駆け足で逝ってしまった父でした。
12日の夜、甥がじいちゃん施設に入って元気に歩けるようになろうよ! と一生懸命話をしてくれた事を記事にしました。
その時父は行かないと何度も言いました。
2人の会話を聞きながら私は父に言いました。
お父さん、お父さんはお母さんが亡くなってから21年一人で頑張ってきたよ。何もかも全部一人でやってきたんだからこれからは楽になろうよ!と。
お父さんが死んだら拍手👏で送ってあげるよ!それだけ頑張ったんだから
施設に入所していればスタッフさんの下で管理され長生きはできますが父は73歳から95歳まで食事も自分で作って3月中旬まで車も運転していました。
草刈りも野菜作りも全て一人でやっていたのですからあっぱれの表現しか私にはありません。
拍手で送ってあげるよ!
それは嘘ではなく私の本心です。
息を引き取った後の顔は本当に安らかでした。
一人で病室にいると看護士さんが入ってこられ亡くなるまでの説明をしてくださいました。
母が亡くなってから父がどれだけ一人で頑張っていたかを話し、父には拍手をして送りたいと言っていた事を話しました。
若い看護士さんでしたが私の話を聞いて目に涙を浮かべておられました。
暫くして病院に戻ってきた妹夫婦と次男、主人の5人で拍手👏をしました。
詰所横の病室から突然拍手👏の音が聞こえるてくると亡くなられた事を喜んで拍手していると思われるでしょうが事前に話していたので驚かれることはなかったと思います。
これで私の気持ちは終わったと。
昨夜通夜の後に看護士だった従妹に話すとそれはどうかな?と言いました。
父は嫌なら嫌と態度や口に出しますがその時は何も言いませんでした。
私の気持ちは義弟、甥、主人には理解してくれたと解釈しています。
火葬場で妹がお姉ちゃん、お父さんに拍手👏で送り出すんじゃなかったん?と言いました。
もう終わったことと思っていたので妹の言葉にここにいる父にとって一番身近な人たちにもお礼と感謝を込めて拍手して送って欲しいと思ったのです。
係の方に失礼な話ですが…
そう切り出して思いを伝えました。
もう一人の方にも同じ事を言いました。
故人を送るのに拍手で送るなんて誰が考えても許せる話ではありません。
しかしその方は私の気持ちを汲んでくださり普通は合掌で終わりますがその後にしましょう!
父は拍手で旅立ちました。
食事前に喪主の私がどういう経緯で拍手で見送ったかを説明しました。
気分を害されたかもしれませんが…と。
故人を送るのに拍手するなんて許せることではないのは重々承知しています。
分かっていながらする私はやはり変り者かもしれません。
父が他の方の葬儀に参列しそんな事をすると激怒したと思います。
良い悪いは別にして私が父に感謝の気持ちとして拍手で送りたかったのです。
時間とともにこれで良かったのか?
いや父は喜んではいないけど言葉にできなかった私からの気持ちと受け止めてくれているかもと心は揺れ動いています。
良い悪い、それを白黒つけるなら黒かもしれません。
お父様のご冥福をお祈り致します。
今年の3月まで運転もされていたとは驚きです。
男性で95才なら大往生ですね~
自分の父は90才で心臓系の病気で突然死だったので
それまで頭もしっかりで子供へは迷惑全くかけずでしたが。
お父様もこれくらいなら長生きされた分
少しくらいはしょうが無いですね~
昭和の人間は強いですね~
お父様もわかって下さると思いますよ~
立派でした。
ご冥福をお祈りいたします。
しっかりと伝わったことかと思います。
私の父は、69歳で亡くなりました。
肝臓がんでした。
亡くなる2週間前に、病院で、
「いい人生だった。」って言った言葉が忘れられません。
そしてお疲れさまでした。
おくり方は人それぞれで良いと思います。
キキさん、色々辛い日を乗り越えお父さんと向き合われました。
今、様々な気持ちに向き合っておられると思います。
お疲れも出ていると思います。
身体を労りお過ごしくださいね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
持ち直しましたというブログを待っていたので
とても残念です
もっと長生きしてほしかったです
前回のお部屋の写真は
つれあいを亡くして、そのあとは誰にも迷惑をかけないでここで生きていくという信念が伝わってくるようでした
身体がご不自由なのに最後まで育てたなすときゅうりは尊すぎました
拍手で見送る とても素敵ですよね
私も知ってれば、父の時にそうしたかったです
親の人生に対する最高の賛辞だと思います
何十年も前に、闘病の末に学生の時に亡くなった弟の葬儀の時に私は長渕剛の「乾杯」をずっと口ずんでました
「遥か長い道のりを歩き始めた君に幸せあれ」
不謹慎というなら私もそうです
温かいお言葉ありがとうございます
母が70歳になって直ぐに他界してから生活が一変した父です。
食事も手作りで、洗濯から田んぼの草刈り、山の手入れと毎日毎日忙しくしていました。
地域でも有名人だったようです。
今は何も考えず楽になってくれたらいいなあと娘として思います。
その分残された私と妹は正直どうしたら良いのかと悩んでいます。
お互いの夫に助けてもらいながらボチボチやっていくしかないです。
温かいお言葉、本当にありがとうございました。
ありがとうございます。
いつも書いてますが父は頑固で難しい人です。
母の法事でも色々あったので拍手するなど絶対許す人ではありません。
生きている時にこの話はしていたので許してくれたらいいなあと思っています。
ありがとうございます。
そう言っていただけて嬉しいです。
難しい父なので怒っているかもしれませんが生前話しているので許してくれたらいいなあと思います。
本当にありがとうございました。
温かいお言葉ありがとうございます。
横浜でお会いした時、実家は両親が生きていた時と同じでそのままにしていると言われましたね。
今でもその言葉が忘れられません。
69歳で亡くなられたのは残念です。
でも沢山思い出がお有りだと思います。
私は逆らってばかりの娘でした。
亡くなる前に3人で川の字で寝たことは忘れないと思います。