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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

浅田彰氏、難解なカルチャー

昨晩、あるテレビ番組に、元・京都大学助教授でニューアカデミズムの旗手と言われた「浅田彰」氏が出演されていました。(^。^)

「浅田彰」氏は、馬関が大学生の頃、「構造と力」や「逃走論」などの著作がヒットし、当時のカルチャーファッションとなるほどの大変な人気でした。(^-^)

著作や論説はかなり難解で、馬関を含め当時の学生たちは、その内容をほとんど理解できていないくせに流行りの話題として語っていましたね。(^_^)

Wikipediaでは、次のように記されています。m(._.)m

1983年、京都大学人文科学研究所助手時代に、構造主義とポスト構造主義の思想を一貫した見取り図のもとに再構成する『構造と力』を発表。思想書としては異例の15万部を超すベストセラーとなり、同時期に『チベットのモーツァルト』を発表した中沢新一などとともに、いわゆる「ニュー・アカデミズム」の旗手として一般メディアを舞台に幅広い批評活動を開始した。

翌1984年には、一般誌などに寄稿したエッセイを集めた『逃走論』を発表。同書ではドゥルーズとガタリ、またマルクスなどの思想を従来のように正面から一点集中的に読み解こうとするだけではなく、多面的な視点を相互に移動しながらテクストに向き合う姿勢が必要だと説いた。この対比を、浅田は特定の価値観や立場・見方に固執するパラノイア(偏執狂)型と物事に固執しないスキゾフレニア(統合失調症)型に二分したが、これは「パラノからスキゾへ」というキャッチフレーズとして、当時の流行語となり、第一回新語・流行語大賞において新語部門の銅賞に選ばれた。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

このWikipediaの解説文自体がすでに難解ですが、、、!(◎_◎;)

さて、昨晩のテレビにおいても、浅田彰氏は歳を重ねた分、ルックスこそ変貌していましたが、そのコメントが相変わらず難解でした。(°▽°)

馬関としては、懐かしい恩師に再会したような気分で、テレビの前で思わず姿勢を正して拝見しておりました。m(__)m

「探梅や難解の師に邂逅す」 祖谷馬関

(注)探梅は晩冬の季語。春を待ちかねて、まだ冬のうちに早咲きの梅を求めて山野に入ること。枯れ尽くした大地の中に春の兆しを探す心映えを尊ぶ。寒気の残る山野を、一輪の梅を探し求める姿は、人生の真を追い続ける心の旅にも似ている。
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