前回までのあらすじ
ようやく富士塚登山を果たしましたが、まだまだ山が呼んでいるような気がします。
次は、どこですか?!
東京都区内富士塚巡り(1)
東京都区内富士塚巡り(2)
東京都区内富士塚巡り(3):成子天神社(なるこてんじんじゃ)
西新宿は、人の溢れる大都会。街は、オサレな格好をした若者やビジネスマンで溢れています。
そんな大都会新宿で、ジャージもどきのような格好にウォーキングシューズでウロウロとしているものですから、我に返るとその不釣り合いさが恥ずかしく、スゴスゴと逃げるように東新宿に向かいます。花園神社に寄り道しながら(ここにも小さいながらも富士塚があります。芸能浅間神社のところです)、向かった先は、西向天神社(大窪天満宮)。移設された富士塚があるという話です。
西向天神社(大窪天満宮)/東大久保富士塚
東京都新宿区新宿6-21-1
こちらが神社入り口
新宿から少し離れたとはいえ、こういった静かな場所もあるのですね
江戸狛犬は、何ともいえない風情を感じます
境内は非常に綺麗で
とても大切にされているのが良く分かります
拝殿の方の狛犬は、がっしりとしたタイプです
と、参拝を終えて見回しても、それらしい場所がありません。
左隣にはお寺(大聖院・山吹坂/紅皿縁起でも有名)があり、右隣には公園があり、それらしい山は見当たりません。あれ、公園の先に何かあるような感じですね。
神社を出て回り込んでみると、坂の脇には、本日見慣れた、しかし遠くからしか眺めることしかできなかった富士講の石碑がそこかしこに見られます。神社・公園の高さが山頂となっているようで、階段下からが山の形となっているようです。
この上り坂の左手が富士塚になっているようです
急な坂道から道路になっているので、車止めは可愛らしい犬が見張っています
これは、まごうことなき富士塚ですね
しかも結構規模が大きいようです
上に登ると「天神山児童遊園」となっていました
期待の富士塚は山頂と同じ高さのようでしたので、山頂が公園になっているのかと思いましたが、残念ながら見えていた山頂は、今回もフェンスの向こう側。再び見ることだけとなったのでした。おぉぅ・・・。
折角なので、山の全景写真でも撮っておこうと再び下にやってくると
浅間神社の表記を発見、しかし表記のみで社はありませんでした
本日初めての一合目とご対面
そして、その先に見えるのは、人穴(胎内)を模したものなのでしょう
思いのほか本格的です
最初は通路も無いのかと思われましたが、しばらくウロウロしていると
脇から歩けそうな道が見つかりました
あっという間に七合目
恐る恐る登っていくと、遂に山頂に到着
フェンスの向こうに見える公園のベンチから奇異な視線を感じながらですが、無事富士塚登山を完遂です
勢いにのって続いて向かったのは、西早稲田。
まぁ歩けない距離ではないため戸山公園を横に見ながら次なる目的地に向かいます。あちこちフラフラと立ち寄りながら、加えて地図無しですから迷子になりながら、ようやく辿り着いた場所は・・・マンション?
パストラルハイム面影橋の入口に何故か神社の名前がありました
実際は、この奥に参道があったためでして、一般的な入口は別の場所にあるようです
屋根の具合が綺麗な拝殿
古墳?!
新宿区戸塚町の由来は、ここにあるそうです
古墳という文字を見てしまったからですが
想像していたよりは小さめですね
水稲荷神社
宝泉寺の北側、早稲田大学九号館のあたり(旧水稲荷神社境内)には、高田富士塚と呼ばれる江戸の名所がありました。江戸時代中期以降、江戸では富士信仰がさかんとなり、各地で「富士塚」という模造富士がつくられました。なかでも高田富士は江戸で一番古く、安永8年(1779年)に、高田村の植木職・高田藤四郎が手がけました。
高田富士塚は、早稲田大学が昭和38~39年に当時の水稲荷神社の社地を購入したため崩されて、区立甘泉公園のわきに移転した現在の水稲荷神社境内で復元されました。高田富士塚が移転した跡には、早稲田大学九号館の高層ビルがそびえたっています。
(新宿区観光協会)
・・・おかしい。
この規模のものが、こんな小さな富士塚なわけがありません(実際、あちらは富塚でした)。
ということで、再び調査を開始したのでした。
懐かしいですね・・・とはいえ、何故ここに?!
続いて到着したのは、神社の隣にある甘泉園公園
小さいながらも水遊びが楽しめる公園です
家族連れが水遊びを楽しんでいました
それにしてもこんな場所があったのですね
表記は無いですがここが入口のようです
通常では一般公開されていないため、全く分かりません
見上げると、何かありそうといった程度しか見えません
これは、実際の公開日(7月下旬)にならないと分かりませんね
そろそろ、日も翳ってきましたので、次が本日最後となるでしょう。再び歩いてやってきたのは、有名な千駄ヶ谷の富士塚です。
昭和7年(1932年)10月に千駄谷町を含め「渋谷区」となった際に
その解散記念で奉納された狛犬のようです
将棋堂も珍しいですが、左馬には「棋力向上」の文字が
そしてお目当ての富士塚は、大々的にアピールされていました
これだけ立派な富士塚は、なかなかお目にかからないですからね
なんと、登山記念の御朱印まで
登山口を守る狛犬は、余り緊張感も無いようなお顔
こちらは、窪みに石を入れられてしまったようで・・・
ということで、本格富士登山のスタートです
登りはじめて直ぐに「参明藤開山」と彫られた碑が建っています
登山口からゆっくり登っても一分位
登るのも他の富士塚と比べれば幅に余裕もあって楽ですね
しかし、
そして山頂
やっぱり高いです
帰りは転げ落ちないように慎重に・・・
境内から見えるおしゃれビルは、何だか薄っぺらく不思議な感じ
ここの狛犬は、本当に格好が良いです
色々充実した一日でした
スカイツリーもこのときはまだ未完成
しかし、何処からでも見えるというのは、何だかいいですね
最後は、蛇骨湯で一日の疲れを癒して、富士塚ツアーも終了です
と、都内にもまだまだ富士塚がいくつか残されています。
江戸時代には、数百もあった富士塚は、戦争、土地や安全性の問題、信仰の減少などの要素もあったと思いますが、年々少なくなっていき、現在は数える程(ブラタモリでは、60ほどといっていましたっけ)になりました。実際の富士山登山がブームから一般化していっていますが、まだまだ誰もが行ける場所ではありませんから、人々の富士山信仰の場として残って欲しいものですね。
もちろん、富士塚は、神聖な場所ですので、遊び半分で登るものではありませんから、真摯な気持ちで登って下さい。7月1日の富士山の山開きには、富士講の方による山開きが富士塚で行われますので、今回閉鎖されている富士塚も登れるようになるはずです。富士山に憧れる皆さん、長寿を祈念して、チャレンジしてはいかがですか?
おしまい
ようやく富士塚登山を果たしましたが、まだまだ山が呼んでいるような気がします。
次は、どこですか?!
東京都区内富士塚巡り(1)
東京都区内富士塚巡り(2)
東京都区内富士塚巡り(3):成子天神社(なるこてんじんじゃ)
西新宿は、人の溢れる大都会。街は、オサレな格好をした若者やビジネスマンで溢れています。
そんな大都会新宿で、ジャージもどきのような格好にウォーキングシューズでウロウロとしているものですから、我に返るとその不釣り合いさが恥ずかしく、スゴスゴと逃げるように東新宿に向かいます。花園神社に寄り道しながら(ここにも小さいながらも富士塚があります。芸能浅間神社のところです)、向かった先は、西向天神社(大窪天満宮)。移設された富士塚があるという話です。
西向天神社(大窪天満宮)/東大久保富士塚
東京都新宿区新宿6-21-1
こちらが神社入り口
新宿から少し離れたとはいえ、こういった静かな場所もあるのですね
江戸狛犬は、何ともいえない風情を感じます
境内は非常に綺麗で
とても大切にされているのが良く分かります
拝殿の方の狛犬は、がっしりとしたタイプです
と、参拝を終えて見回しても、それらしい場所がありません。
左隣にはお寺(大聖院・山吹坂/紅皿縁起でも有名)があり、右隣には公園があり、それらしい山は見当たりません。あれ、公園の先に何かあるような感じですね。
神社を出て回り込んでみると、坂の脇には、本日見慣れた、しかし遠くからしか眺めることしかできなかった富士講の石碑がそこかしこに見られます。神社・公園の高さが山頂となっているようで、階段下からが山の形となっているようです。
この上り坂の左手が富士塚になっているようです
急な坂道から道路になっているので、車止めは可愛らしい犬が見張っています
これは、まごうことなき富士塚ですね
しかも結構規模が大きいようです
上に登ると「天神山児童遊園」となっていました
期待の富士塚は山頂と同じ高さのようでしたので、山頂が公園になっているのかと思いましたが、残念ながら見えていた山頂は、今回もフェンスの向こう側。再び見ることだけとなったのでした。おぉぅ・・・。
折角なので、山の全景写真でも撮っておこうと再び下にやってくると
浅間神社の表記を発見、しかし表記のみで社はありませんでした
本日初めての一合目とご対面
そして、その先に見えるのは、人穴(胎内)を模したものなのでしょう
思いのほか本格的です
最初は通路も無いのかと思われましたが、しばらくウロウロしていると
脇から歩けそうな道が見つかりました
あっという間に七合目
恐る恐る登っていくと、遂に山頂に到着
フェンスの向こうに見える公園のベンチから奇異な視線を感じながらですが、無事富士塚登山を完遂です
勢いにのって続いて向かったのは、西早稲田。
まぁ歩けない距離ではないため戸山公園を横に見ながら次なる目的地に向かいます。あちこちフラフラと立ち寄りながら、加えて地図無しですから迷子になりながら、ようやく辿り着いた場所は・・・マンション?
水稲荷神社(戸塚稲荷神社)/高田富士塚
東京都新宿区西早稲田3-5-43
東京都新宿区西早稲田3-5-43
パストラルハイム面影橋の入口に何故か神社の名前がありました
実際は、この奥に参道があったためでして、一般的な入口は別の場所にあるようです
屋根の具合が綺麗な拝殿
古墳?!
新宿区戸塚町の由来は、ここにあるそうです
古墳という文字を見てしまったからですが
想像していたよりは小さめですね
水稲荷神社
宝泉寺の北側、早稲田大学九号館のあたり(旧水稲荷神社境内)には、高田富士塚と呼ばれる江戸の名所がありました。江戸時代中期以降、江戸では富士信仰がさかんとなり、各地で「富士塚」という模造富士がつくられました。なかでも高田富士は江戸で一番古く、安永8年(1779年)に、高田村の植木職・高田藤四郎が手がけました。
高田富士塚は、早稲田大学が昭和38~39年に当時の水稲荷神社の社地を購入したため崩されて、区立甘泉公園のわきに移転した現在の水稲荷神社境内で復元されました。高田富士塚が移転した跡には、早稲田大学九号館の高層ビルがそびえたっています。
(新宿区観光協会)
・・・おかしい。
この規模のものが、こんな小さな富士塚なわけがありません(実際、あちらは富塚でした)。
ということで、再び調査を開始したのでした。
懐かしいですね・・・とはいえ、何故ここに?!
続いて到着したのは、神社の隣にある甘泉園公園
小さいながらも水遊びが楽しめる公園です
家族連れが水遊びを楽しんでいました
それにしてもこんな場所があったのですね
表記は無いですがここが入口のようです
通常では一般公開されていないため、全く分かりません
見上げると、何かありそうといった程度しか見えません
これは、実際の公開日(7月下旬)にならないと分かりませんね
そろそろ、日も翳ってきましたので、次が本日最後となるでしょう。再び歩いてやってきたのは、有名な千駄ヶ谷の富士塚です。
鳩森八幡神社
東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
昭和7年(1932年)10月に千駄谷町を含め「渋谷区」となった際に
その解散記念で奉納された狛犬のようです
将棋堂も珍しいですが、左馬には「棋力向上」の文字が
そしてお目当ての富士塚は、大々的にアピールされていました
これだけ立派な富士塚は、なかなかお目にかからないですからね
なんと、登山記念の御朱印まで
登山口を守る狛犬は、余り緊張感も無いようなお顔
こちらは、窪みに石を入れられてしまったようで・・・
ということで、本格富士登山のスタートです
登りはじめて直ぐに「参明藤開山」と彫られた碑が建っています
登山口からゆっくり登っても一分位
登るのも他の富士塚と比べれば幅に余裕もあって楽ですね
しかし、
そして山頂
やっぱり高いです
帰りは転げ落ちないように慎重に・・・
境内から見えるおしゃれビルは、何だか薄っぺらく不思議な感じ
ここの狛犬は、本当に格好が良いです
色々充実した一日でした
スカイツリーもこのときはまだ未完成
しかし、何処からでも見えるというのは、何だかいいですね
最後は、蛇骨湯で一日の疲れを癒して、富士塚ツアーも終了です
と、都内にもまだまだ富士塚がいくつか残されています。
江戸時代には、数百もあった富士塚は、戦争、土地や安全性の問題、信仰の減少などの要素もあったと思いますが、年々少なくなっていき、現在は数える程(ブラタモリでは、60ほどといっていましたっけ)になりました。実際の富士山登山がブームから一般化していっていますが、まだまだ誰もが行ける場所ではありませんから、人々の富士山信仰の場として残って欲しいものですね。
もちろん、富士塚は、神聖な場所ですので、遊び半分で登るものではありませんから、真摯な気持ちで登って下さい。7月1日の富士山の山開きには、富士講の方による山開きが富士塚で行われますので、今回閉鎖されている富士塚も登れるようになるはずです。富士山に憧れる皆さん、長寿を祈念して、チャレンジしてはいかがですか?
おしまい
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