半数は迎撃されたようですが、それでも40発あまりがインフラや街中に着弾し、多くの被害が出ています。!(◎_◎;)
プーチンは、ウクライナをテロ集団とこき下ろし、制裁としてミサイルを撃ち込んだと悪気もありません。m(__)m
パソコンゲームではなく、市民の尊い命が懸かった市街地での戦闘、、、施設破壊がターゲットとは言うものの、付近は暮らしの場であり、実質的には「無差別攻撃」だと言えます。(T . T)
ウクライナ側も報復があることが分かりながら行動に出ている、、、互いに振り上げた拳を下ろす場所と理屈がない、、、戦争の愚かさが露呈していますよね。(^_^)
まさかの核兵器使用とならないうちに、当事者同士で、せめて「停戦」に至ることを望みます。( ^_^)/~~~
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
さて、「奥の細道」より、今日の一句。
「涼しさやほの三日月の羽黒山」 芭蕉
花鳥風月、自然の情趣を詠み込んだ、日本古来の和歌の世界のようですね。(^。^)
これはこれで良いのですが、、、うまく言えないけれど、絵面は綺麗だけど、心の部分が伝わって来ないというか、「それでどうしたの?」と更に問うてみたくなる、そんな句ですね。!(◎_◎;)
とりあえず、句意を調べてみましょう。(^-^)
(解説)
1689(元禄2)年6月3日(陽暦7月19日)。芭蕉と曽良は、本合海から清川まで船で約20キロ移動した後、狩川経由で羽黒山麓の手向村(鶴岡市羽黒町手向)に向かった。目的は出羽三山への参拝である。
出羽三山は、羽黒山(414メートル)、月山(1984メートル)、湯殿山(1500メートル)の総称で、古くから現在まで修験道の道場だ。曽良の「日記」によると、二人は10日(陽暦7月26日)まで、この霊地にとどまり、うち、羽黒山の南谷で7泊、月山の山小屋で1泊した。
芭蕉たちは羽黒山の中腹、南谷にある別当の別院(紫苑寺)を宿舎に借り、ていねいにもてなされた―と「おくのほそ道」にある。
芭蕉たちは羽黒山の中腹、南谷にある別当の別院(紫苑寺)を宿舎に借り、ていねいにもてなされた―と「おくのほそ道」にある。
ここまでは、ごく普通の俳諧の風景。しかしこの後、かなり印象的な場面が展開する。三山を巡礼する登山である。
好天の下、芭蕉たちは修験袈裟を着て白木綿で頭を包む行者の姿で、南谷から8里(約32キロ)月山山頂に至る。この日は、山頂付近の小屋で1泊した。翌日は、月山から約4キロの湯殿山に詣でた後、来た道を南谷へ戻ったというから、1日で約40キロ移動している。
この出羽三山の場面、明らかに「ほそ道」の中では異質である。行き交う太陽と月、湧き立つ雲をダイナミックに捉え、真夏の氷雪まで盛り込む。宇宙的で神秘的だ。「神がかり」なのだろうか。
好天の下、芭蕉たちは修験袈裟を着て白木綿で頭を包む行者の姿で、南谷から8里(約32キロ)月山山頂に至る。この日は、山頂付近の小屋で1泊した。翌日は、月山から約4キロの湯殿山に詣でた後、来た道を南谷へ戻ったというから、1日で約40キロ移動している。
この出羽三山の場面、明らかに「ほそ道」の中では異質である。行き交う太陽と月、湧き立つ雲をダイナミックに捉え、真夏の氷雪まで盛り込む。宇宙的で神秘的だ。「神がかり」なのだろうか。
(句意)
霊妙な風の吹く羽黒山に三日月がかかっている。五月雨時期の下界の暑さがまるで嘘のような光景だ。ここに冒頭の「涼しさ」は、誉め詞であろうから一句は挨拶吟でもある。
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やはり挨拶句、、、この挨拶句は曲者で、宿や句会の主人に気を遣うあまり、パイセン・バッショーといえども平板になりがち、、、しかし、旅を進めるための俳諧興行ですから仕方ない部分もありますね。( ; _ ; )/~~~
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では、馬関より、返句献上申し上げます。
「食ふがため頭(こうべ)も垂れよ枯尾花」 祖谷馬関
(注)枯尾花は、枯芒の子季語で「冬」を表す。枯れ尽くした芒。葉も穂も枯れ果て、茎の部分が風に揺れる姿は寂寥感の極み。枯れ尽くした芒も野原一面に群れると美しくもある。雪や風の中に見るのも風情がひとしお。