少し前の私のブログで、宝くじについて『当たった時のことを考えて買わない人がいる』ことについて書きましたが、自分もある場合には同じようなことを考えていたことに気がつきました。
私の場合、『買わない』でなく、『もらいたくない』のですが…。
それは、よく大手スーパーやメーカー、銀行系等で景品としてくれる『宝くじ』です。銀行や信用組合など金融関係のところの独自の懸賞ではなく『宝くじ』そのものをくれる場合です。
考え過ぎる私のただの考え過ぎなのか、実際そういうものなのか、なんか配る宝くじの番号を控えられて、1等が当たったら何かとうるさく言ってこられるのではないかと…。
まだ銀行系ならプライバシーは守られる感じがするんですけど、大手スーパー、メーカーなんかだとなんとなくプライバシーはありつつもいつのまにか当選の話が漏れていてもおかしくないような、漏れていてもそこまでの責任をどうにも取ってくれそうもないようななりはしない気がします。それに一回漏れたらおしまいですし。
『そう思うと、もらう宝くじは当たった時が怖いので要らないです。』
となります。
昭和の火曜サスペンス劇場ならありそうな話です、事件の起こらないドラマのタイプで(そういうのは当初よくあったような気がします)。
私の妄想ストーリー『幸せをつかんだはずなのに…。地獄の日々の始まりは突然に!"つい宝くじに当たった女"』
主人公、安子が年末のどこか気忙しい商店街の顔馴染みの個人経営の洋品店で、お気に入りのセーターを見つけ購入すると、女店主が微笑みながら
「うちも今年から真似てみたのよ、年末ジャンボ宝くじプレゼント。
うちは5千円につき一枚だけど、"年末の楽しみが増えた!!"ってなかなか楽しんでいただけるようで好評なのよ。」と一枚手渡してくれる。
そして手を合わせて「当たりますように!」と神妙な面持ちで祈ってくれる女店主に安子は思わずニコリ。
しかしそれがなんと不幸の始まりだった。
そのたった一枚の宝くじが一等当選の7億円当選。しかも律儀にも女店主は誰にどの番号のくじを渡していたかを控えていたのだった。
その日から近所や商店街で安子が通る度、人々のヒソヒソ話。頻繁にかかってくるやっかみや無言電話。
しつこい訪問販売。
優しい面持ちで訪ねてきた慈善団体の募金のお願いを丁重に断れば打って代わってひどい罵声をあびせられる始末。
子供の帰りが遅い時には、いたずら電話と重なると、身代金目当ての誘拐かと恐怖に震え、「ちょっと隣町へ行っていただけだよ」と帰ってきて気楽に答える小2の息子に日頃のストレスも加わって、思わず鬼の形相で、息子の左頬を平手打ち。
あまりの仕打ちに爆泣きする息子。ハッと我に帰る安子は息子を抱きしめ「ゴメンね、ゴメンね」と安子も号泣します。
私、いやです。そんな生活を送るなんて…。
『ただ』が『7億円』に変わるのは『ただほど怖いものはない』の最上級の例のような気がします。
皆さん、ただには気をつけましょう!と言うことで今回のブログ、終わらせていただきます。
最後までお付き合いありがとうございました。