ショートスティで入所している義母に、同じフロアの方々と食べて頂くためにおまんじゅうを持って2時からの面会に行ってきました。
受付で諸々の質問に記入していると、ケアマネさんが義母の介護認定の見直しをしたと説明に来られました。
要介護1から4になりました。
自分の足て歩く距離も短くなったと。
施設での過ごし方について説明されました。
月に一度面会するのですが、行くのは私だけみたいです。
義妹は義母が施設に入所してから、お姉さんの許可を取らないといけないですか?って言ってたけど、行くことはないのでしょう。
長いこと見ていないと義母。
今日も すまんね。あんたも忙しいのに来てくれてありがとうね。
同じ言葉を繰り返し言ってくれました。
家の事を全部あんたたちに任せて、私は楽をさせてもらってごめんね。
その繰り返しです。
大正12年生まれの99歳の義母。
認知もゆっくり進んでいるようです。
それと反対に実家の父親は94歳,
母亡き後も一人で頑張っています。
免許の更新が来年。
返納するとなれば生活に不便を生じて来ます。
タクシーか予約して巡回
のマイクロバスに乗るしかありません。
お金を出したくないのでなんのかんのと言いながらも更新するのではと思います。
昨夜今度の日曜日に行われる町内一斉の草刈りの放送があったかと電話をしました。
なかなか電話をくれないので下の家に教えてもらうようにお願いしています。
先日の朝予定通り日曜日にあると電話をもらいました。
毎年7月末の日曜日と決まってはいても連絡がないと気になります。
父は放送を聞き逃していたようで、昨夜の電話で放送があったと言いました。
7時半から11時までの草刈りは疲れます。
汗びっしょりになって帰る主人。
先日の連休は夫婦で草刈りに精を出しました。
帰るときに お父さん、〇〇さん(主人)に感謝せんといけんね。
お父さんは私に離婚して帰ってこの家を継げと言うけど、私が例え離婚して帰っても草刈りにはでんよ!
その時はどうする?
そう言うと、そりゃあお金を出して誰かに出てもらうようにする と言いました。
主人に対して感謝の言葉は一切ありませんでした。
悲しいですよね😭
こちらが一生懸命やっても当たり前程度にしか思っていないのです。
その理由は母が亡くなって地域の方々に長女である私たち夫婦がこの家を継ぎますと、地域の人たちに頭を下げたので父は主人に全てを託すつもりになったのです。
ところが62歳で突然長男が亡くなり、嫁である義姉が難病で後を追うように亡くなりました。
残された義母も次男である主人に頼ります。
三男は養子だし仕方のないことです。
私の実家は田んぼは大型農業をされる人に預けているけど、主人の実家は草が生えるのを嫌う義母が米を作るようにと言います。
もともと義兄が生きている頃から主人が手伝っているので全く苦ではありません。
それに全て機械があります。
こういった流れが父には許せないのでしょう。
昨夜も離婚して帰ってこい!と言いました。
その言葉を口にされる度に私の心は辛くなります。
お父さん、普通なら親は子どもの幸せを思うけど離婚して帰って家を継げ!って言うのは世界中何処を探してもお父さんくらいのものよ。
本当に私に離婚して帰って欲しいん?
そう言った私です。
答えはもちろん 離婚して帰ってこの家を継いでくれ! でした。
涙がでますよね。実の父親にこんなに言われるのって。
フォローしているブログの方で教育者であったお父さんの事を書かれているのを読むたびに、大事に育てられたんだなあと羨ましくてなりません。
他にも娘さん二人は遠方にお住まいだけど一緒に旅行に行かれたり、誕生日にはプレゼントを送られたり、我が家とはかけ離れています。
父は家が大事。
家を守らなければ、その思いが異常なほど強い人です。
寝ていても名義を誰にするか、そればかり考えているので寝ることができないと。
穏やかな義母の顔をみていると正反対の父はこの先も自分のことしか考えられない人生を歩むのだろうとつくづく思いました。
来月からコロナの感染がひどくなっているので当分面会は禁止だそうです。
帰り際、職員さんと私を見送ってくれました。
また来るね!と手を握るとなかなか手を離してくれません。
お盆には僅かの時間だけでも連れて帰りたかったのに叶いませんでした。