なんでもメモ★もの忘れ防止に特効薬はない

gooブログはじめました。60を超すと記憶力が低下する。好奇心はあるので、忘れないようにメモをしなければ・・・。

2016-10 津軽半島周回、竜飛岬へ

2016年10月21日 | 車で遠くに

竜飛岬には「津軽海峡冬景色」の碑があると聞いており、行ってみるとやはりありました。碑台には赤い大きなボタンがあり、それを押すと曲が大音響で流れてくるのです。


この広場のそばには「階段国道」があります。階段が国道339号線に指定されています。午後3時、雨がポツポツと降ってきました。つい先ほどまでは地下140メートル、青函トンネルの地下坑道にいました。雲が広がってきたので早めに、飛岬灯台のそばへ車で上がってから280号線松前街道で新青森に帰ることにしました。

 

今朝8時半に弘前駅でレンタカーを借り、180キロを走って18時までに新青森駅で返すのが本日一日の行動日程です。

 

前夜、函館(16:51発快速ライナー⇒新函館北斗17:21発はやぶさ34⇒新青森18:34普通)から弘前19:16着。駅前のビジネスホテルに宿泊、夕食は函館で食べ過ぎていたので軽くラーメンですませた。
本日朝はホテルで朝食。漬物、みそ汁、おにぎり、焼きそばという簡素なメニューだけれど朝食としては十分。

まず本日最初の目標地点、五所川原市金木町の太宰治斜陽館に向かう。弘前駅から40キロ、1時間ほど。この日はまち起しのイベントがあるようで、記念館(太宰の生家)前には地元の名士らしき方々、子供たちの鼓笛隊、津軽三味線弾きのご婦人方が席に着き始めていた。このあとの予定が詰まっているのでイベントには目をくれずに中を見学。太宰治が中学に進むまで過ごした邸宅であり作品類の展示室がある。
この家は明治40年に太宰の父であり大地主・金貸し・貴族院議員でもある津島源右衛門が建てたものでたいそう立派な室内装飾も見ることができます。設計は名棟梁といわれた堀江佐吉。明治期の木造建築物としてとても貴重な建造物で見る価値がありました。

ゆっくりしすぎて出発が予定より1時間遅れたので、十三湖あたりで昼食をとるのをやめて進むことにした。次の予定は外ヶ浜町の青函トンネル記念館と体験坑道もぐりであり、15時ごろには竜飛岬からターンしなければならない。前夜コンビニで買っておいたパンと、途中の道の駅で買ったスナック類で昼食代わりとした。

斜陽館から20キロ、30分で十三湖(道の駅)。十三湖から40キロ、1時間でトンネル記念館。13:30ごろには到着の見込み。権現崎にも寄りたかったがそのまま日本海に沿って中泊町・竜飛方面に向かって走ると、339号線は海岸を離れて山登りを始める(竜泊ライン)。眺望が開けたところに展望台がある。ここまでの山腹は紅葉が始まった感じで目を奪われていたのですが、この展望台に至るとこれまで走ってきた日本海や権現崎、遠くの岩木山がかすんでみえる風景に心が奪われる。

ケーブルカーに乗らなくてもいいやとの気持ちでこの場にとどまることにして、展望台(この場所は眺瞰台という)から北を見ると、竜飛岬の灯台が小さく見える。手前には風車が白く輝いている。トンネル記念館はその近くだ。30分ほどいただろうか、十分に眺望を堪能したので10分ほど先のトンネル記念館に向かった。

坑道にはケーブルカーで下る。25分間隔で発車し8分で地下駅に着く。地下ではガイド嬢の説明を聞いたり展示品を見たりしているうちに滞在時間25分が終わってしまう。この体験坑道駅はトンネル工事の作業坑として作られたものを利用している。坑道の先には本線が走っており、トンネル内での事故のときは体験坑道が乗客の避難路になるという。地上駅との高低差は140メートルだが、地上までは約900メートルの階段を上っていくことになる(-_-;)。

14時発のケーブルカーが地上駅に戻ったのは14:45。記念館前を出ると竜飛岬までは数分。15:20ごろに竜飛岬を離れて280号線を三厩ー今別ー平館ー蟹田ー蓬田と走り抜けて新青森駅到着は17時。岬から80キロ、100分は予定とおりの走りだった。

早めに到着したので、駅で土産物を選ぶ時間ができた。18:24発はやぶさ34号にて帰宅の途に。

 

 

 

 

 

 


麦草峠白駒池 2016秋

2016年10月06日 | 散歩、ハイキング、旅行

10月4日、先週29日には大雨のため駐車場から引き返した麦草峠に再度行ってきました。

前日は台風の影響で雨でしたが、今日は一転して東京は30℃を超す晴れ予報になったので早朝に出発しました。諏訪南ICから30㎞の麦草峠をめざします。メルヘン街道の愛称を持つ299号線はカーブが多いのですが、車が少なく快適に走れます。

8:30、麦草峠の無料駐車場に到着。先客(10台ほど)はすでに出発していました。靴を履き替え、朝食をとり出発。駐車場から数分で麦草ヒュッテです。ここから丸山-高見石経由で白駒池に向かいます。先に丸山を超えるか、帰りに丸山から下るかを考えましたが、高齢初心者としては体力あるうちに登ることにしました。手元の地図では登りコースは70分程度とあります(健脚ならば)。案内板を見て、推奨ルートに惹かれる気持ちもありましたが、ヒュッテ⇒高見石小屋⇒白駒荘のコース(点線)をとることにしました。

ヒュッテ前を8:50スタート。丸山の森、ここはチシマシッポゴケ(書いてあるがよくわからない)など一面の苔の原です。野草はほとんどなく足元は苔と倒木です。湿気が多くヒルも道に落ちていました。苔の種類がこれほど多いとは、植物の知識のない私はびっくりです(ヒルも初見です)。麦草峠の一帯は苔の森です。

だんだんと岩場になり、丸山に向かって登っていきます。昨日までの雨でとても歩きにくいうえに岩場のために慎重に(おっかなびっくり)登り続けます。後ろからきた方(同年輩)は、毎年来ているとのことですがこのコースを帰路にするのは怖いので、最近は登るだけにしているといいます。登りにしてよかった(^^;)。

丸山頂上(2329m)に着いたのは10:20頃、スタートから90分もかかってしまいました。麦草峠との標高差200mですが苔の森を過ぎてから足元の悪い岩場を上るのに不慣れなために苦労しました。頂上といっても眺望はよくありません。早々に高見石小屋に向かって下ります。20分ほどで到着(10:50)です。

トイレ(有料100円)がある程度しか事前に調べもせずに高見石小屋に着きました。小学生の遠足でしょうか、とても賑やかです。

小屋の裏手に「展望台」と書いてありますが、なんと岩場です。見るからに高くて険しそうですが、多くの人が登っています。私たちも、小屋の裏に荷物を置いて登りました。

眼下には白駒池が見えます。小学生たちも歓声を上げながら登ってきました。

 

 

高いところは好きではないのですが、青い空と素晴らしい眺望により怖さが飛んでいきました。きょう一番の景色です。 

高見石小屋まえで休憩し12時まえには出発しました。

 

白駒池まで急な下りのコースは30分程度ですがキツイですよ、推奨コースは楽ですよと地元の若い方が教えてくれましたが、急な下りコースをあるくことにしました。

12:30白駒荘に到着。白駒荘には高齢の団体客でいっぱいでした。一団が通り過ぎてから昼食。池の周囲の紅葉はまだのようです。ことしは暑い夏が続き、雨も多く、最近の2週間も気温が高いので、紅葉の条件が整っていないからでしょう。

13:00白駒荘前を出発、時計反対まわりで白駒池を周回。白駒キャンプ場・青苔荘(13:30)前から白駒駐車場に向かいます。

駐車場に向かう途中、高見石小屋からの推奨コースを小学生たちが下ってきました。駐車場のバスが木の間に見えるところで左に分岐し麦草峠に向かいます(13:50)。

10分ほどで白駒の奥庭、ロックガーデンです。岩の間を木道が整備されておりとても歩きやすい。シャクナゲが群生しています。

右手に299号線が木の間に見え隠れしますが、木道から土の道に変わったころから徐々に登っていきます。一本道なので間違いはないと思うのですが登っていくのでちょっと不安になりました。20分ほどで麦草峠から丸山へ登る道に合流しました。ヒュッテの屋根が見え、一安心です。14:25麦草峠(麦草ヒュッテ前)到着です。

岩場では岩の間に足が入って何度か転びました。右足膝下を擦りむき痛みが残っています。トレッキングを始めてから足は丈夫になってきたのですが、歩き方を学ばなければなりません。ヒルは想定していなかったので、対策しなければならないと思います。

駐車場出発8:50、同帰着14:30 (5時間40分) 

 


通し狂言仮名手本忠臣蔵(第一部)

2016年10月05日 | 読書・観劇・鑑賞メモ

あの忠臣蔵の全段を通しでみる機会がようやくきました。
2013(平成25)年12月の歌舞伎座 昼の部、夜の部では大部分を上演したのですがすべてではありませんでした。今回は国立劇場開場50年記念イベントとして完全版として全てをみせてくれるのです。かなりの上演時間になるので、10月から12月まで3回にわたっての上演です。きょうは11時開演-16時15分終演(途中休憩2回55分)です。
大劇場3階の3等席最後尾列の中央に席を確保できました。オペラグラスがあれば顔、視線までよく見えます。

10分前に開演を知らせるブザーが鳴りました。口上人形による配役と役者紹介です。人形浄瑠璃の慣習をもとにしているそうです。エヘン、エヘンと咳払いをして看板役者の名を呼びます。人形の動きが滑稽なので雰囲気がとても和らぎます。
木の音とともに大序「兜改め」がはじまるのですが観客席は若干ざわついています。東西東西の掛け声(場内静かにねという意味だそうです)とともに静寂になり、定式幕がゆっくり、ゆっくりと引かれていき、はじまりはじまりです。登場人物は首を垂れた人形の形であり、七五三の置き鼓、浄瑠璃で人物紹介されると息を吹き込まれ、人間になるというこの作品だけの演出だそうです。

大序:鶴ケ岡社頭兜改めの場

二段目:桃井館力弥使者の場、松切りの場

三段目:足利館門前の場(進物、文使い)、松の間刃傷の場、裏門の場

四段目:扇ガ谷塩冶館花献上の場、判官切腹の場、表門城明け渡しの場

三段目の「文使い」「裏門」は国立劇場では昭和63年以来28年ぶりの上演、四段目「花献上」は東京でも昭和50年以来の上演だそうです。

これまで、おかる勘平は悲劇=奉公人同士は恋仲になってはならないというきまりゆえの悲劇かと思っていました。三段目「文使い」「裏門」をみて二人が逃避行に至った筋がよくみえました。塩冶判官の妻顔世御前の言いつけに従わずに、勘平会いたさに高師直に手紙を早めに届けてしまい、その結果、主君の刃傷沙汰を誘発させてしまったおかると、おかるの誘いに乗って情事にふけったために城から締め出され刃傷沙汰後の主君の様子をつかめなくなり職場放棄・逃亡した勘平のオフィスラブの果てだった・・・と。江戸時代の台本なのですが現代風なストーリーでもあります。おかる勘平を悲恋に仕立てたのは昭和の時代劇映画だったのでしょうね。

本蔵の娘小浪(米吉)は美しかったなあ。11月の第二部、12月第三部は、菊五郎、吉右衛門ら看板役者の出演です。楽しみです。

 

 

 


2016-09 八島湿原晴れた! ゼブラ山~山彦耳

2016年10月02日 | 散歩、ハイキング、旅行

29日の蓼科はどしゃ降り、30日夜から八島湿原は雨、翌1日の霧ヶ峰ビーナスラインは朝靄と霧という生憎の天気でしたが、30日は朝から快晴でした(ラッキー!)。8月に物見石でお会いした方に教えていただいたゼブラ山コースを歩くことができました。

今回は、八島湿原ビジターセンターの駐車場から時計まわり、鎌が池ーゼブラ山ー山彦耳(北の耳ー南の耳)-車山乗越ー車山湿原ー沢渡ーヒュッテ御射山、初めて歩く湿原の外周6キロくらいのコースでしょうか。10時に駐車場をスタートし、のんびりと歩いてヒュッテには16時前に到着しました。

鎌が池を右に見ながら木道を30分ほど歩くと奥霧小屋(休業中)。ここから5分でトイレがあります(この先はない)。トイレを背にして進むと物見石ー蝶々深山のコース。きょうはゼブラ山コースですが、道がみつかりにくい。トイレの近くに小さな看板が立っていました。

 2歩程度の段差を上がると笹の間に踏み分け道があり、30分も歩くとゼブラ山(1776m)の頂上、湿原一帯が眺望できます。初心者にはこれだけで感動です。

ゼブラ山から南をみるとこれから目指す北の耳・南の耳がみえます。東側にはエコーバレースキー場のリフトが見えます。

北の耳からの山彦尾根はなだらかな草むらのコースです。耳の頂上に上がるには急斜面があるので一歩一歩注意して登りました(前日の雨で滑りやすい)。

二つのとがった丘が耳のようにみえます。右が「北の耳(1829m)」、左が「南の耳(1838m)」です。北の耳ー南の耳を越えると殿城山分岐のT字路(1832m)、ここを右に下れば車山乗越です。ゼブラ山から60分ほどのコースです。

車山の足元、車山湿原から沢渡に向かいます。車山肩経由コースもありますが、前回に車山肩から沢渡に下ったときに膝にきたので今回はこっち。草紅葉、森林限界線際の笹やススキがきれいでしたが、「雨後ぬかるむ」との注意書きの通りでした。

 

 

 

 

 

ゆっくりと休み休み歩いて16時前にヒュッテみさやまに到着。

翌10月1日夜にJAZZコンサートがあるので、今夜はメンバーの練習を聞くことができました。ナマで聞くと迫力ありますね。

来年の夏も楽しみです。

ヒュッテで本を見つけました。「不思議な円形遺跡」と書かれています。ヒュッテ御射山のまわりにある高台が競技場の観覧席だったようです。また八島・車山の杜若と山彦の伝説についても書いてありました。

http://www.hutte-kirigamine.jp/contents17.html
からの引用ですが、同じ内容です。
八島ヶ原湿原の北すみに現在も鏡のような美しい小さな池があります。むかしこの湿原の西の東俣に杜若(カキツバタ)というそれは美しい少女が住んでいました。また、池のはるか南側の尾根に山彦というこれもりりしい若者が住んでいました。
ある日二人はそれぞれ池へ散歩に出かけた時のこと、それまでたち込めていた霧が一瞬晴れわたりました。少女は若者のたくましい姿に、若者は少女の天女のような美しさに惹かれ、一目で互いに好きになってしまいました。
しかし二人ともまだ自分の本当の姿を見たことがありません。そこで、まず山彦が池に姿を映してみることにしました。と、その時突然車山の方から風が吹き、さざなみがたちました。水面にはゆがんで鬼のように恐ろしく醜い山彦の姿が映し出されました。今度は杜若が水面をのぞくと風もなく、美しい姿が浮かび、思わず自分で見とれてしまいました。がっかりした山彦は車山の陰の谷に隠れて、二度とと出てきませんでした。一方少女は美しい自分の姿に見とれている内、そのまま池のほとりの紫の花、カキツバタになってしまいました。池のほとりで谷の方をむいて「オーイ」と呼ぶと山彦が「オーイ」と返事はしますが相変わらず姿は隠したままです。小さな池は「鬼ガ泉水」と言って、今でもきれいな水をたたえています。
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旧御射山遺跡
八島ヶ原湿原の南端に旧御射山遺跡がある。古代から五穀豊饒を祈願した祭りが最も盛んになったのは鎌倉幕府の時であり、全国から鎌倉の武士達が集い、流鏑馬(やぶさめ)や笠懸(かさがけ)などの武術を競い合ったことから、国体発祥の地とも言われている。西側の丘には観客席跡の土段が残っている
尾花ふく穂屋のめくりのひとむらに
 しばし里あり秋の御射山
諏訪大社下社大祝 金刺 盛久の歌
 
きょうのブログはここまで。