2011年8月17日(水) 午後
臼杵石仏を後にして、次は南下して宮崎県入りと考えていましたが、ここまで来たのであれば、近くの最東端を目指してみようと思い立ち、車を東に走らせます。目的地は、九州最東端の鶴御崎。佐伯の町から東に進路をとれば、一本道で到着・・・と簡単に考えていましたが、思ったより距離があるようで、石仏で長々と時間を使っていたこともあって、時間的にもちょっと心配になっていきます。
海沿いの県道一本道ですから、危険な場所もありませんし、見晴しも良いため景色としては飽きることなく走れましたが、ハンドルが右・左・右・左と急がしく、同じようなコースが続くのがちょっと悩ましいところ。そして、いくつかの漁港を抜けていくと、最初のスポットに到着です。
大分県佐伯市鶴見町丹賀浦:丹賀砲台園地
この一帯は大正時代より重要防衛区域として、軍事施設が築かれたのです
開館時間は、16時30分までということを確認していたのですが、時間前だというのに門が閉まっていました。
手動であけるのかと近付いてみたところ、がっちりと錠前がかかっています。潰れたのかな?(ヲイ)ともう一度看板を見てみると、
開園日:木曜日~月曜日 Σ(;´△`) エェ
そう、これが平日休暇の諸刃の剣。交通などが空いているのはいいのですが、特に火~木曜日を休みにする施設が多いため、こういった状況に陥ってしまうことがあるのですよね・・・いやはや、残念。
気を取り直して、先に進みます。
元の間海峡
何だか儀式場のような展望台ですね
元の間海峡はわずか600mの海峡ですが、1年中白波のたっている大変流れの激しいところです
海峡の右側と左側の渦の高さが違うため、高い方から低い方へ潮の流れがおこっております
ことに、大潮の際には約2mの差ができ、激しい潮流が見られます
よく見てみると・・・何だか不思議な流れをしています
これは、面白い!!
いよいよ、もうすぐ到着という所で「展望ブリッジ」の登り口の看板を発見
その横にこんな目安が・・・おぅ、80代・・・
今回の目的地は、『鶴御崎ミュージアムパーク』という施設になっていました
駐車場の先にまだ道があったので、もっと行けるかと思って進んでみたら、車は通れませんでした
バックで戻るのはかなり面倒でした・・・
砲台跡への道は立入禁止になっていました
こちらが最東端にある鶴御埼灯台
下には扉がありまして、なんと、中に入れるようです
中は、この辺りの軍事施設の成り立ちなどがパネルで紹介されています
誰も居ませんし、この閑散っぷりといいますか、シンプルさがちょっと怖いんですけど
思ったより、この灯台下の施設は大きいようで、左奥にも通路が続いているようです。
電気が殆どついていないので、窓からの明かりのみの中、少々暗いなと思いつつ、左の扉を開けて先に進みます。イメージ的には、上に登れて展望台でもあればいいなぁと思い、先に進んだのですが・・・
な、なんですか!! Σヽ(゜Д゜; )ノ
・・・最初、やばい儀式の中に入ってしまったのかと錯覚するほど、左右に並ぶ妙なオブジェにビビりました。
よく見てみると、ウキのようでした。
と、分かったところで、どの部屋もこんな感じというのは、ちょっと・・・
見て廻ったところ、入ってきた入口以外に行く場所は無いようで、そそくさと入口に逃げ戻ります。
入口の明かりを見て安堵したところで、入口の看板に気がつきます。何でも、このウキは、隣の大島に流れ着いたウキを展示したものだそうでして、20年で約5000本・・・いやはや、こういった説明書きは、ちゃんと読んでおかないといけませんね。
何せ、周囲がこういった軍事施設跡ということを見た後で、あの光景は、酷ですって・・・
本命の最東端は、灯台の裏の道を進みます
思ったよりもデコボコなルートなので、観光で来られた方はちょっと要注意です
3分もかからなかったと思いますが、目的地到着
またもや、プチ満足感
九州最東端からの景色は・・・海ですね
そうそう、灯台の裏側には、このような展望台もあります
何だか船の上のようですね
こういった場所のお約束もちゃんと用意されています
天気が良く見えていますが、実際は、午前中に大雨に当たっていますし、あまり良い天気予報でなかった一日
すっかり忘れていましたが、最東端ということは、この先は、四国なのですよね
天気が良ければ、見えるかもしれませんね
鶴御埼灯台の全景を見える場所を色々探しましたが
ようやく本当の入口を発見
帰り道から見た鶴御崎
楽しい思い出をありがとう!!
<おまけコーナー>
ドライブ好きの方は、良く見かけていると思いますが、トンネルの入口に、その地域の名所や祭り、特産などがパネルとして書かれていることがあります。勇壮なものやコミカルなものなど、その地域ごとの特色が出ていて見ていて楽しいのですが、トンネルに入る前に見かけるものですから、どうしてもじっくり見ることが出来なかったり、写真に撮るのも難しいのがやや残念な所です。
鶴御崎を目指して走っている途中、『新有明トンネル』というトンネルをくぐるところで、やや色鮮やかなパネルが目にとまりました。横目でチラッと捉えただけだったので、最初は、全く気にすることも無かったのですが、どうも脳内のレトロ領域が過剰に反応していて、どうにも気になって仕方がありません。
昔々に見たような・・・
えっ? 富永一朗さん?!
幼少の頃の記憶は恐ろしいもので、『お笑いマンガ道場』なる昔々のTV番組で、すっかり記憶の片隅どころか、土管に住む鈴木義司ファミリー共々記憶に刷り込まれてしまっているようでして、この絵だけですぐに名前と例の番組が思い出されたのでした(そういえば、川島なお美さんを知ったのもこの番組だったなぁ・・・だん吉・なお美のおまけコーナーとか・・・しみじみ)。
そういえば、
ここにもいました
これは、富永一朗さんが、大分県佐伯市育ちだからのようですね。
懐かしい出会いに、何だか嬉しくなってしまいました。
お笑い漫画道場の川島なおみお姉さんがどんどんセクシー路線に向かっていくのを成長とともに目にしてきました。子どもごころになんだか複雑な思いでした。もっとも子どものころの話なので川島なおみさんがどういうコンセプトでデビューしたのかは知りませんからもともとセクシー路線だったのかも知れませんが。
そういえば、あの番組は、中京系でしたね。
確か、イメージとしては、この番組でもセクシー担当だったように思いましたが、違いましたかね。
ただ、それからも、ワイン通になっても、セレブになっても「そうはいってもマンガ道場やってたし」のイメージは、抜けなかったですね。