寝付かれなくてこんな時間からブログを書いています。
思うことがたくさんあってとてもじゃないけど寝れそうもありません。
ブログをされてる方があれほどおらるのに書かれていることはほんの一部にしかすぎないのでしょうね。
本音を書く人ってどのくらいおられるのでしょう?
先週の月曜日、しんどい思いをしながらゴミ箱の掃除に行ったことを書きました。
行く1時間前くらいにサイレンのなる音が近くでしましたが大して気にも留めていませんでした。
家の前の道路を歩いていると救急車、パトカーが数台、救急車両、ご近所さんも大勢集まっています。
聞くところによると警察官もどうしたものかと1時間もその家の周りをウロウロしていたのだそうです。
結論から言うと独り暮らしの男性が自宅で亡くなっていたのです。
死後かなり経過していました。
同じ組内の方ですが変わり者というか難しい人で好きになれない人です。
父と同じような人。
ですから町内会も脱退され付き合いは全くありません。
民生委員が人数を調べに行かれても応答はなく郵便物が溜まって不審に思い警察に連絡されました。
しかし警察官でも勝手に家に入ることはできず身内の方を探していたので遅くなったようです。
こんな田舎でまさか孤独死が起こったことに驚きました。
人と接するのを嫌う、人が避けて付き合う人がいない。
実に悲しいことですがそれは他人が思うだけかもしれません。
本人は気楽だからです。
この1か月に私は2回、腹が立って電話で怒鳴りました。
相手は主人の弟、私からすると年上ですが義理の弟と連れ合いである義理の妹にです。
養子に行っているので姑が不憫に思い〇〇が帰ってくる家を絶やしたらいけん!と常に言っていました。
里帰りをする家がないと可哀そうと。
長男が他界して家を守るのは次男の主人、私も頑張っていましたが私たちがいくら頑張っても意味がないことが分かりました。
義妹に一生懸命話しているのに妹はスマホをどこかに置いていたのでしょう。
聴いている気配は感じられませんでした。
私はバカか。
主人は弟でも全くあてにもしていないと言いました。
あれだけ仲が良かった私たちなのに宗教に入ってから別人になりました。
そしてもう1つ腹が立つのは実家の父。
先月妹と帰って定期の病院受診しました。
妹に作業着を2枚買うように頼んでいたのですが町内にサイズがなく妹がお姉ちゃんの住む町ならあるだろうから買って欲しいと頼まれました。
スーパーに行くとちょうどよい父に似あいそうなカッターシャツがあり3枚買いました。
病院から帰って見せると、これはいらん!これもいらん! あそこへ掛けとるような服を買ってきてもらうつもりだった。
持って帰ってくれ!
私は情けなくて手をついて父に、ごめんなさい。本当に申し訳ありませんでした。と言ったのです。
実の父親にです。
妹がお父さん何を言っとるん、お姉ちゃんに頼んで買ってもらったのにその言い方はないよ!
私は自分勝手な父に対してこれが最後、もう二度と家には帰ることはしないと決め逃げるように帰りました。
あれから1か月、悶々とした毎日を過ごしました。
妹が暫く帰って来なくていいからと言ってくれたので病院や買い物もお願いしていたのです。
でもいくら腹が立っても親は代えられません。
毎日起きたかな?寝たかな?と気になります。
数年前から地元中国新聞が広島県尾道市で103歳で独り暮らしをされている石井哲世さんを取材され不定期で近況を掲載されています。
本も出て最近はテレビでも放送されました。
その石井哲世さんが昨日の朝のラジオ番組に電話出演されました。
とてもしっかりしてとても103歳とは思えません。
石井さんご夫婦には子どもがおられません。
ご主人を亡くされ独り暮らしをされています。
入院されていたそうで先日退院してから姪っ子さんの家で過ごしておられるようでした。
アナウンサーの質問に、姪が良くしてくれるんですが家へ帰りたいです。仏壇もありますし家を守らんといけませんしなあ~
アナウンサーがそうですよね、ご高齢の方は家を守ることを大事にされますからね。
その言葉にハッと気が付いたのです。
今まで父が言うことに対して反論ばかりしてきた私です。
母が生前父の尻ぬぐいをしていたことを私がしているのです。
でも父が思うことはあの時代を生きてきた人にとっては思いは同じなのだと。
そして水曜日の新聞の暮し面は「傾聴」についてここ数回掲載されています。
昨日の内容を読んだとき恥ずかしいことですが私は自分の我を通してきたのではと思いました。
父の心に寄り添うことはしなかったと。
嫌いな父ですが一人で頑張っているじゃない。
そう思うと帰る気持ちになりました。
父の勝手な物言いにいつもいつも私が腹が立っていたのです。
スーパーで私が食べるお弁当とおはぎ、今夜のおかずにと思って買っていたアジのフライを持って帰りました。
明るいので電機を点けてまで食べなくてもいいと言う父ですが許可を得ず点けてお弁当を食べました。
しかし会話はありません。
めまい体操が終わったあとに目がまわってね~
そこから久々に長い時間話をして二人で畑に行きました。
大きなジャガイモを掘って肉じゃがを作りました。
父が自分で作ると言ったけどこれくらいなら私がしてあげる!って。
冷蔵庫に食材がなくおはぎとアジのフライを渡すと初めて頭を下げてありがとうと言ってくれました。
ありがとうのあの字も言わない父にこちらがビックリです。
明日、と言っても日付が変わったので今日ですが今日も帰って髪をつんであげて4時前に病院に行きます。
昼までには帰ってきてバリカンで髪をつんでくれえよ!と言われたので今日は私のお弁当も作ります。
2週間苦しんだ目まい、おそらく精神的なものが大きかったのではないかと思います。
完全にストレスを抱えていたと。
昨日のラジオと新聞を読んで心が軽くなったのは確かです。
でもこの先また嫌な思いをすることがあると思います。
傾聴、寄り添って耳を傾けてあげれるように私も努力しないといけないのですね。
そちらもいろいろあり大変でしょうね。。。
めまいの方も少しずつ回復向かうと良いのですが、
昔のあの時代の人は接し方が難しいですが、こうと思えばいくら回りが良いアドバイスをしても意志が固く、傾聴しようとせず、回りが振り回させてばかりいます。。。
我が家の義父と同じです。。。
義父は未だに義妹や私に対しても「ありがとう」と言ったことすらありません。
回りがやるべき。当たり前だと思っていて、(自分の親もほったらかしだったが、一応、最後まで見届けてきたようですから、)
義父一人ではどこへも行かれず、何もできないのはわかっていますから、以前、皆が怒ってしばらく行かない時もありましたが、やはり親である以上、見捨てるわけにはいかず、遠く離れていれば誰一人と行かれない、全てヘルパーさんにお任せ出来る覚悟は皆が出来るのでしょうが、、、。
「ありがとう」の言葉を言ってもらうだけで今までの理不尽な思いは全てどこかへ吹っ飛んでいくんでしょうが、
あの年代の人はとても難しいですけど、まだまだ身体が動けるうちは限界まで頑張るつもりでいますね!
過酷な戦争時代を過ごしてきたわけですから、今の時代の若者より生きる力はとても強いと思いますよ!
買ってきてもらっても気に入らないのなら、KiKiさんは大変かもしれませんが、一緒に出かけて好きなモノを選んでもらった方が本人にとっても気晴らしにもなりそうですし、お互いのイライラもなくなりますね!
私もいろいろいらつくことが多々ありましたが、もう面倒なことは義妹たちに任せて、私が出来ることはいちいち義父聞いて行動することにしました。
ヨボヨボですが、まだまだ家の世帯主ですから、、、。
限界まできたら義父から何らかのアクションはあると信じ、待つことにしています。
2ヶ月前まで同じような環境の独居男性のヘルパーをしていましたが、一人で立つことができなくなり、受診も何回も行っても完治せず、医師からも見放され、もう限界がきて、自分の意思で施設入所されました。家のことも遠くの息子さんがなんとかしてくれるだろうと諦めて、思い残すこともなく入所されたのだと思います。
KiKiさんのお父様もいずれはそんな時が来るのではないでしょうか?
先は長いですが、待つしかありません。
お体ご自愛下さいませ。
長くなりました。失礼致しました。
ありがとう 人と触れあう中で、大切な言葉ですね。
色々考えながら読ませて頂きました。ありがとう😆💕✨ございます😊
いろいろと思われたことが重なったのですね。
ご家族間でのトラブルは本当に神経を使われると思います。
お父様とのこと 涙が出ました。
「有難う」の一言がどんなに人の心を軽くてしてくれるのか教えられますね。
心の底から出た「有難う」は何にも変えられない物だと思います。
「傾聴」難しい時もきっとありますが でも意識しているのと全然知らないのとでは雲泥の差だと思います。 私も若い頃 ちょっと勉強したことがありました。
今なんの役にもたっていませんが・・。
ブログを本音で書く・・・私はそう努力しています(笑)
そうでないとどこかでちぐはぐになるのではないかと思って・・。
くれぐれもお身体 ご自愛くださいね。
頷きながら読みました。
舅、姑さんを始めとして仕事柄色々な方と接しておられるので私の気持ちを十分過ぎるほど理解してくださることにとても嬉しかったです。
金曜日父を連れて受診し主治医から父との接し方のアドバイス頂きました。いつも思うのですがとても丁寧な先生です。
昨日脳外科に行きCTも撮りました。
やはり内耳からきているようです。
ゴロゴロしているので体力もかなり落ちています。
1つの行動にフーフーしながらなので時間がかかっています。
今週から仕事復帰して日常に戻れるように気持ちを切り替えます。
嬉しいコメントありがとうございました😊
主治医が父に娘さんが心配していることなど話してくれました。
最後に娘さんで良かったですね、息子ならここまでしてくれませんよ~って。
私にもアドバイス頂きました。
お父さんは自分なりにされているのだから遠目で見てあげてください。暫く離れるのも良いですよ、と。
目まいの事も話しました。
昨日脳外科に行きCTを撮りました。
やはり内耳ですねと。
ストレスもありますか?と聞くのを忘れましたが疑問に思う事は全て聞きました。
今週から仕事に行きます。
まだ目まいがありますができると心を強く持って。
共感して頂いてありがとうございました。
金曜日は父の言うことを受け入れて聴きました。
他の方が聴いていたら腹が立つだろうと思いながら。
帰り際にお父さん、今日はやりたいこと全部できたね。病院も行ったし髪も切ったし、買い物も行ったし。
そう言うとお世話になりましたと言って頭を下げました。
よほど嬉しかったのでしょう。
3月中旬に車を手放してから不自由になり何処に行くにも人の手を借りないといけません。
過疎に住む人が車を手放すことがどんなに大変か父を見てつくづく思います。
ありがとうの一言は誰でも心をホットさせてくれる言葉ですね。
共感して頂いてありがとうございました。