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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

霞ヶ関文学と仲秋無月

朝刊に「霞ヶ関文学」なる言葉がありました。(^。^)

1991年の「月例経済報告」には、「我が国経済は緩やかに減速しながらも、引き続き拡大している」とあったそうです。(^-^)

景気が良いのか悪いのか分からない、読者をケムに巻く「霞ヶ関文学」の典型と断じられていました。(°▽°)

お役所言葉の常識として、よく言われるのが、「検討します」、、、「検討はするが、ほぼ実行しませんよ」という意味だそうです。m(__)m

「検討」と活字にすると、文脈によっては前向き感も出ますが、どうやら、お役所では、後ろ向きという含意があるようですね。(^_^)

本意が分かりづらい曖昧な表現、或いは、前向きな言葉とは裏腹な本意、、、だから、日本語は難しいのですね。(≧∇≦)

「無き月を愛づや風趣の無月かな」 祖谷馬関

(注)無月は仲秋の季語。陰暦八月十五日の名月の夜、空が曇って月が隠れている様子。待ちわびた月が隠れて見えないのは残念だが、かえって風情があるともいえよう。雲の厚さや動きによって雲間より月の光が漏れるのもよい。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「京都検定対策シリーズ」

(1)1805年 皆川淇園が、弘道館を設立する。
 *皆川淇園の墓は、信長寺といわれる「阿弥陀寺」にある。

(2)1863年 家光以来、将軍・徳川家茂が上洛する。
 *皇女「和宮」が嫁いだのは徳川家茂。

(3)1868年 長谷信篤が、初代京都府知事になる。
 *長谷信篤→槇村正直→北垣国道。

(4)1870年  新島八重の兄、山本覚馬が、京都府に出仕、舎密局が設置される。
 *山本覚馬は、初代京都府議会議長を務める。墓は、八重と同じく若王子山の同志社墓地にある。

(5)1895年 前田又吉が開業した「常盤ホテル」を、井上喜太郎が買い取り「京都ホテル」とする。
 *前田又吉の常盤ホテル、井上喜太郎の京都ホテル(現在はホテルオークラ)。

(6)1897年 稲畑勝太郎が日本初の試写会を、元立誠小学校あたりで行う。
 *稲畑勝太郎がシネマトグラフを使った試写会を行った。初めて映画を撮影したのは、牧野省三。(真如堂で「本能寺合戦」)

(7)1898年 初代京都市長に内貴甚三郎が就任する。
 *内貴甚三郎→西郷菊次郎(三大事業・第二琵琶湖疎水、上水道、道路拡築)

(8)1949年  梨木神社に句碑が残る湯川秀樹が、日本人初のノーベル賞を受賞する。
 *湯川秀樹、上田秋成の句碑が梨木神社に。
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