歌手のもんたよしのりさんが亡くなりました。享年72歳、死因は急性大動脈解離だったそうです。m(__)m
今年2月に笑福亭笑瓶さん(享年66歳)を襲った恐ろしい病ですね。
かつて、加藤茶さん、石原裕次郎さんはこの病気を発症しながら生還し、塩屋俊さん(俳優)、大滝詠一さん(ミュージシャン)、立松和平さん(作家)らは残念ながら亡くなりました。( ; _ ; )/~~~
急性大動脈解離、あまり知らない病気でしたので、ネットで調べてみました。(^。^)
この急性大動脈解離の大きな原因となるのが「動脈硬化」
血管自体に痛みがないため、気づきづらいのが動脈硬化の特徴です。
ただ、全身の不調としていくつか現れる症状があります。
なかでも、はっきりと変化するものがあるのです。それが「血圧の値」です。
みなさんも、健康診断などで血圧を測る機会がありますよね。
その度合いには個人差がありますが、年齢とともに高くなります。
血圧と血管の硬さは、比例していると思ってください。
血圧が、ぐんと上がっていれば、それなりに血管の硬度も高くなっているということ。
このように、血圧の数値は、血管の硬さのバロメーターなのです。
血圧が高くなると、当然、動悸、息切れ、むくみといった症状が誘発されます。その背景には、血管の硬さが潜んでいるのです。
動脈硬化の改善といえば、塩分を減らし野菜が多い食事を摂る、日々の生活に運動を取り入れる、なるべくストレスを減らす、酒やたばこを控えるといったことが知られています。
もんたよしのりさん、先月放送のNHK「うたコン」で、往年のヒット曲をそのハスキーボイスで熱唱されていたのに、残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。m(__)m
「秋惜しみ夜通し響け君の音」 祖谷馬関
(注)秋惜しむは晩秋の季語。去り行く秋を惜しむこと。「行く秋」よりも主観のつよい言葉である。古来から「春惜しむ」と相対する詩情とされる。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
「京都検定対策シリーズ」
<寺社等>・・<建物・「揮毫」>・・<揮毫者>
(1)(智恩寺)・・・山門・「黄金閣」・・・後桜町天皇ゆかり
★後桜町上皇が学問所とされた青蓮院の茶室は 「好文亭」★
*1788年、天明の大火によって御所が炎上した時に、後桜町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難。 好文亭は、上皇が御学問所としてお使いになった由緒正しき建築物。
(2)智恩寺・・・文殊堂・「五台山」・・( )
★五台山と号する浄土宗寺院は
(3)常寂光寺・・多宝塔・「並尊閣」・・(霊元)天皇
★常寂光寺を「軒端寺」と詠んだ歌人は 「藤原定家」
(4)(東福寺)・・・三門・「妙雲閣」・・・足利義持
★足利義持の帰依で大業徳基が鷹峯に創建した寺院は 「」
(5)知恩院・・・三門・「華頂山」・・・・霊元天皇
★四条天皇より「華頂山知恩教院大谷寺」を賜る
(6)行願寺・・・本堂・「行願寺」・・・藤原行成
★都七福神まいり、行願寺に祀られるのは 「寿老人」
*「福禄寿」は「赤山禅院」
(7)正伝永源院・茶室・「如庵」・・・・細川護貞
★合併前の「正伝院」を再興した人物は 「金地院崇伝」★
(8)六波羅蜜寺・本堂・「六波羅蜜寺」・藤原佐理
★来年(2024)、辰年に開帳される六波羅蜜寺の本尊は 「十一面観音」
(9)(六角堂)・・・本堂・「頂法寺」・・・聖徳太子
★六角堂には、「へそ石」とともに(嵯峨)天皇ゆかりの(柳)の木
(10)琵琶湖疏水・第一東口「気象万千」 (伊藤博文)
★伊藤博文が命名者とされるガーディナー設計の建物は 「長楽館」
(11)ねじりまんぽ・蹴上側「雄観奇想」・(北垣国道)
★北垣国道の別荘が寄進され、大日如来を本尊とする寺院は 「祇王寺」★
*北垣国道の揮ごうによる「陽気発処(ようきはっするところ)」、「雄観奇想(ゆうかんきそう)」の扁額
(12)(鹿王院)★・・・三門・「覚雄山」・・足利義満
★北山第を行幸した後小松天皇が好んだ(引接寺)の普賢象桜
(13)臨川寺★・・・中門・「三会院」・・(足利義満)
★臨川寺には(夢窓疎石)と世良親王(後醍醐皇子)の墓がある★
(14)(桂離宮、松琴亭)・・・茶室・「松琴」・・・後陽成天皇
★聚楽第を行幸した後陽成天皇が仲裁のため勅許を出した戦いは 「田辺城の戦い」★
(15)金戒光明寺・「浄土真宗最初門」・・(後小松)天皇★
★金戒光明寺が所蔵する木造千手観音立像の通称名は 「吉備観音」
(16)光明寺・・・(二王門)・「光明寺」・小野道風★
★光明寺は、聖徳太子★創建、(聖宝)が中興
(17)車折神社・・本殿・「車折正一位・富岡鉄斎★
★車折神社には、富岡鉄斎に絵を学んだ富田(渓仙)★ゆかりの「(渓仙)桜」が咲く★
(18)晴明神社・・一之鳥居・「(五芒星)紋」
★京都市バスの「晴明神社前」のバス停は、(瓦)葺の屋根
(19)二尊院・・・本堂・「二尊院」・・後奈良天皇★
★山号(小倉山)、円仁創健の「二尊教院華台寺」を復興したのは 「湛空」★
(20)(福王子)神社・拝殿・「遍照」・・・鳴滝砥石
★宇多天皇の孫・寛朝僧正創建の遍照寺★は、鯉揚げで知られる(広沢池)近くにある
(21)(伴善男)・・・神門・「応天門」・・空海
★嵯峨天皇・空海・(橘逸勢)<承和の変>
(22)(頂妙寺)・・・仁王門・「聞法山」・東山天皇★
★東山通仁王門前にある秀吉ゆかりの稲荷社は 「満足稲荷神社」
(23)金地院・・・開山堂・・・・・・・後水尾天皇
★大業徳基開山の金地院を南禅寺の塔頭として再興した人物は 「以心崇伝」
(24)(泉涌寺・来迎院)・・・茶室・「含翠」・・・大石内蔵助
★大石内蔵助の遺髪塚が残る曹洞宗の寺院は 「岩屋寺」
(25)(東本願寺)・・・御影堂門・「真宗本廟」
★親鸞屋敷と呼ばれる東本願寺の岡崎別院の初代は 「逹如」
(26)北野天満宮・中門・「天満宮」・・後西天皇
★後西天皇の皇子(公弁)法親王は、毘沙門堂の初代門跡 *後西天皇は後水尾天皇の皇子
(27)藤森神社・・鳥居・「藤森神社」・後水尾天皇
★後水尾天皇の宸筆は、参勤交代の支障になると(近藤勇)が外したと伝わる
☆「目疾地蔵」の通称で知られる(仲源寺)の山門には「雨奇晴好」の扁額
今年2月に笑福亭笑瓶さん(享年66歳)を襲った恐ろしい病ですね。
かつて、加藤茶さん、石原裕次郎さんはこの病気を発症しながら生還し、塩屋俊さん(俳優)、大滝詠一さん(ミュージシャン)、立松和平さん(作家)らは残念ながら亡くなりました。( ; _ ; )/~~~
急性大動脈解離、あまり知らない病気でしたので、ネットで調べてみました。(^。^)
この急性大動脈解離の大きな原因となるのが「動脈硬化」
血管自体に痛みがないため、気づきづらいのが動脈硬化の特徴です。
ただ、全身の不調としていくつか現れる症状があります。
なかでも、はっきりと変化するものがあるのです。それが「血圧の値」です。
みなさんも、健康診断などで血圧を測る機会がありますよね。
その度合いには個人差がありますが、年齢とともに高くなります。
血圧と血管の硬さは、比例していると思ってください。
血圧が、ぐんと上がっていれば、それなりに血管の硬度も高くなっているということ。
このように、血圧の数値は、血管の硬さのバロメーターなのです。
血圧が高くなると、当然、動悸、息切れ、むくみといった症状が誘発されます。その背景には、血管の硬さが潜んでいるのです。
動脈硬化の改善といえば、塩分を減らし野菜が多い食事を摂る、日々の生活に運動を取り入れる、なるべくストレスを減らす、酒やたばこを控えるといったことが知られています。
もんたよしのりさん、先月放送のNHK「うたコン」で、往年のヒット曲をそのハスキーボイスで熱唱されていたのに、残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。m(__)m
「秋惜しみ夜通し響け君の音」 祖谷馬関
(注)秋惜しむは晩秋の季語。去り行く秋を惜しむこと。「行く秋」よりも主観のつよい言葉である。古来から「春惜しむ」と相対する詩情とされる。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
「京都検定対策シリーズ」
<寺社等>・・<建物・「揮毫」>・・<揮毫者>
(1)(智恩寺)・・・山門・「黄金閣」・・・後桜町天皇ゆかり
★後桜町上皇が学問所とされた青蓮院の茶室は 「好文亭」★
*1788年、天明の大火によって御所が炎上した時に、後桜町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難。 好文亭は、上皇が御学問所としてお使いになった由緒正しき建築物。
(2)智恩寺・・・文殊堂・「五台山」・・( )
★五台山と号する浄土宗寺院は
(3)常寂光寺・・多宝塔・「並尊閣」・・(霊元)天皇
★常寂光寺を「軒端寺」と詠んだ歌人は 「藤原定家」
(4)(東福寺)・・・三門・「妙雲閣」・・・足利義持
★足利義持の帰依で大業徳基が鷹峯に創建した寺院は 「」
(5)知恩院・・・三門・「華頂山」・・・・霊元天皇
★四条天皇より「華頂山知恩教院大谷寺」を賜る
(6)行願寺・・・本堂・「行願寺」・・・藤原行成
★都七福神まいり、行願寺に祀られるのは 「寿老人」
*「福禄寿」は「赤山禅院」
(7)正伝永源院・茶室・「如庵」・・・・細川護貞
★合併前の「正伝院」を再興した人物は 「金地院崇伝」★
(8)六波羅蜜寺・本堂・「六波羅蜜寺」・藤原佐理
★来年(2024)、辰年に開帳される六波羅蜜寺の本尊は 「十一面観音」
(9)(六角堂)・・・本堂・「頂法寺」・・・聖徳太子
★六角堂には、「へそ石」とともに(嵯峨)天皇ゆかりの(柳)の木
(10)琵琶湖疏水・第一東口「気象万千」 (伊藤博文)
★伊藤博文が命名者とされるガーディナー設計の建物は 「長楽館」
(11)ねじりまんぽ・蹴上側「雄観奇想」・(北垣国道)
★北垣国道の別荘が寄進され、大日如来を本尊とする寺院は 「祇王寺」★
*北垣国道の揮ごうによる「陽気発処(ようきはっするところ)」、「雄観奇想(ゆうかんきそう)」の扁額
(12)(鹿王院)★・・・三門・「覚雄山」・・足利義満
★北山第を行幸した後小松天皇が好んだ(引接寺)の普賢象桜
(13)臨川寺★・・・中門・「三会院」・・(足利義満)
★臨川寺には(夢窓疎石)と世良親王(後醍醐皇子)の墓がある★
(14)(桂離宮、松琴亭)・・・茶室・「松琴」・・・後陽成天皇
★聚楽第を行幸した後陽成天皇が仲裁のため勅許を出した戦いは 「田辺城の戦い」★
(15)金戒光明寺・「浄土真宗最初門」・・(後小松)天皇★
★金戒光明寺が所蔵する木造千手観音立像の通称名は 「吉備観音」
(16)光明寺・・・(二王門)・「光明寺」・小野道風★
★光明寺は、聖徳太子★創建、(聖宝)が中興
(17)車折神社・・本殿・「車折正一位・富岡鉄斎★
★車折神社には、富岡鉄斎に絵を学んだ富田(渓仙)★ゆかりの「(渓仙)桜」が咲く★
(18)晴明神社・・一之鳥居・「(五芒星)紋」
★京都市バスの「晴明神社前」のバス停は、(瓦)葺の屋根
(19)二尊院・・・本堂・「二尊院」・・後奈良天皇★
★山号(小倉山)、円仁創健の「二尊教院華台寺」を復興したのは 「湛空」★
(20)(福王子)神社・拝殿・「遍照」・・・鳴滝砥石
★宇多天皇の孫・寛朝僧正創建の遍照寺★は、鯉揚げで知られる(広沢池)近くにある
(21)(伴善男)・・・神門・「応天門」・・空海
★嵯峨天皇・空海・(橘逸勢)<承和の変>
(22)(頂妙寺)・・・仁王門・「聞法山」・東山天皇★
★東山通仁王門前にある秀吉ゆかりの稲荷社は 「満足稲荷神社」
(23)金地院・・・開山堂・・・・・・・後水尾天皇
★大業徳基開山の金地院を南禅寺の塔頭として再興した人物は 「以心崇伝」
(24)(泉涌寺・来迎院)・・・茶室・「含翠」・・・大石内蔵助
★大石内蔵助の遺髪塚が残る曹洞宗の寺院は 「岩屋寺」
(25)(東本願寺)・・・御影堂門・「真宗本廟」
★親鸞屋敷と呼ばれる東本願寺の岡崎別院の初代は 「逹如」
(26)北野天満宮・中門・「天満宮」・・後西天皇
★後西天皇の皇子(公弁)法親王は、毘沙門堂の初代門跡 *後西天皇は後水尾天皇の皇子
(27)藤森神社・・鳥居・「藤森神社」・後水尾天皇
★後水尾天皇の宸筆は、参勤交代の支障になると(近藤勇)が外したと伝わる
☆「目疾地蔵」の通称で知られる(仲源寺)の山門には「雨奇晴好」の扁額