おい、SM男議員!
キミは一体何を考えとるんや!(≧∇≦)
「ロシアが勝つと思う」なんて、キミ、競馬の凱旋門賞やないんやからね!(°▽°)
マスコミが切り取った誤報みたいに釈明してるけど、記者の質問に対して「だって、あなた、ウクライナが勝つと思うか?」と切り返していたくらいなんで、単勝馬券を変えるつもりはなさげです。( ; _ ; )/~~~
政治家の信念には遠く及ばない発言、、、というより、この人の思想が恐ろしいです。m(__)m
こんな国会議員が存在して良いのか、、、シーガー元議員と同様の嫌悪感を覚えますね。(T . T)
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
朝刊の人生相談コーナー、「大学卒の息子が公務員試験に失敗し、居酒屋バイトを続けており心配」との相談でした。(^_^)
これに答えたのは、作家の「山口恵以子」さん。
「大学卒の頃、自分は少女マンガ家を目指してイヤイヤ働いてた。」
「そのあと、いくつかの宝石店の店員をして、44歳で食堂のおばちゃんに。」
「作家と呼ばれたのは、55歳で松本清張賞に選ばれてからゆえ、アドバイスする資格がない。」
山口さんの結びの言葉が秀逸でしたね。(^。^)
「大卒23歳くらいで決めた目標どおりに人生を歩んでいる人は少数。30歳くらいまでは試行錯誤なので、しばらくは息子の応援を。」
馬関、我が意を得たり。
経験上、そのとおりだと思います。(^-^)
かつての日本社会では、それがなかなか許されませんでしたが、現代では、転職は当たり前、大卒新任の若者も3日坊主で退社していきます。なかには、入社式の帰りに辞表を出す輩もいる。(°▽°)
古来、変わりやすい天気の意を借りて、「女心と秋の空」と言われますが、、、
「うつろひぬ若き心よ秋の空」 祖谷馬関
(注)秋の空とは、澄みきった空をいう。秋は雨に見舞われることも多いが、その後、大陸からの移動性高気圧おおわれてからりと晴れあがり、爽やかな空となる。
「女心と秋の空」は、故事ことわざ辞典によると、「女心と秋の空」は「男心と秋の空」を女心に変えたもの。 「男心と秋の空」はおもに女性に対する男性の愛情が変わりやすいことを指すが、「女心と秋の空」は男性に対する愛情に限らず、感情の起伏が激しいことや移り気なことの意味だという。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
「京都検定対策シリーズ」
さぁ、今日も年表を確認いたしましょう!(^。^)
(1)1578年 明智光秀が、丹波亀山城を築城する。
(2)1583年 豊臣秀吉が、妙顕寺城を造営する。
*秀吉は、現在の二条城東側にあった妙顕寺(日像)を移転、妙顕寺城を造る。
(3)1582年 妙喜庵の待庵を千利休が建造する。
*密庵は龍光院、如庵の写しは両足院、正伝永源院。
(4)1588年 後陽成天皇が聚楽第行幸、秀吉が方広寺大仏殿を着工する。
*二条城へは後水尾天皇。
(5)1593年 長谷川等伯が祥雲禅寺の襖絵を描く。(現在の智積院)
(6)1629年 紫衣事件をきっかけに、後水尾天皇が明正天皇に譲位する。
(7)1658年 中川喜雲が「京童」、山本泰順が「洛陽名所集」を刊行する。
*「京羽二重」は水雲堂孤松子、「雍州府志」は黒川道祐、「京雀」は浅井了意。
*無理やりの覚え方/「京の中、川や雲に喜ぶ童あり」「洛陽の名所を順に巡る山本君」「胡椒入り羽二重餅の水雲堂」「黒川君、雍州府志ってどう言うの?」「知恵の浅い雀が捕まり完了、以上」
(8)1687年 東山天皇が、応仁の乱以降中断の大嘗祭(即位の儀式)を再興する。
(9)1717年 下村正啓が、呉服店大文字屋(大丸)を創業する。
*ゆかりは瀧尾神社。古着屋から始まった「高島屋」は飯田新七の創建。
(10)1785年 文殊九助らが、伏見奉行所に直訴、伏見騒動起こる。
キミは一体何を考えとるんや!(≧∇≦)
「ロシアが勝つと思う」なんて、キミ、競馬の凱旋門賞やないんやからね!(°▽°)
マスコミが切り取った誤報みたいに釈明してるけど、記者の質問に対して「だって、あなた、ウクライナが勝つと思うか?」と切り返していたくらいなんで、単勝馬券を変えるつもりはなさげです。( ; _ ; )/~~~
政治家の信念には遠く及ばない発言、、、というより、この人の思想が恐ろしいです。m(__)m
こんな国会議員が存在して良いのか、、、シーガー元議員と同様の嫌悪感を覚えますね。(T . T)
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
朝刊の人生相談コーナー、「大学卒の息子が公務員試験に失敗し、居酒屋バイトを続けており心配」との相談でした。(^_^)
これに答えたのは、作家の「山口恵以子」さん。
「大学卒の頃、自分は少女マンガ家を目指してイヤイヤ働いてた。」
「そのあと、いくつかの宝石店の店員をして、44歳で食堂のおばちゃんに。」
「作家と呼ばれたのは、55歳で松本清張賞に選ばれてからゆえ、アドバイスする資格がない。」
山口さんの結びの言葉が秀逸でしたね。(^。^)
「大卒23歳くらいで決めた目標どおりに人生を歩んでいる人は少数。30歳くらいまでは試行錯誤なので、しばらくは息子の応援を。」
馬関、我が意を得たり。
経験上、そのとおりだと思います。(^-^)
かつての日本社会では、それがなかなか許されませんでしたが、現代では、転職は当たり前、大卒新任の若者も3日坊主で退社していきます。なかには、入社式の帰りに辞表を出す輩もいる。(°▽°)
古来、変わりやすい天気の意を借りて、「女心と秋の空」と言われますが、、、
「うつろひぬ若き心よ秋の空」 祖谷馬関
(注)秋の空とは、澄みきった空をいう。秋は雨に見舞われることも多いが、その後、大陸からの移動性高気圧おおわれてからりと晴れあがり、爽やかな空となる。
「女心と秋の空」は、故事ことわざ辞典によると、「女心と秋の空」は「男心と秋の空」を女心に変えたもの。 「男心と秋の空」はおもに女性に対する男性の愛情が変わりやすいことを指すが、「女心と秋の空」は男性に対する愛情に限らず、感情の起伏が激しいことや移り気なことの意味だという。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
「京都検定対策シリーズ」
さぁ、今日も年表を確認いたしましょう!(^。^)
(1)1578年 明智光秀が、丹波亀山城を築城する。
(2)1583年 豊臣秀吉が、妙顕寺城を造営する。
*秀吉は、現在の二条城東側にあった妙顕寺(日像)を移転、妙顕寺城を造る。
(3)1582年 妙喜庵の待庵を千利休が建造する。
*密庵は龍光院、如庵の写しは両足院、正伝永源院。
(4)1588年 後陽成天皇が聚楽第行幸、秀吉が方広寺大仏殿を着工する。
*二条城へは後水尾天皇。
(5)1593年 長谷川等伯が祥雲禅寺の襖絵を描く。(現在の智積院)
(6)1629年 紫衣事件をきっかけに、後水尾天皇が明正天皇に譲位する。
(7)1658年 中川喜雲が「京童」、山本泰順が「洛陽名所集」を刊行する。
*「京羽二重」は水雲堂孤松子、「雍州府志」は黒川道祐、「京雀」は浅井了意。
*無理やりの覚え方/「京の中、川や雲に喜ぶ童あり」「洛陽の名所を順に巡る山本君」「胡椒入り羽二重餅の水雲堂」「黒川君、雍州府志ってどう言うの?」「知恵の浅い雀が捕まり完了、以上」
(8)1687年 東山天皇が、応仁の乱以降中断の大嘗祭(即位の儀式)を再興する。
(9)1717年 下村正啓が、呉服店大文字屋(大丸)を創業する。
*ゆかりは瀧尾神社。古着屋から始まった「高島屋」は飯田新七の創建。
(10)1785年 文殊九助らが、伏見奉行所に直訴、伏見騒動起こる。