彼は、二十歳の頃に郷里から上京し、以来、衣料品製造の仕事に打ち込み、30歳で独立した後は、社長業に邁進して会社を大きくして来ました。(^-^)
モーレツに働いた分、家庭を顧みることは少なく、子育ても奥様に任せきりだったそうですが、やがて還暦を前に、その会社もバブル経済崩壊に伴い倒産に追い込まれてしまいます。(≧∇≦)
60歳を過ぎてから職探しに明け暮れ、ようやく警備会社に就職したことで、交通誘導員の仕事に就きました。(^_^)
1車線を通行規制する道路工事の警備では、車両に一旦停止の合図を送る「手旗」にも、三十年来のベテランの技が冴えます。( ^_^)/~~~
上野さんは、五年前に最愛の妻・和子さんを亡くし、自分の人生を「生かされている」との思いが深まったと話していました。( ; _ ; )/~~~
何事にも謙虚に手を抜かず真剣に向き合う、いつも平常心を保ち人に丁寧に接する、、、上野さんの口から珠玉の言葉が溢れ落ちる、、、一方で、照れ隠しなのか、金が欲しいから働くんだと、語られていたのが印象的でした。(^。^)
警備の仕事にあたって、車の停止を求める際、ドライバーに必ず一礼し、見送りにまた一礼、、、道行く人にも笑顔で挨拶するから下校中の子供たちが声を掛けて来る。( ^_^)/~~~
結局、仕事の真価は業績ではない、人柄であり生き様なんだなと、あらためて身に沁みる番組でした。m(._.)m
「手旗振る誘導員の日焼け顔
皺に刻みし深き人生」
by 祖谷馬関