2011年8月15日(月) 午後
宗像神社を後にして、大島に渡ろうと考えておりましたが、その前に一つ行ってみたい場所がありました。
宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)。最初見たとき、宮地獄神社と勘違いして、良くこんな名前になったなぁと驚いたという自分の記憶によく残っている神社ですが、ご由緒は、神功皇后をお祀りした1700年前に創建されたともいう非常に歴史の古い神社でも有りますので、結構スポットが当たることも多いようですし、神社紹介にも良く名前が出てきます。
「何事にも打ち勝つ開運の神」「商売繁盛のご利益」といったところも、現代の信仰にあっているのかもしれませんね。
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運動会の入場門・・・ではなくて駐車場の入口
なんとなく入ってよいものか躊躇われるフォルムです
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駐車場からは、お店を見ながら神社に向かいます
正月などは大混雑になるそうですね
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宮地嶽神社の名物といえば、松ヶ枝餅
話には聞いていましたが、これは、大丈夫なのでしょうか・・・。
神社の歴史的には、宮地嶽神社が古いですが、梅ヶ枝餅は商品としての由緒がきちんとしているため、おそらく分が悪い所でしょう。形も味の方向性も違いますから問題ないとは思いますが、味は美味しいのですから、名前で得と損の両方をしているようで、ちょっと勿体無い気がします。
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そんなことを考えつつ歩いていると、入口に到着したようです
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階段を上っていくと
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狛犬さんがお出迎え・・・って、何故金色?!
狛犬の目の塗り方は注意しないと本当に怖くなってしまいますから
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こちらは普通の狛犬さん
ちょっと身体の方は省略されてしまった感じですけど
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あちらに見えるのは、在自山 (あらじやま)
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こちらは伏牛
先ほどの松ヶ枝餅がイメージされて、どうも変な想像をしてしまいます
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狛犬の充実っぷりはなかなかのものです
ありがたや
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色も姿もマッチョです
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近接でもと思った一枚が
何故こんなエロ目になっているのですか・・・
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立派な神門
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特別有効会員(500万円)というのは、普通の人には手が出ませんね・・・
でも、希望の内容の石標を掲げて頂けるのですね
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いやいや、これはサンプルとしてはアウトでしょ・・・
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・・・こほん
狛犬さんも色々な種類があります
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本殿には、大きな注連縄が飾られています
日本一の注連縄だそうです
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これは、大きいですね
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何だか下の人を心配してしまう大きさです
そういえば、日本一の注連縄といえば、出雲大社の注連縄が思い出されますし、あちらも日本一となっていたようなという疑問もありまして、ちょっと確認をしてみました。比較の写真を探したものの見つからず・・・
宮地嶽神社:長さ 13.5m、直径 2.5m、重さ 5t
出雲大社 :長さ 13m、周囲 9m、重さ 5t
出雲大社の色々な情報で、長さ 13.5m、重さ 6t(4.5t)などの内容もありましたが、公式のホームページが長さ 13m/重さ 5tとしているので、こちらが正式見解なのでしょう。長さとしては、宮地嶽神社の方が長いようですが、胴回り換算で考えると 宮地嶽神社は、少々細めの 8m弱となるようですから、結論としては、どちらも日本一といって良いと思います。
尚、比較対象となっている出雲大社の日本一の注連縄は、神楽殿のものになりますので、現在、平成の大遷宮で改修が進む拝殿の方の注連縄は、長さ 8m、周囲 4m、重さ 1.5tとなりますので、拝殿での大きさとなると宮地嶽神社が日本一で間違いないですね。
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奥飲み屋という変換が最初とは・・・
拝殿の右手より奥の宮八社への参拝が可能です
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右手は、民家村自然広苑や池や菖蒲や動物など、色々と楽しめます
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うぉっ、手水舎というよりも、豪華な噴水のよう
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恋の宮
濡髪大明神と淡島神社、陰陽石のコンボで完璧だそうな・・・何が?
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ちょこちょこ面白いものがあって困ります
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ツッコムのに疲れたら、十叶茶(とかのうちゃ)で一服
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不動神社/横穴式石室古墳でお参りした後に
こんな標識を見付けてしまいました
見て回るよりは、やっぱりこういった自然も無いとですよね
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まぁ、普通の遊歩道といった感じ
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あれ?
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あらら
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ゼイゼイしながら、やっとこさ到着
宮地嶽神社 古宮の由来
今を去る、1600年余り前、息長足比売命(神功皇后)は、此の地、宮地嶽山頂に於いて八百万の神々に「天命を奉じて彼の地へ渡らむ 希わくば開運を垂れ給え」と祈願され大陸へ出帆されました。皇后の余りにも有名不可思議な御偉業を称え、ここに御祭神として祀り宮地嶽神社が創建されました。
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そして、先ほどの文章の通り、宮地山の山頂でもあるようです
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そのまま戻ろうと思いましたが、この案内を見て
行ってもいいかな・・・と思ってしまいました
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山頂に出たからか、先程よりは歩きやすい道を進みます
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森の中は非常に暑かったので
見晴しの良い場所に出ると、風がとても気持ちいいです
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少し歩くと在自山山頂に到着
ここに来るまで「自在山」と読んでいましたが「在自山(あらじやま)」だったのですね
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展望らしい所は山頂には無し
登頂した人が書くのか雑記帳がありました
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ここまでで1.2km
結構歩いたと思ったのですが、運動不足ですね
この先も行ってみたい気もしますが、この後もありましたので戻ることにしました
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境内に戻ってきてふと横を見ると
本殿が光っていました・・・何ですか??
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光の加減だと思っていたのですが、正面から見たところでも
うわぁ・・・金色・・・
黄金の屋根と金成伝説
宮地嶽、それは黄金の歴史。
宮地嶽神社には、約二百六十年以上前に出土した、全国でも第1級の大きさを誇る横穴式石室を有する巨石古墳があります。約6世紀末の建立と見られてます。
その石室は、全長23メートル、高さ幅とも5メートルを超える巨大な石を積み重ねて造られており、大太刀や刀装具、馬具類、緑に輝く瑠璃壺や瑠璃玉、そしてガラス板など、およそ300点が発見され、そのうち20点もの品々が国宝に指定されています。それらの中で特に目を引くのは黄金を使った品々です。金銅製の冠は黄金に龍や虎の透かし彫りが施されています。
3.2mの大太刀は頭椎(かぶつち)がついており、やはり金の装飾が施されています。教科書などでもお馴染みの金銅製の鐙(足置き用の馬具)は、金の七葉唐草文が貼付され、遠くオリエントを感じさせます。宮地嶽の古墳の主は、金の冠をいただき、金の刀装具や馬具で身を固めるような、まさに北部九州王朝の王と呼ぶにふさわしい人物だったのです。
そして、金成りの信仰へ。
このような我が国では稀なる黄金の出土品や、この地に伝わる九州北部王朝の口伝から、古来より宮地嶽に祀られる神は、崇高かつ有福な神として慕しまれていました。そして、時代の変遷とともに開運の神、商売繁盛の神として崇められるようになっていきました。宮地嶽神社には日本一の大注連縄、大太鼓、大鈴がありますが、これらもまた、この日本一の聖なる力にあやかろうとする信仰から奉納されものです。
そして、御創建以来1600有余年を経て、本殿の御遷座80年の節目に、宮地嶽神社は、北部九州王朝の聖地として栄えたこの地にふさわしいように、黄金の屋根に生まれ変わりました。その様は、あたかも、宮地嶽の古墳の主が、黄金の宝冠を頭上に掲げていたようです。
(宮地嶽神社ホームページより)
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六百俵の碑
そんなコテコテの虚栄よりも
こういったところを大事にした方が良いと思います
徳川時代の半ばごろまで、ここ宮司村は、砂混じりの痩せた農地が多く、常に水不足に悩まされるなど、農家は苦しい生活をせまられていました。
しかし、村民は互いに助け合い、農業のほか、わら細工製造等に励むかたわら、11歳以上の村民総出で溜池(林口池)を造って水不足の解消に努め、年貢米はいつも一番に納めたとのことです。
また天明5年 (1785年) の大飢饉の時も、宮司村だけは年貢米の返上を願い出ず完納しました。
このようなことから、時の藩主は宮司村を他村の模範として表彰し、寛政2年 (1790年) 褒美として米六百俵を贈りました。
村民は、この栄誉を後世に永く伝承するとともに、村の繁栄を願って、褒美の一部をもって村内の出生児に産着を贈ることとし、現在もこの慣わしが続けられています。
大正8年 (1919年)、これら先人の偉業を讃えるため、記念碑が建てられました。
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