Kazuaki Koseki Photo Blog

KAZUAKI KOSEKI PHOTOGRAPHY from Yamagata,Japan 写真と僕と山形の風景・・・

山の日

2022-07-22 20:01:59 | 山形の風景

この荒涼とした山の尾根に荘厳とした光景を見るたびに、自然の厳しさや尊さを感じる。

 

蔵王山の記憶の始まりは40年前の幼稚園児の頃に遡る。

全行程徒歩で山形側の蔵王刈田リフトから御釜へ登り、熊野岳から地蔵岳そして蔵王温泉まで泣きながら登山をした。

3つ年上の姉にずっと励まされながら、高校で登山部だった母に連れられ今でも記憶に深く残る経験だった。

蔵王温泉に降りると、私だけ元気に温泉に入りたがり、疲れ切った母と姉の分の稲花餅一箱まるごと食べてご機嫌だったのだそうだ。

 

少ない休みの中、幼稚園児にとっては通常ではあり得ない程の行程を経験させてくれ、その後も山への親しみを感じさせてくれた母にはとても感謝している。

この経験がなければ、山への繋がり、そして蔵王を撮り続けることは無かったと強く思う。

 

その後、小学生の頃に訪れた蔵王の御釜の光景が強く残っていたのだが、

それは、凡庸とした長閑な五色沼だった。

その頃の御釜は、湖面まで降りることが出来るほどに斜面は緩やかで、観光で来て湖面まで降りる方も多数いたのだ。

それから30年ほどして改めて観たものは、子供の頃に見た凡庸としたものではなく、

緩やかな斜面は、麗華20度以下となる冬と暑い夏を繰り返し、風雨にさらされ強風が吹きつける場所が作り出した荒々しい崖と荒涼とした大地。

たった30年でこれほどまでに変容するのかと、時間と自然環境が創り出すものに心動かされた事が、御釜を観続ける大きな意味となった。

 

これからも変容を続け、膨張伸縮を繰り返し、崩れ落ち、

近い未来か遠い未来か、いつかは火山活動が始まり、破壊と再生を繰り返していくのだろう。

 

先日、川崎町の風力発電による山形市の意見書が提出された。

その中で、少々不思議な一文があった。

「蔵王山は、一帯として動植物の生息または植生及び生態系が保全されており・・・・」

 

蔵王山は、山頂近くまで広大なスキー場開発、ロープウエーの設置、山岳観光道路が整備されてきた。

古くからの信仰、文化、その中で人と自然を繋いでくれる事となったこれらの開発は決して悪だとは思わない。

これらの便利なものがなければ、私の幼少期の記憶も含め、人の心に残らなかったことも多くあるだろう。

 

スキー場を作るには森を切る。

森を切るには道が必要で、道路を作れば森を切る。

森は秩序があっていつも均衡を保ちながら共存とも、せめぎ合いとも言える時間が流れている。

均衡が崩れ分断された森の中で動植物が暮らし、どのような事が起きたのかは、誰にも分からない。

 

蔵王地蔵山のロープウエー山頂駅から下ると、とても眺めがよく気持ちの良い場所があると冬に行くと思っていた。

ずっとどんな場所なのかと気になっていたのだけれど、先日春の終わりに見に行ってみることにしたのだが、

谷があって、それを大量の土で埋めて大きな橋の様なゲレンデにしたのだと知る事が出来た。

沢水が流れる谷間は、天然記念物であるカモシカなどを含めた野生動物の通り道とも、憩いの場ともなる場所。

なるほどな〜〜と少し残念さが混じったのが本音でもある。

 

森を切り開いて来たことも、人が自然と共存してきた歴史と文化である。

一般論として、人が近づけない程の圧倒的な大自然は豊かな自然と感じにくい。

人の手が加わり便利で、ほどほどに感じることの出来る自然を多くの人は豊かな自然と感じるのかもしれない。

 

 



 



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