大徳寺は、正和4年(1315)に、宗峰妙超(大燈国師)が紫野に小庵を結んだことに始まります。(^。^)
花園天皇や後醍醐天皇の帰依を受け、勅願所としてされましたが、応仁の乱(1467)で荒廃し、文明6年(1474)、「一休さん」こと一休宗純が住持となり再建されました。(^-^)
桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うため総見院を建立し、その後、前田利家や細川忠興など、多くの戦国武将が塔頭を建立しました。(^_^)
大徳寺は茶の湯と関わりが深く、“茶の湯の祖”とされる村田珠光や武野紹鴎、そして千利休ともゆかりのある寺院。m(._.)m
今も多くの塔頭に茶室があり、「大徳寺の茶面(ちゃづら)」とも呼ばれています。(^。^)
三門「金毛閣」の二階部分は、利休が増築・寄進したもので、この楼上に利休の木造を置いたことが秀吉の逆鱗に触れ、利休自刃のきっかけとなったと言われています。(ToT)/~~~
前庭奥にある唐門は、豊臣秀吉の聚楽第の遺構と伝わり、西本願寺・豊国神社とともに「桃山の三唐門」のひとつに数えられます。(^-^)
大徳寺の仏殿南庭にあるイブキの巨木は、仏殿が再建された寛文5年(1665)に植えられたものである可能性が大きく、樹齢は350年ほどと考えられ、京都市の天然記念物になっています。( ^_^)/~~~
「妙超の禅風よ吹け大徳寺
イブキと共に聚楽唐門」
by 祖谷馬関