今日は、大阪臨海部の「夢洲」で、2025年日本国際博覧会の「起工式」が実施されます。
2年後の4月13日に開幕を迎える大阪・関西万博、、、記念すべき1日となりそうですね。(^。^)
公益社団法人2025年日本国際博覧会協会によると、2025年日本国際博覧会の開幕に向けて、夢洲(ゆめしま)の博覧会会場(大阪府大阪市此花区)で起工式を実施するとのことです。(^-^)
同協会では、4月より、公式参加国や民間パビリオン出展者への敷地の引き渡しを行うとともに、会場建設工事を本格化、万全の状態で開幕を迎えることができるよう、準備を加速していくとのこと。楽しみですね。(^_^)
以下、ネットからの引用です。
大阪・関西万博について
・会期 2025年4月13日(日曜日)から2025年10月13日(月曜日) ・場所 大阪府大阪市夢洲地区 ・テーマ いのち輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives) 「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマは、人間一人一人が、自らの望む生き方を考え、それぞれの可能性を最大限に発揮できるようにするとともに、こうした生き方を支える持続可能な社会を、国際社会が共創していくことを推し進めるもの。 言い換えれば、大阪・関西万博は、格差や対立の拡大といった新たな社会課題や、AIやバイオテクノロジー等の科学技術の発展、その結果としての長寿命化といった変化に直面する中で、参加者一人一人に対し、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を正面から問う、初めての万博です。 近年、人々の価値観や生き方がますます多様化するとともに、技術革新によって誰もがこれまで想像しえなかった量の情報にアクセスし、やりとりを行うことが可能となっています。このような進展を踏まえ、大阪・関西万博では、健康・医療をはじめ、カーボンニュートラルやデジタル化といった取組を体現していくとともに、世界の叡智とベストプラクティスを大阪・関西地域に集約し、多様な価値観を踏まえた上での諸課題の解決策を提示していきます。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
春の季語に「東をどり」という言葉があって、これは、京都の「都をどり」にならって始まったそうです。(^。^)
明治時代に、やはり博覧会があって、明治5(1872)年、第一回京都博覧会の附博覧、すなわち博覧会の余興として「鴨東花街ノ歌舞」、のちの「都をどり」が催されました。
2年後の4月13日に開幕を迎える大阪・関西万博、、、記念すべき1日となりそうですね。(^。^)
公益社団法人2025年日本国際博覧会協会によると、2025年日本国際博覧会の開幕に向けて、夢洲(ゆめしま)の博覧会会場(大阪府大阪市此花区)で起工式を実施するとのことです。(^-^)
同協会では、4月より、公式参加国や民間パビリオン出展者への敷地の引き渡しを行うとともに、会場建設工事を本格化、万全の状態で開幕を迎えることができるよう、準備を加速していくとのこと。楽しみですね。(^_^)
以下、ネットからの引用です。
大阪・関西万博について
・会期 2025年4月13日(日曜日)から2025年10月13日(月曜日) ・場所 大阪府大阪市夢洲地区 ・テーマ いのち輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives) 「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマは、人間一人一人が、自らの望む生き方を考え、それぞれの可能性を最大限に発揮できるようにするとともに、こうした生き方を支える持続可能な社会を、国際社会が共創していくことを推し進めるもの。 言い換えれば、大阪・関西万博は、格差や対立の拡大といった新たな社会課題や、AIやバイオテクノロジー等の科学技術の発展、その結果としての長寿命化といった変化に直面する中で、参加者一人一人に対し、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を正面から問う、初めての万博です。 近年、人々の価値観や生き方がますます多様化するとともに、技術革新によって誰もがこれまで想像しえなかった量の情報にアクセスし、やりとりを行うことが可能となっています。このような進展を踏まえ、大阪・関西万博では、健康・医療をはじめ、カーボンニュートラルやデジタル化といった取組を体現していくとともに、世界の叡智とベストプラクティスを大阪・関西地域に集約し、多様な価値観を踏まえた上での諸課題の解決策を提示していきます。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
春の季語に「東をどり」という言葉があって、これは、京都の「都をどり」にならって始まったそうです。(^。^)
明治時代に、やはり博覧会があって、明治5(1872)年、第一回京都博覧会の附博覧、すなわち博覧会の余興として「鴨東花街ノ歌舞」、のちの「都をどり」が催されました。
祇園新地橋東入南側の貸席松の屋を会場として、博覧会開催期間中、70日間にわたって祇園芸妓による興行が続きました。
都をどりは,京舞三世井上八千代(1838~1939)が伊勢音頭の総踊りをとりいれて振り付け、京都府参事槇村正直(まきむらまさなお)が作詞したと伝える舞芸妓による舞踊会。
大変人気が高く、以後の博覧会の呼び物として毎回続けるとともに、毎年桜の時期,4月1日から30日まで興行することとなりました。
都をどりは,京舞三世井上八千代(1838~1939)が伊勢音頭の総踊りをとりいれて振り付け、京都府参事槇村正直(まきむらまさなお)が作詞したと伝える舞芸妓による舞踊会。
大変人気が高く、以後の博覧会の呼び物として毎回続けるとともに、毎年桜の時期,4月1日から30日まで興行することとなりました。
2回目以降は常設会場として、祇園甲部歌舞練場が四条花見小路下る西側の成住院跡に建てられました。昭和10(1935)年、現在地に移転。都をどりのほか,温習会や邦楽・邦舞の発表会の場として利用されています。(^-^)
かつての「都をどり」や「東をどり」のように我が国(邦)を挙げての万博、そしてレガシーとなりますように。( ^_^)/~~~
「京に次ぐ東をどりや邦の春」 祖谷馬関
(注)東をどりは晩春の季語。東京新橋の芸妓による春の踊りで、京都の「都をどり」にならって始まったとされる。大正十四年に始まる。新橋演舞場で、毎年四月ころに行われる。
「京に次ぐ東をどりや邦の春」 祖谷馬関
(注)東をどりは晩春の季語。東京新橋の芸妓による春の踊りで、京都の「都をどり」にならって始まったとされる。大正十四年に始まる。新橋演舞場で、毎年四月ころに行われる。