昨日の記事が消えたので再度投稿しました。
父は昭和3年2月27日生まれの95歳。母が亡くなってから20年一人で生活しています。
今週の火曜日、父のことでかかりつけの病院がされている居宅介護支援員さんに電話で相談しました。
滅多なことで相談はしないのですが今にして思えば虫の知らせだったのかもしれません。
話をしたあと実家に帰りました。
片道1時間かかる実家に3時過ぎに着き、買い物に行こうと話しましたが私が買ってくれたらそれで良いと言います。
自分の好きなものを買えば良いからと言うと行く気になりいつものお店に行きました。
そして2日後の昨日の木曜日、支援員さんから2時に電話が入りました。
お家に行ったら鍵がかかっていてお父さんが出て来られないし、電話をしても出られないと。
大体電話をかけるのは時間帯も決まっているし最低でも50回はコールすることを話しました。
私が電話をしてみますと一旦切ってかけましたがやはりでません。
これから私が実家に帰りますと折り返し支援員さんに電話をしました。
信号待ちの時に妹に電話を入れて経緯を話しました。
妹がちょっと電話を切るね!と言ったままその後の電話が入りません。
私はその後も運転しながら何度も父にコールをしました。
62回コールしてもでません。
あと30分で着くと言う時にやっと父が出ました。
しんどかったことを知らなかった私は電話口でいつものようにガミガミ言ってしまいました。
妹に電話をすると、お父さん元気よ! もうこっちに帰って来なくて良いよ~
妹は電話を切ると義弟と一緒に実家に帰ってくれていたのです。
いくら元気であってもUターンする訳にはいきません。
実家に帰るとしんどくて直ぐには起きれないと言いました。
朝から3回吐いた事も分かりました。
父の元気なことを確認し、田んぼのことで気になることがあり3人で確認に行くことにし一先ず帰りました。
しかしやはり気になって私だけ用件が済んだあとに父を見に帰ると私たちを見送った場所にまだ座ったままでした。
しんどい?
まあまあよ!
家に(我が家)一緒に帰ろうよ!
行かん! することがある!
いつもと変わらない会話です。
しかし昨夜泊まってあげていたら今日の事は起こらなかったかもしれません。
今朝父に電話をして様態が悪ければ病院受診をすると別れ際に妹に話していました。
今日の12時半に妹から電話が入り何回かけても電話に出ないけどお父さんどうだった?と。
さっき帰ったばかりでこれから電話するからと私。
何度かけてもやはりでませんでした。
支援員さんに状況を話して妹宅に迎えに行きました。
早く帰れば良いのに小1時間ばかり妹宅で話してしまいました。
実家に帰るとやはりカーテンは閉まっています。
鍵がかかっており何処にも出かけた気配はありませんでした。
唯一鍵を開けて入れるのはお風呂しかない実家。
お父さん! お父さん!
呼ぶと微かに声は聞こえるのでまた鍵を開けてないんだ!といつもの不満な私。
居間に入ると父はうつ伏せで倒れていました。
夜は紙パンツを履いて寝ていますがパジャマのズボンは履いていません。
この状況を見て直ぐに妹に救急車を呼んで!と言った私です。
毛布は寒いだろうと妹がかけました。
居間のテーブルの上に置いてあるスタンドも倒れて物が散乱しています。
会話はできますがか細い声。
よーくみると顔が腫れて目は開いておらず手足のあちこちが紫色になっていました。
消防署に電話をして状況を説明している妹の横で背中を擦りながら義弟に救急車を要請したことを伝えました。
救急車が到着し担架を持って家に入られ、父に話を聞きながら時間をかけて担架に乗せられました。
顔は鼻水が出たのかグチャグチャでビックリ!
動かすと何度も 痛い!痛い!
サイレンの音を聞いて1番近い下のおじさんとおばさんが駆けつけてくれました。
消防士にかかりつけの病院と主治医を伝えたので救急車の中から連絡されていたのでしょう。
妹が救急車🚑に同乗し、義弟が後ろを付いて出ました。
私は家の戸締まりをして最後に出ました。
病院で主治医が私に、
昨年と同じですね! 熱中症かもしれません。
とりあえず転んでおられるのでMRIを撮りましょうと。
処置をしながらいつ倒れたのかと聞かれても記憶はありません。
それなのに朝ごはんも昼ごはんも食べたと言ったそうです。
居間のカーテンが開いていないのだから夜中に倒れたのかもしれません。
父の顔は腫れて両方の頬の皮膚は皮が剥け両膝も擦り剥いています。
おそらく四つん這いになって何とか起きようとしている間にパジャマのズボンが脱げたのだと思います。
血液検査の結果、かなり凝縮していたのでおそらく熱中症でしょうと言われましたが、肺のレントゲンを見せながら、白くて◯い箇所がこんなに何個もあるのでおそらくガンでは無いとは思いますが月曜日に再度確認しますと言われました。
タバコ歴の長い父なので肺ガンでもおかしくはありません。
主治医の説明がある迄に3人で今後の話し合いです。
まさか連れて帰っても良いですよ!とは言われないよね。
おそらく入院だろうけど退院したらその後どうするかを考えておかんと!
処置室で主治医が父の擦り剥いている箇所を消毒しながら◯◯さん、入院してくださいね~
そう言われると何と父は驚くことに素直に ハイ! と返事をしたのです。
昨年は帰る!帰る!と言い張り、病院の相談員さんも久々にこんな人を見ましたと言われたのです。
それだけ頑固な父が今回はあっさり入院するといったことにビックリでした。
一先ず父は入院しましたが元気になると直ぐに帰る!と言うのは間違いないです。
主人も救急車が出る時に連絡をしたので病院に来てくれ説明を4人で聴きました。
消防士だった義弟がいるだけで心強いです。
病院を出たあとにお世話になった消防署に手土産を持って挨拶に行きました。
義弟はいつも出入りしているし一人は近所の方の甥なので顔見知りです。
妹も知っていたのに病院では全く気付かず帰り際に気付いたそうです。
消防士さんも妹だと分かっていても仕事上のことで僕ですよ!とは言えなかったようです。
3人とも救急救命士なので任せても大丈夫!と義弟。
退職しても慕ってくれるのは嬉しいですね。
義弟曰く、休憩室はいつ来ても汚いなあ~(笑)
暫く留守の実家ですが風を入れたり片付けに帰らないといけません。
主のいない家は寂しいなあと思いながら鍵をかけて帰りました。
4人で遅い晩ごはんを食べながら、
今日帰って良かったね~
もし帰ってなかったらお父さんは死んでたよね。
あれだけ散らばってたから苦しかったんだろうね。
去年のお盆も私と◯◯さん(主人)がいたから助かったしね。
父が几帳面につけている日記帳を義弟が見て、きつい、休憩と書いてある日が増えていたと言いました。
それなのにしんどくても私たちには一切言わず頑張っていた父です。
あの時代を生き抜いた人は本当に強いです。
虫の知らせではないけれど今日帰らなかったら明日の命は無かったと思います。
今日帰って良かった!!
帰らなかったら後悔ばかりしたと思います。
とても長い長い一日でした。