わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
頂門の一針 6489号
頂門の一針 6489号
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政治家・政党が「終わる」とき
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【阿比留瑠比の極言御免】
政界では時折、「誰々は終わった」という言い方を耳にする。一時は次代の寵児(ちょうじ)として注目され、もてはやされた政治家がやがて旬が去り、表舞台に立つこともなくなって忘れられていくさまをいう。栄枯盛衰は人の世の常だから、仕方がないことなのだろう。
ただ、「終わった」はずの政治家が実は雌伏していただけのことも、まだ元気で力を発揮しているように思われた政治家が、すっかり「終わっていた」という場合もある。
[雌伏だった3人]
のっけから古い話で恐縮だが、石原慎太郎元東京都知事が衆院議員を辞めて4年後の平成11年4月、都知事選に初当選する少し前の話である。筆者が当時、ある政府高官に都知事候補として石原氏の名前を挙げると、高官はあっさりこう突き放した。
「石原さんなんか、とっくに終わった政治家だ」
当時は政治部に配属されて間もなかったため「そんなものかな」と不得要領ながら思った。だが、ふたを開けると、石原氏は2番手の鳩山邦夫元法相にダブルスコアで勝利を収めた。
24年2月には自民党の溝手顕正参院幹事長が記者会見で、19年に退陣していた安倍晋三元首相について「もう過去の人だ」と言い放った。ところが、安倍氏はその10カ月後には首相再登板を果たすのである。
岸田文雄首相も、令和2年9月の自民党総裁選で菅義偉前首相に大差で敗れた際には「岸田は終わった」と言われた。岸田派は、長くもたないのではないかとの厳しい見方すらあった。
それからわずか1年後の総裁選では菅氏が不出馬に追い込まれ、首相の座に就くことになるのだから、先のことは分からない。
[代謝と理念なくば]
反対に、平成26年2月の東京都知事選では、「原発即ゼロ」を旗印にした細川護熙元首相の支援に国民的人気を誇った小泉純一郎元首相が入ったため、自民党内からは「小泉旋風」の再来に戦々恐々とする声が伝わってきた。
ところが「元首相連合」の得票数は3位に終わり、舛添要一氏が当選した。小泉氏には、昔年の神通力も影響力もすでになかったのだった。結局、17年9月の郵政選挙の頃の神がかりぶりが忘れられない一部の自民党幹部らが、過大評価しただけに終わった。
今回の衆参5補欠選挙でも、小池百合子都知事が衆院和歌山1区補選に出馬した自民党候補の応援で和歌山入りしたが、自民候補は落選した。
小池氏も、29年9月に新党「希望の党」を立ち上げたときが絶頂で、国政レベルではもう「終わって」いたのではないか。日本維新の会の馬場伸幸代表が「小池さんが入るスローガンが『和歌山のことは和歌山で決める』。何で東京の人が言うのか」と揶揄(やゆ)したことぐらいしか話題にもならなかった。
政治家も政党も、いつか終わりを迎えるのは、当たり前の摂理である。
とりわけ政党は新陳代謝を活発にし、時代に適合しなければすぐに衰退する。
特に何が本当にやりたいのか、理念や方向性が明確でなく、空虚な観念論や他者の批判ばかり繰り返す政治家や政党は国民の期待感を集められず、相手にされなくなっていく。内外情勢がともに厳しい現在、そんな存在は必要とされない。
統一地方選や補選で凋落(ちょうらく)傾向を示した政党は、一部のコア支持者への受けだけを狙う政治手法や政策設定を見直さない限り、このまま「終わって」いくだろう。そんな予感を強く感じさせる選挙結果だった。
政治家・政党が「終わる」とき
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【阿比留瑠比の極言御免】
政界では時折、「誰々は終わった」という言い方を耳にする。一時は次代の寵児(ちょうじ)として注目され、もてはやされた政治家がやがて旬が去り、表舞台に立つこともなくなって忘れられていくさまをいう。栄枯盛衰は人の世の常だから、仕方がないことなのだろう。
ただ、「終わった」はずの政治家が実は雌伏していただけのことも、まだ元気で力を発揮しているように思われた政治家が、すっかり「終わっていた」という場合もある。
[雌伏だった3人]
のっけから古い話で恐縮だが、石原慎太郎元東京都知事が衆院議員を辞めて4年後の平成11年4月、都知事選に初当選する少し前の話である。筆者が当時、ある政府高官に都知事候補として石原氏の名前を挙げると、高官はあっさりこう突き放した。
「石原さんなんか、とっくに終わった政治家だ」
当時は政治部に配属されて間もなかったため「そんなものかな」と不得要領ながら思った。だが、ふたを開けると、石原氏は2番手の鳩山邦夫元法相にダブルスコアで勝利を収めた。
24年2月には自民党の溝手顕正参院幹事長が記者会見で、19年に退陣していた安倍晋三元首相について「もう過去の人だ」と言い放った。ところが、安倍氏はその10カ月後には首相再登板を果たすのである。
岸田文雄首相も、令和2年9月の自民党総裁選で菅義偉前首相に大差で敗れた際には「岸田は終わった」と言われた。岸田派は、長くもたないのではないかとの厳しい見方すらあった。
それからわずか1年後の総裁選では菅氏が不出馬に追い込まれ、首相の座に就くことになるのだから、先のことは分からない。
[代謝と理念なくば]
反対に、平成26年2月の東京都知事選では、「原発即ゼロ」を旗印にした細川護熙元首相の支援に国民的人気を誇った小泉純一郎元首相が入ったため、自民党内からは「小泉旋風」の再来に戦々恐々とする声が伝わってきた。
ところが「元首相連合」の得票数は3位に終わり、舛添要一氏が当選した。小泉氏には、昔年の神通力も影響力もすでになかったのだった。結局、17年9月の郵政選挙の頃の神がかりぶりが忘れられない一部の自民党幹部らが、過大評価しただけに終わった。
今回の衆参5補欠選挙でも、小池百合子都知事が衆院和歌山1区補選に出馬した自民党候補の応援で和歌山入りしたが、自民候補は落選した。
小池氏も、29年9月に新党「希望の党」を立ち上げたときが絶頂で、国政レベルではもう「終わって」いたのではないか。日本維新の会の馬場伸幸代表が「小池さんが入るスローガンが『和歌山のことは和歌山で決める』。何で東京の人が言うのか」と揶揄(やゆ)したことぐらいしか話題にもならなかった。
政治家も政党も、いつか終わりを迎えるのは、当たり前の摂理である。
とりわけ政党は新陳代謝を活発にし、時代に適合しなければすぐに衰退する。
特に何が本当にやりたいのか、理念や方向性が明確でなく、空虚な観念論や他者の批判ばかり繰り返す政治家や政党は国民の期待感を集められず、相手にされなくなっていく。内外情勢がともに厳しい現在、そんな存在は必要とされない。
統一地方選や補選で凋落(ちょうらく)傾向を示した政党は、一部のコア支持者への受けだけを狙う政治手法や政策設定を見直さない限り、このまま「終わって」いくだろう。そんな予感を強く感じさせる選挙結果だった。