職場のPCと 家のPC と ギャラクシー(スマートフォン)を
googleのアカウントを同期させて使っているのだけれど
(この言い方、あってるでしょうか)
どうしても変、
いろいろ調べたら
やっとわかった。
アカウントが2つあった。
ふむふむ
あれもこれもこっちにきてたのね、、、と開けてみると
最新のメールが・・・・・
googleカレンダー 2011年3月11日 午後5時~7時 もも病院
あのひ、ももは病院に行くはずだったのだ・・・・・。
あの日、地震のあと急いで家に帰ると
瓦が落ちたり塀が崩れたりしていた。
塀が崩れて道が通れなくなっていたので
近所の人達が片付けていた。
我が家も塀のフェンスが傾いて
下のブロックがずれていた。
隣との塀は崩れていた。
幸い瓦は大丈夫、、、
少しして
築80年か90年、老朽化している我が家を心配して
知人が見に来た
「ほ~~、大丈夫だったんだぁ」
そして、
その日は次の日の朝まで停電、
携帯電話も家の電話もメールも繋がらなかった。
結局病院へは行かなかった。
いつも病院は連絡してから行くのだけれど
ブログに12日に病院に行ったような記述があったので
その日は行かずに次の日に行ったらしい。
前日に「明日、伺います」と言っていたかもしれない。
今頃言ってもしょうがないけれど、
キャンセルの電話は入れられなかった、ということになる。
翌日病院に行くと
約15,6キロ離れた病院では
停電にもならなかったらしい。
そういえば病院の付近は
塀も瓦も崩れていなかった。
と、いろんなことを思い出した。
そうか、、、
あの日、ももの病院に行く予定だったんだ (ToT)
明日で半年になる。
命を失った人たち、
津波からは逃れたけれど、その後、亡くなった人たち、
今も、つらいタイヘンな思いをしている人たちが大勢いることに心が痛む。
そんななか
私の町では
放射能の汚泥の溶融スラグ、というのが運ばれた。
汚泥を燃やして圧縮したもの、らしい。
限りなくあやしい。。。
作業の人たちは防護服を着ていた。
県内6箇所中、3箇所は住民の合意が得られていない、ということで
私の町に一番最初に運ばれた。
県立高校の近くである。
私たち、合意したわけじゃないのに。。。
新聞に出るまで何も知らされなかっただけ。
一方、稲の刈り取りが始まっている。
「調べた結果、食べても売っても差し上げてもいいです」、
というお達しがきた。
一箇所でしらべたとのこと。
いいです、は
大丈夫、安全です、なのだろうか、、、と
言葉のあげあしをとりたくなる自分がいます。
地面の近くで呼吸している子供たちがたくさんいます。
そして
地面の近くを裸足で歩くわんこたちがいます。
民の幸福を真剣に考えてもらいたいものだと、、
県にも町にも強く願うヴィーままです。
長々と思いを綴りました。
読んでいただいてありがとう御座います。