(前回のあらすじ)
神社が俺を呼んでいる!(← 呼んでないって)
・・・ということで、午後に淡路島に到着した訳ですが、ちょっとウロチョロしただけで、もういい時間になってきました。楽しい時間は経つのが早いのか、移動距離がやはり長いのか、出来るだけ行きたい場所だけは行っておきたいので、早速次の場所を検討します。
まぁ、先に行く場所を決定しないで旅行しているわけですから、スケジュールもへったくりもないのが良いのか、悪いのか。そこで、次に行っておきたい場所、『おのころ島神社』に車を向けたのでした。
ここは、下道でも良かったのですが、高速を使うという、旅の風情そっちのけの移動手段を駆使しまして、最短距離で神社に向かいます。旅ガイドにもちょこっと載っているので、案内はあるだろうと思っておりましたが、小学校傍のどうにも分かり辛い看板が一つあるのみで、しばらく同じ場所をうろうろ、うろうろ。目印は、日本三大鳥居とも言われた『巨大鳥居』ですので、これだけ建物も低く見晴らしが良いので、簡単に見つかるだろうと高をくくっていたのですが、周囲を見回してもそれらしい鳥居の影すら見えません。何度か看板を起点に行ったり来たりを繰り返した結果、
ようやく住宅街ににょっきり生える鳥居を発見
何で気が付かなかったんでしょうか・・・
時間はロスしてしまいましたが、なんとか次なる神社に到着です。
ド、ドーンと鉄筋コンクリート 21.7m
近くで見るとなかなかの迫力です
神社のベンチを見ると地元のお酒が分かる
島の名酒「都美人」(メモメモ)
ちょっと暗い場所に入ると、すぐに写真はボケボケに
R8のいけずな所です・・・って、そろそろ学習しないとですわ
こちらが自凝島神社(おのころじまじんじゃ)
神社名の書かれた碑には「磤馭盧島神社」とありましたが、難しすぎて読めません
<ワンポイント歴史>
これで、この神社が登場するレポは3回目となりましたので、折角ですから、ワンポイント歴史の時間に突入です。
今回は、『おのころ島』というのは、一体何なのかについてご説明。
※ おのころ島神社の記載を参考にしております
日本の神話は、社会の時間でも勉強した「古事記」と「日本書紀」がベースとなって伝えられています。そこに、『国生み』という日本誕生の話が書かれております。
神代の昔、国土創世の時にイザナギとイザナミは、天の浮橋に立って、天沼矛を持って海原(下界)をかき回しました。その矛より滴る潮が、おのずと凝り固まって島となり、これが自凝島(おのころじま)と呼ばれます。
※「こをろこをろ」とかき混ぜたことという話もあります。
ニ神はこの島に降り立ち、八尋殿(やひろでん)を建て、先づ淡路島を造り、つぎつぎと大八洲(日本列島)を拓かれたとなっているのです。ですので、日本の中では、「淡路島」が国生みの歴史の中では、最初の島となっていることもあり、こういった原初の神話の地としての名所があちこちに見られるのです。
例えば、この場所以外にも、おのころ島といわれている場所も多く、南部の「沼島」(最有力・フェリーで渡ります)、北部の「絵島」(明石海峡大橋のそば)、または、この淡路島自身がおのころ島であるという説もあったりします(他にも、淡路島の隣の沖ノ島、播磨灘の島々も候補に上げられています)。そんなプチ知識を持って探索すると、あちこちに見られる神話的な雰囲気も、より楽しむことが出来ると思いますよ。
そんな原初の島のそばには、葦原国もあったりします
葦原国は、国生みの前に誕生していた日本国の別の呼称・・・とでも言えばいいでしょうかね
地図が無かったもので、この標識を見つけるまでに、結構ウロウロさせられました
葦原・・・ではなくて田んぼです
こんな風景を見ていると、なんだか懐かしい感じがします
あの木に囲まれた場所のようですね
コンクリながらあぜ道を歩く
こんな風景を見ていると、昔落っこちてドロドロで泣いて帰った記憶が蘇ります
何故か意識すればするほど、身体が左右に振られてしまうのは不思議
ちょっと荒れた感じに見えますが、ここが葦原国
イメージと違ってちょっと残念ではありましたが
周囲は、神話どおりの五穀豊穣の地となっておりました
他にも国生みをした地ともなっている『天の浮橋』もあるそうです
もちろん行かずにはいられませんって
跡地とは書いてありましたが、民家の隣にいきなり登場
うむむっ、風情もへったくりも無い状態に、ちょっと切なくなりましたが、時代の流れでしょうかね
飛び出しさん(?)がちょっと可愛くなっていました
・・・って、よく見たらここは小学校の前
・・・って、こんな変な物を写真に撮る変な人
・・・おおっ、ヤバイ
そそくさと逃げてきて
約30分ほど、ぐるっと1周日本起源ツアーでした
この後、下道で本日淡路の締めと考えていた、慶野松原&淡路サンセットラインに向かいます。慶野松原には、気になって仕方が無い『プロポーズ街道』がありますし、サンセットラインというだけあって、このあたりの夕日は最高!と聞いていますので、今後のために(?)視察です。
神社から慶野松原までは、ほんの数キロでしたから、暗くなる前に到着しました。「白砂青松100選」にも選ばれている松原というだけあって、松がずらりと並んでいます。ですから、ここからでは全く海が見えません・・・。駐車場があると聞いていましたので、そこに停めようかと思っていましたが、今の時期は、海水浴シーズンでもあるので当然有料。しかも1日 700円ですから、ちょっと立ち寄りの金額では厳しいと、即座にUターン(ヲイッ)。その後、暫く松林沿いを進んでみたものの有料駐車場は続いたので、邪魔にならない場所に停めて、松林を突破しようとしたものの、正規ルートではないと分厚い松ガードは突破出来ないということが分かっただけで、結局断念。プロポーズ街道もぶっつけ本番にすることにして、その場を後にしたのでした(いつのことだよ)。
その後、サンセットラインを北上して、海岸が見えそうな場所で海の方に車を向けてみましたが、大体が民家か海水浴場にぶつかってしまったり、有料駐車場が待ち受けていたりと、なかなかノンビリする場所が無く困っておりました。
その中では、淡路サンセットライン途中の五色浜からの夕日がとても綺麗で感動しました。ドライブ好きとしては、海沿いの道も気持ちよかったですが、あんなに赤々とした夕日と、オレンジに染まる海を見ることが出来たのは、淡路に来て良かったなぁと思わされる景色でした。
また来ますよ、淡路島!!
<おしまい>
神社が俺を呼んでいる!(← 呼んでないって)
・・・ということで、午後に淡路島に到着した訳ですが、ちょっとウロチョロしただけで、もういい時間になってきました。楽しい時間は経つのが早いのか、移動距離がやはり長いのか、出来るだけ行きたい場所だけは行っておきたいので、早速次の場所を検討します。
まぁ、先に行く場所を決定しないで旅行しているわけですから、スケジュールもへったくりもないのが良いのか、悪いのか。そこで、次に行っておきたい場所、『おのころ島神社』に車を向けたのでした。
ここは、下道でも良かったのですが、高速を使うという、旅の風情そっちのけの移動手段を駆使しまして、最短距離で神社に向かいます。旅ガイドにもちょこっと載っているので、案内はあるだろうと思っておりましたが、小学校傍のどうにも分かり辛い看板が一つあるのみで、しばらく同じ場所をうろうろ、うろうろ。目印は、日本三大鳥居とも言われた『巨大鳥居』ですので、これだけ建物も低く見晴らしが良いので、簡単に見つかるだろうと高をくくっていたのですが、周囲を見回してもそれらしい鳥居の影すら見えません。何度か看板を起点に行ったり来たりを繰り返した結果、
ようやく住宅街ににょっきり生える鳥居を発見
何で気が付かなかったんでしょうか・・・
時間はロスしてしまいましたが、なんとか次なる神社に到着です。
ド、ドーンと鉄筋コンクリート 21.7m
近くで見るとなかなかの迫力です
神社のベンチを見ると地元のお酒が分かる
島の名酒「都美人」(メモメモ)
ちょっと暗い場所に入ると、すぐに写真はボケボケに
R8のいけずな所です・・・って、そろそろ学習しないとですわ
こちらが自凝島神社(おのころじまじんじゃ)
神社名の書かれた碑には「磤馭盧島神社」とありましたが、難しすぎて読めません
<ワンポイント歴史>
これで、この神社が登場するレポは3回目となりましたので、折角ですから、ワンポイント歴史の時間に突入です。
今回は、『おのころ島』というのは、一体何なのかについてご説明。
※ おのころ島神社の記載を参考にしております
日本の神話は、社会の時間でも勉強した「古事記」と「日本書紀」がベースとなって伝えられています。そこに、『国生み』という日本誕生の話が書かれております。
神代の昔、国土創世の時にイザナギとイザナミは、天の浮橋に立って、天沼矛を持って海原(下界)をかき回しました。その矛より滴る潮が、おのずと凝り固まって島となり、これが自凝島(おのころじま)と呼ばれます。
※「こをろこをろ」とかき混ぜたことという話もあります。
ニ神はこの島に降り立ち、八尋殿(やひろでん)を建て、先づ淡路島を造り、つぎつぎと大八洲(日本列島)を拓かれたとなっているのです。ですので、日本の中では、「淡路島」が国生みの歴史の中では、最初の島となっていることもあり、こういった原初の神話の地としての名所があちこちに見られるのです。
例えば、この場所以外にも、おのころ島といわれている場所も多く、南部の「沼島」(最有力・フェリーで渡ります)、北部の「絵島」(明石海峡大橋のそば)、または、この淡路島自身がおのころ島であるという説もあったりします(他にも、淡路島の隣の沖ノ島、播磨灘の島々も候補に上げられています)。そんなプチ知識を持って探索すると、あちこちに見られる神話的な雰囲気も、より楽しむことが出来ると思いますよ。
そんな原初の島のそばには、葦原国もあったりします
葦原国は、国生みの前に誕生していた日本国の別の呼称・・・とでも言えばいいでしょうかね
地図が無かったもので、この標識を見つけるまでに、結構ウロウロさせられました
葦原・・・ではなくて田んぼです
こんな風景を見ていると、なんだか懐かしい感じがします
あの木に囲まれた場所のようですね
コンクリながらあぜ道を歩く
こんな風景を見ていると、昔落っこちてドロドロで泣いて帰った記憶が蘇ります
何故か意識すればするほど、身体が左右に振られてしまうのは不思議
ちょっと荒れた感じに見えますが、ここが葦原国
イメージと違ってちょっと残念ではありましたが
周囲は、神話どおりの五穀豊穣の地となっておりました
他にも国生みをした地ともなっている『天の浮橋』もあるそうです
もちろん行かずにはいられませんって
跡地とは書いてありましたが、民家の隣にいきなり登場
うむむっ、風情もへったくりも無い状態に、ちょっと切なくなりましたが、時代の流れでしょうかね
飛び出しさん(?)がちょっと可愛くなっていました
・・・って、よく見たらここは小学校の前
・・・って、こんな変な物を写真に撮る変な人
・・・おおっ、ヤバイ
約30分ほど、ぐるっと1周日本起源ツアーでした
この後、下道で本日淡路の締めと考えていた、慶野松原&淡路サンセットラインに向かいます。慶野松原には、気になって仕方が無い『プロポーズ街道』がありますし、サンセットラインというだけあって、このあたりの夕日は最高!と聞いていますので、今後のために(?)視察です。
神社から慶野松原までは、ほんの数キロでしたから、暗くなる前に到着しました。「白砂青松100選」にも選ばれている松原というだけあって、松がずらりと並んでいます。ですから、ここからでは全く海が見えません・・・。駐車場があると聞いていましたので、そこに停めようかと思っていましたが、今の時期は、海水浴シーズンでもあるので当然有料。しかも1日 700円ですから、ちょっと立ち寄りの金額では厳しいと、即座にUターン(ヲイッ)。その後、暫く松林沿いを進んでみたものの有料駐車場は続いたので、邪魔にならない場所に停めて、松林を突破しようとしたものの、正規ルートではないと分厚い松ガードは突破出来ないということが分かっただけで、結局断念。プロポーズ街道もぶっつけ本番にすることにして、その場を後にしたのでした(いつのことだよ)。
その後、サンセットラインを北上して、海岸が見えそうな場所で海の方に車を向けてみましたが、大体が民家か海水浴場にぶつかってしまったり、有料駐車場が待ち受けていたりと、なかなかノンビリする場所が無く困っておりました。
その中では、淡路サンセットライン途中の五色浜からの夕日がとても綺麗で感動しました。ドライブ好きとしては、海沿いの道も気持ちよかったですが、あんなに赤々とした夕日と、オレンジに染まる海を見ることが出来たのは、淡路に来て良かったなぁと思わされる景色でした。
また来ますよ、淡路島!!
<おしまい>
いつも海を見て育ったので(私の場合
海は朝日なんですが)、こういう光景好きです。
きれいですね~
で、かいねこさんプロポーズ大作戦は
淡路島ですか!
今度そちらに行った時はムフフ・・・
http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-entry-42.html
こんなところで酷ったら完璧ですやん
へ~、これ一人で見たんだ~、へ~?
ホントかな?(笑
イチコメ有難う御座います。なかなかコメント頂き辛い内容ですから、コメントがあるとホッとします。
海を見て育っていない自分としては、遮るもののない水平線に何とも感動を覚えます。しかもこんな赤々と燃えるような夕日に出会ってしまったので、すぐに車を降りていました。あんなの見ながら走ったら危ないですからね~。
告ってませんって(笑…あれ涙が…)。世間には段階というものがありまして、まずは予選を通過してスタートラインに立たないと!
楽しい読み物有難う御座います。よく見つけられましたね。
古事記は、日本書紀から比べると物語的要素が強く、内容の信憑性も怪しいですが、なるほどパクリというのは、面白いですね。もう一度、読み返してみたくなりました。
もちろん、傍らには、彼女と…彼氏のカポーが二組いらっしゃいましたよ。なぜここで一人なのかと、ちょっと切なくなりました…。
それより、告るで「酷る」が変換される食う寝るさんが心配です。酷なことで…。
なるほど~、と納得して良いやら微妙ですが、@おひすでしたら、何となく分かります(笑)。お家のハードボイルド端末ならこんなことありませんよね。
「葦原の中つ国」に「天の浮橋」に、なんか行動パターンが似てますね。(^^ゞ
監督のご紹介先を見に行ってみたら、う~んこれは。。。パーリ語って、初期仏典が書かれた言語だったっけ?
ここの説の妥当性はどうかなぁとは思うんですけど、地名を重要視している点は、
(地名って、往々にしてその土地の歴史を体現してると思うので)
でもって、私もこんなの↓見つけました。歴史好きの暇人向けです。
http://www2.plala.or.jp/cygnus/k5.html
(こうして夜更かしがひどくなるのよね~)