今日は、大阪市の臨海部、咲洲地区で開催された「こどもEXPO」なるイベントを覗いて来ました。(^。^)
幼い子供も居ないのに「こどもEXPO」へ、、、仕事絡みの腐れ縁ってヤツです、ハイ!(^-^)
行ってみると、なるほど子供連れが多い、、、子供向けのゲームコーナーや縁日みたいな屋台もあって歩いているだけでも楽しかったです。(^_^)
ふと、この子供たちが、再来年の春、お隣の人工島、夢洲で開催される「大阪・関西万博2025」に来場してくれます。(^。^)
万博で、空飛ぶクルマやAIを駆使した技術など、未来社会のデザインに触れ、そこから大人になって、次の世代を形作っていくのでしょうね。(^-^)
そう考えると、今日の「こどもEXPO」も、また違った意味合いで見えて来るから不思議なものです。(°▽°)
〜昔、こどもたちは夢のなる樹だったよ、擦り傷だらけでいつも神様の隣にいた、がんばれ、がんばれ、いまのこどもたち、明日天気にしておくれ〜 さだまさし「昔子供達は」より
「万国の未来咲く春夢の洲」 祖谷馬関
(注)春の夢は、春の眠りにみる夢のこと。夢は春夏秋冬いつでも見るけれど、とくに春の夢は儚きもの譬えとして、古来、歌に詠まれ、物語に語られてきた。「ただ春の夜の夢の如し」などのように。
→という訳で、万博が儚い夢では困るので、季語は「春の夢」とせず、単に「春」夢とした次第。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
「京都検定対策シリーズ」
【2023特別公開】
(1)(三玄院)・・石田三成・古田織部の菩提寺、茶室・篁庵
★春屋宗園を開祖とする上記寺院の虎の襖絵を描いたのは 「原在中」★
☆春屋宗園を勧請開山とする「百積の庭」★がある寺院は 「聚光院」
*三玄院/織部好みの三畳台目・八窓の茶室篁庵(こうあん)(江戸時代建築)があり、本堂ふすま絵の八方にらみの虎は、原在中の筆による。
(2)(総見院)・・秀吉創建の信長の菩提寺、ワビスケ椿
★大徳寺塔頭の上記寺院に残る信長像の作者は 「康清」★★★
☆康勝、康正、康円の仏像がある寺院は 「蓮華王院」(三十三間堂)
* <康勝> 鎌倉時代に活躍、運慶の四男 空也上人立像(重要文化財)(六波羅蜜寺)
* <康正> 東寺大仏師康秀(長楽寺時宗祖師像)の子 薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩、十二神将像(すべて重要文化財)(東寺金堂)、弘法大師坐像(平等寺、因幡薬師)
* <康円> 運慶の孫弟子。 湛慶のもとで三十三間堂の再興本尊の造仏にあたり、大仏師を継承し、慶派(七条仏所)の主宰者として活躍。愛染明王坐像(神護寺)
(3)(大徳寺・芳春院)・・前田利家妻・松子創建、呑湖閣、
★飽雲池に打月橋が架かる上記寺院の作庭者は小堀遠州と(横井等怡)★★
☆前田利常、前田綱紀から連想する事柄は 「酬恩庵方丈寄進」(利常)★★、「東寺百合文書寄付」(綱紀)★
(4)(妙心寺・壽聖院)★★★・・石田三成が父・正継のために、永徳設計の庭
★上記寺院の門は、本山(妙心寺)の北門になっている
☆元信寺とは、元信の庭があるのは 「霊雲院」★(元信寺)、「元信の庭」(退蔵院)
(5)(上徳寺)・・家康の側室・阿茶局開基、「世継地蔵」
★五条通富小路下ルにある上記寺院には、(源融)の河原院があった
☆南陽院(南禅寺)、南明院(東福寺)から人物を 南陽院/木嶋櫻谷、南明院/旭姫/秀吉の妹で家康の正室
(6)(蓮光寺)・・負別阿弥陀如来(快慶)、長曾我部盛親の墓★★★
★浄土宗寺院特別公開で拝観した上記寺院には、(平清盛)ゆかりの駒止地蔵★★★
☆時雨松、五色椿といった出水の七不思議で知られる寺院は 「華光寺」★★★
(7)(理性院)・・醍醐寺塔頭、賢覚創建、探幽の水墨画、千体地蔵★★
★醍醐三流のひとつである上記寺院、金剛王院流の祖・聖賢創建の塔頭は 「金剛王院」(一言寺)
☆聖宝/醍醐寺、勝覚/三宝院(国宝唐門)聖賢/金剛王院(ヤマモモ)、賢覚/理性院(千体地蔵、探幽画)がややこしい
(8)(法厳寺)・・延鎮開山、清水寺の奥の院、霊水・金生水
★本山修験宗の上記寺院は、山の名から通称(牛尾)観音★★★
☆蛙岩、お経岩、大蛇塚がある法厳寺へのハイキングコース、流れる川は 「音羽川」★
(9)(平等寺)・・因幡薬師、鈴木松年作「仁王画」、康正作弘法大師像★★★
★小督局ゆかりの琴が公開された上記寺院は、(橘行平)邸宅内の仏堂が始まり★
☆在原氏の学問所・奨学院を創設した業平の兄は 「在原行平」★★★
(10)( )・・大原来迎院の塔頭、梶井宮法親王が政務
★呂川沿いにある上記寺院には、今尾景年を師とした( )の襖絵が残る
☆今尾景年の「景」は( )から、「年」は鈴木松年から付けた
(11)(西念寺)・・浄土宗西山禅林寺派、源融の河原院跡、平安時代の仏涅槃図★★★
★五条通の建物疎開で縮小された上記寺院には、運慶の子(湛慶)作の阿弥陀如来像★★★
☆上記寺院境内に「千喜万悦天満宮」が祀られている
(12)(新徳寺)・・清河八郎の演説、近藤勇・土方歳三らは壬生浪士組結成
★壬生寺道(坊城通)にある上記寺院、坊城通と四条通の交差点にある「元祇園社」は 「梛神社」
☆近藤勇書の屏風が残る島原の置屋は 「輪違屋」
(13)旧前川邸・・新選組の屯所、古高俊太郎拷問、山南敬助切腹
★山南敬助の墓がある寺院は 「光縁寺」
★伊東甲子太郎絶命の碑がある寺院は 「本光寺」★★★
☆伊東甲子太郎の墓は 「戒光寺」★★
幼い子供も居ないのに「こどもEXPO」へ、、、仕事絡みの腐れ縁ってヤツです、ハイ!(^-^)
行ってみると、なるほど子供連れが多い、、、子供向けのゲームコーナーや縁日みたいな屋台もあって歩いているだけでも楽しかったです。(^_^)
ふと、この子供たちが、再来年の春、お隣の人工島、夢洲で開催される「大阪・関西万博2025」に来場してくれます。(^。^)
万博で、空飛ぶクルマやAIを駆使した技術など、未来社会のデザインに触れ、そこから大人になって、次の世代を形作っていくのでしょうね。(^-^)
そう考えると、今日の「こどもEXPO」も、また違った意味合いで見えて来るから不思議なものです。(°▽°)
〜昔、こどもたちは夢のなる樹だったよ、擦り傷だらけでいつも神様の隣にいた、がんばれ、がんばれ、いまのこどもたち、明日天気にしておくれ〜 さだまさし「昔子供達は」より
「万国の未来咲く春夢の洲」 祖谷馬関
(注)春の夢は、春の眠りにみる夢のこと。夢は春夏秋冬いつでも見るけれど、とくに春の夢は儚きもの譬えとして、古来、歌に詠まれ、物語に語られてきた。「ただ春の夜の夢の如し」などのように。
→という訳で、万博が儚い夢では困るので、季語は「春の夢」とせず、単に「春」夢とした次第。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
「京都検定対策シリーズ」
【2023特別公開】
(1)(三玄院)・・石田三成・古田織部の菩提寺、茶室・篁庵
★春屋宗園を開祖とする上記寺院の虎の襖絵を描いたのは 「原在中」★
☆春屋宗園を勧請開山とする「百積の庭」★がある寺院は 「聚光院」
*三玄院/織部好みの三畳台目・八窓の茶室篁庵(こうあん)(江戸時代建築)があり、本堂ふすま絵の八方にらみの虎は、原在中の筆による。
(2)(総見院)・・秀吉創建の信長の菩提寺、ワビスケ椿
★大徳寺塔頭の上記寺院に残る信長像の作者は 「康清」★★★
☆康勝、康正、康円の仏像がある寺院は 「蓮華王院」(三十三間堂)
* <康勝> 鎌倉時代に活躍、運慶の四男 空也上人立像(重要文化財)(六波羅蜜寺)
* <康正> 東寺大仏師康秀(長楽寺時宗祖師像)の子 薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩、十二神将像(すべて重要文化財)(東寺金堂)、弘法大師坐像(平等寺、因幡薬師)
* <康円> 運慶の孫弟子。 湛慶のもとで三十三間堂の再興本尊の造仏にあたり、大仏師を継承し、慶派(七条仏所)の主宰者として活躍。愛染明王坐像(神護寺)
(3)(大徳寺・芳春院)・・前田利家妻・松子創建、呑湖閣、
★飽雲池に打月橋が架かる上記寺院の作庭者は小堀遠州と(横井等怡)★★
☆前田利常、前田綱紀から連想する事柄は 「酬恩庵方丈寄進」(利常)★★、「東寺百合文書寄付」(綱紀)★
(4)(妙心寺・壽聖院)★★★・・石田三成が父・正継のために、永徳設計の庭
★上記寺院の門は、本山(妙心寺)の北門になっている
☆元信寺とは、元信の庭があるのは 「霊雲院」★(元信寺)、「元信の庭」(退蔵院)
(5)(上徳寺)・・家康の側室・阿茶局開基、「世継地蔵」
★五条通富小路下ルにある上記寺院には、(源融)の河原院があった
☆南陽院(南禅寺)、南明院(東福寺)から人物を 南陽院/木嶋櫻谷、南明院/旭姫/秀吉の妹で家康の正室
(6)(蓮光寺)・・負別阿弥陀如来(快慶)、長曾我部盛親の墓★★★
★浄土宗寺院特別公開で拝観した上記寺院には、(平清盛)ゆかりの駒止地蔵★★★
☆時雨松、五色椿といった出水の七不思議で知られる寺院は 「華光寺」★★★
(7)(理性院)・・醍醐寺塔頭、賢覚創建、探幽の水墨画、千体地蔵★★
★醍醐三流のひとつである上記寺院、金剛王院流の祖・聖賢創建の塔頭は 「金剛王院」(一言寺)
☆聖宝/醍醐寺、勝覚/三宝院(国宝唐門)聖賢/金剛王院(ヤマモモ)、賢覚/理性院(千体地蔵、探幽画)がややこしい
(8)(法厳寺)・・延鎮開山、清水寺の奥の院、霊水・金生水
★本山修験宗の上記寺院は、山の名から通称(牛尾)観音★★★
☆蛙岩、お経岩、大蛇塚がある法厳寺へのハイキングコース、流れる川は 「音羽川」★
(9)(平等寺)・・因幡薬師、鈴木松年作「仁王画」、康正作弘法大師像★★★
★小督局ゆかりの琴が公開された上記寺院は、(橘行平)邸宅内の仏堂が始まり★
☆在原氏の学問所・奨学院を創設した業平の兄は 「在原行平」★★★
(10)( )・・大原来迎院の塔頭、梶井宮法親王が政務
★呂川沿いにある上記寺院には、今尾景年を師とした( )の襖絵が残る
☆今尾景年の「景」は( )から、「年」は鈴木松年から付けた
(11)(西念寺)・・浄土宗西山禅林寺派、源融の河原院跡、平安時代の仏涅槃図★★★
★五条通の建物疎開で縮小された上記寺院には、運慶の子(湛慶)作の阿弥陀如来像★★★
☆上記寺院境内に「千喜万悦天満宮」が祀られている
(12)(新徳寺)・・清河八郎の演説、近藤勇・土方歳三らは壬生浪士組結成
★壬生寺道(坊城通)にある上記寺院、坊城通と四条通の交差点にある「元祇園社」は 「梛神社」
☆近藤勇書の屏風が残る島原の置屋は 「輪違屋」
(13)旧前川邸・・新選組の屯所、古高俊太郎拷問、山南敬助切腹
★山南敬助の墓がある寺院は 「光縁寺」
★伊東甲子太郎絶命の碑がある寺院は 「本光寺」★★★
☆伊東甲子太郎の墓は 「戒光寺」★★