飼い猫の遠吠え

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成子天神社(成子富士) その後

2012-07-09 23:55:47 | スポットなたしなみ

成子天神社の富士塚
大正九年(1920)成子天神社境内にあった天神山を改造して、区内で最後に築造された富士塚である。
溶岩で築き、山つつじを植えており、高さは約十二メートルと比較的大規模なものである。
富士塚は、江戸時代中期より、江戸の商人・職人・農民の間に盛んになった富士信仰の遺跡である。
同業者を中心に富士講が組織され、社寺の境内に小富士を築いて崇拝し、管理運営を行った。
成子天神の富士塚は、柏木・角筈地域の人々で組織した丸藤講が運営にあたっていた。
なお、塚の斜面をめぐる七福神像は、昭和五十八年(1983)に新造されたものである。

平成三年一月 東京都新宿区教育委員会



新宿にこのような巨大な富士塚があること自体が驚きですが、江戸後期~明治初期あたりがメインと思っていた富士塚信仰が、大正時代になってから築造されるのも珍しいなと素人ながら思っておりました。ただ、途中から七福神なども配されてるようになって、あまり富士山と関係ない感じになってしまったのが残念ではありますが・・・。

そんな成子天神社の富士塚(成子富士)ですが、以前記事にした際にも記載したように、マンション建設のために以前のような姿は見られなくなってしまったとのことでした。その辺りの経緯詳細については、Wikipediaで書かれている位ですし、読んでみるとあまり良い感じがしないのも確かでして、まぁ色々あったのだろうなぁと思わされるものになっています。

成子天神社(Wikipedia)

とはいえ、有名どころの富士塚であっても、移設・解体を余儀なくされていることも多いのも事実ですし、これだけ大きな建造物を維持管理していくのも大変なご時世です。一見の自分などが口を挟める事柄ではありませんので見守るしかありませんが、少々残念な感じはしてしまいます。

とにかく、あの狛犬は残して欲しかったです・・・(あれ、富士塚じゃないの?


在りし日の成子天神社・成子富士は以下の記事にありますので、
今の状況と見比べて頂くとより良く分かるかもしれません。

東京都区内富士塚巡り(3):成子天神社(なるこてんじんじゃ)


成子天神社
東京都新宿区西新宿8-14-10




地下鉄丸の内線西新宿駅から歩いて直ぐ
地下鉄の出口案内にも記載されているので、この辺りでは有名な神社ですね

ここにあった鳥居などは、現在は撤去されています



雨のため画像が暗めで申し訳ないです

以前の参道は、現在は工事車両の通用口になっていました
歩行者の参道は、その右側に確保されています



こちらが現在の神社入口
規模は小さくなっていますが、残っているのは有り難いことです



現在は仮殿での参拝が可能なようです



以前の本殿などがあった場所は、建設工事中のため囲われていました



裏手から見ると完全なビルの建設現場となっていて
神社の面影は全くなくなっておりました



やはり歴史ある場所の面影が無くなってしまうのは寂しいなぁと思ってしまいます

ここに、新しいマンションが出来るんですね

・・・あれ?

このコンセプト

「整備された成子天神社に寄り添う住まい」?!



てっきり神社を無くしてマンションが建つものだと思っていました。
神社がなくなったことだけがイメージされてしまっていたので、よくよく見ていると当初から「成子天神社再整備プロジェクト」になっていたのですね。恐らく社殿・本殿は建て直しでしょうが、力石や狛犬などは・・・無理ですかね(力石は、新宿区指定有形民俗文化財でしたから、文化財として保護されているといいのですが・・・一緒に狛犬も・・・)。

そんな予定地図を眺めていると、もっと驚く記載があったのです。



えっ、富士塚残るんですか?!



てっきり同様に更地にしているのかと思っていましたが、なんと富士塚はそのまま残すコンセプトのようです。
「富士塚の姿を美しく整え、周囲に季節の花々を植栽」とのことですが、花に囲まれた富士塚なんて、もうそれは富士塚ではなくてただの築山か公園の小山だ、と富士塚フリークあたりからは突っ込まれそうではあります。とはいえ、残ると分かっただけでもめっけもんです。

ということは、と思い裏手に廻ってみると


富士塚らしき小山は、残っていました


山頂のポールも健在です



中には入れませんので周囲を見ていると、駐車場となった場所の隣には
浅間神社が昔と同じ場所でそのまま残っているではありませんか
・・・猫も隠れていました



その隣には、震災で山頂から移動することとなった木花咲耶姫命もいらっしゃいました



七福神も健在のようです



工事のため若干削られているようにも感じますが、ちゃんと残っているようです



正面から見ると、このような感じで神社左奥の小山は残されていたのです



良く見てみると、ちゃんと七福神は健在ですね



信仰が無くなったところでは、富士塚と全然違うものに変貌を遂げてしまうのは、致し方ないことだと思います。
その結果として、更地にされるより、有効利用されるだけ有り難いことなのかもしれませんね。無くなったと思っていたものに出合えた喜びと、再開発というその結果を見て、複雑な気持ちになった再訪問でした。


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