー。