OYOT殿と見に行った訳だが、クリティカルなツッコミどころが有って笑いそうになった。詳しくはネタバレなので伏せときますけど…。
OYOT氏はかなりやられた様子で”心が痛い…”っと申されていたのが印象的だったが、なんかおいらが変な奴みたいじゃないのさぁ~、まぁボケはここまでにしておきまして考えた事あれこれー。
映画の中で間者を探すシーンがあったのだが、日本でも同じで忍者等の間者を発見するのに使っていたのを思い出した。まぁこの間者は殺される訳だが仕方ないよね、現代でもジュネーブ条約ではゲリラ、スパイは捕虜にはなれず殺されても止むを得ないとなっている。やはりスパイ等の情報の流出は春秋戦国時代でも現代でも脅威以外の何物でもないのね、一人の間者の少女を命を奪わないで領民4000人の命を危険にさらす訳には行かないもんね。現代の例でいえばペルーでの日本領事館がトゥパクアマルに占拠され警察の特殊部隊が突入したさいに、トゥパクアマル側に少年、少女兵がいたが殺害されていたように記憶している。この際マスメディアはこの行為には批判する報道も無かったのをおもいだしたーヒューマニズム的観点から言えば許されない暴挙なんだろうけど、為政者としてはそんな事言ってられないし国家の威信にかけて排除しなければならないしね。
ここである考えが浮かぶ、ヒューマニズムは時として政権、集団に対して有害な場合がある。まぁ平時はヒューマニズムが優先されるべきではあるけど。
あと梁の君主、なーんか腹黒いなぁーっと思うけど、あれ位でないと戦国時代の国家運営は出来ないんじゃない?人を利用して切り捨てる時も躊躇なく切り捨てる非常さも時として必要だし、(例えば武田信玄の息子も政略結婚で利用して嫁側の国を攻めるさい、自害させている)ただこの君主は切り捨てるにしてもタイミングが最悪な時に最悪なカードを切ってる印象を受けた。カードの切り方さえ間違えなければ、仁君には成れないけど、良君には成れたのではなかろうか?っと推測する。
あとは色々妄想しながら見てましたー、こうでもしないと見れたものじゃない。何を妄想したかはナイショ。
そんなにツッコミどこがあるの?
むむむ・・・
原作と映画のテイストの違いにどれだけ順応出来るか。
と云うとこでせうか?
原作未経験のアタイは良作だと思ったよ。
参考になれば幸い…
結構面白いと思ったけど、
最後の巷淹中の攻め方(城に入る方法)には突っ込みを入れたい。
http://oyot.mo-blog.jp/kusakanmuri/2007/02/post_884b.html#comments