先日、友人に誘われて、新しく銀座に出来たPOLAビルのギャラリーに行ってきました。
小さなギャラリーにもかかわらず、そこには何事が起ったのかと呆然とする位
(実際、足を踏み入れた瞬間に呆然とした)
名画の数々が展示されていました。
松田優作さんだったら、きっと言う事でしょう・・・なんだ、こりゃ!?
その名も「美術を変えた9人の画家」展
モネ・ルノワール・セザンヌ・ゴッホ・ピカソ・etc... 何億円クラスの名画が並び、
会場は人影もまばら、しかも無料・・・なんだ、こりゃ!?・・・でしょ!?
実のところ、人様に言うにはおこがましいのですが、ワタクシ、学生時代は美術部に所属し、
へたくそな油絵や水彩を描いていた過去があります。
当時の私の神様は、モネとドガ。
巨匠であっても、ぼんやりとした印象のルノワールは、あまり好みではありませんでした。
空気感が伝わって来そうな、モネの「サン=ラザール駅の線路」
19歳の時、研修という名目で学校から補助金が出て、
当時としては格安でヨーロッパへ行ける機会があり、
印象派と呼ばれる巨匠方々の絵画観たさに、親を拝み倒して借金をし、
嬉々として、パリの地を踏みました。
当時はまだ「オルセー美術館」はなく、その前身ともいえる「印象派美術館」というのがあり、
私の観たい絵は、ごっそりそこにあったので、ルーブル美術館そっちのけで、
印象派美術館を目指しました。
今でも、チケット売り場に並んだ時の、わくわくしていた気持ちは、リアルに思い出せます。
中は、ごった返した日本の展覧会とは比べようもない程、人も空間も、ゆったり。
たぶん、自然光も入っていたのではないかと思います。
そこで、憧れの、モネの睡蓮や、ドガの踊り子と、じっくりと対峙し、
極上の時を得た事は、言う迄もありません。
しかし、一番衝撃的だったのは、何点かあったルノワールの女性の絵です。
展示されている部屋の中に、遠目に観えた、その作品。
生まれて始めて、「美しい」と思う気持ちで、ため息をもらしました。
「きれい」ではなく、「美しい」でした。
「美術」という言葉は、ルノワールの為にあるのではないかと、思えた程。
ゆるやかな光に照らされた作品は、油絵特有の艶と、筆のタッチが作り出す陰影が浮き上がり、
平面的な複製の写真集とは全く違い、これが原画の凄さなのだと、思い知らされました。
ぼんやりとした絵だなんて、とんでもない事でした。
繊細で美しさの極限のようなルノワールの「レース帽子の少女」
さて、話は銀座のPOLAビルのギャラリーに戻ります。
今回の展覧会は、すごい作品ばかりなのに、ほとんどお客さんがいないが為に、
絵に張り付くけそうな距離でみる事ができます。
そして、一緒に行った友人達も、この時とばかり、ぐぐっと近づいて観ているのです。
「ねぇ、そこから3-4歩、離れて観てごらん」と言うと、友人は後ずさりしました。
「それから、通り過ぎて、斜めから観てごらん」と言うと、今度は「あぁ」と声を上げました。
たぶん、その絵の凄さに気づいたのだと思います。
タッチや、色使いの詳細を観るには、うんと近づくのはいいのですが、
作品全体を鑑賞する場合には、照明の照り返しが気にならない程度に離れた方が、
絶対に良いと思うのです。
これは、その昔、印象派美術館で、遠目に観る絵の素晴らしさに気づいてから、
私の鉄則となっています。
遠近法も、ある程度離れて観ないと、わからないですしね。
もちろん、小さな作品や細密画は別ですが。
そして友人から「この中で盗むとしたら、どれにするか考えながら観ると楽しいよ」と
アドヴァイス。
私は「それは、このセザンヌの梨の絵だわ」と即答しました。
静かであるのにドラマティックな、セザンヌ作「砂糖壺、梨とテーブルクロス」
友人は、華のあるゴッホやピカソやモネを差し置いて、どうして地味な静物画を私が賞賛するのか、
理解に苦しんでいましたが、会場の中で、私を惹き付けて離さなかったのが、この絵でした。
実は、3年位前から、セザンヌが無性に気になっていて、
自宅にも複製を飾ったりしていたのですが、やっぱりいい!、
この日、それは確信的なものになりました。
あの色の深さ、あのオレンジ色の独特の使い方、
そしておそらく、黒の効かせ方が絶妙なスパイスとなって、
私の脳神経のどこかを、捉えてしまっているのだと思いました。
セザンヌの作品って、一見、誰にでも描けそうな雰囲気なのに、
セザンヌ以外の誰の物でもない作品に、ちゃんとなっているんですよね。
正面、そして斜め、どこへ動いても、その存在がギャラリーの中で浮き上がって、
引力を持って、私を捉えていました。
帰りがけ、出口からギャラリーを振り返り、また遠目にセザンヌの梨を観て、
後ろ髪を引かれる思いでエレベーターを降りました。
そろそろ秘境旅行から、ゆったりとした美術館の旅もいいなと、思い始めた秋の1日でした。
・・・で、実は、あまり気になったので、今日、再度行って来ました。
10/25(日)までやっているそうです。入場無料。
オープニング記念の為、こんなすごい絵が揃って観られるチャンスは、そうそうないと思います。
東京界隈にお住まいの方は、是非足を運ばれる事をお勧め致します。
本物は、凄い引力です!!
かわいい子には旅をさせて、本物をいっぱい見せてあげましょう
小さなギャラリーにもかかわらず、そこには何事が起ったのかと呆然とする位
(実際、足を踏み入れた瞬間に呆然とした)
名画の数々が展示されていました。
松田優作さんだったら、きっと言う事でしょう・・・なんだ、こりゃ!?
その名も「美術を変えた9人の画家」展
モネ・ルノワール・セザンヌ・ゴッホ・ピカソ・etc... 何億円クラスの名画が並び、
会場は人影もまばら、しかも無料・・・なんだ、こりゃ!?・・・でしょ!?
実のところ、人様に言うにはおこがましいのですが、ワタクシ、学生時代は美術部に所属し、
へたくそな油絵や水彩を描いていた過去があります。
当時の私の神様は、モネとドガ。
巨匠であっても、ぼんやりとした印象のルノワールは、あまり好みではありませんでした。
空気感が伝わって来そうな、モネの「サン=ラザール駅の線路」
19歳の時、研修という名目で学校から補助金が出て、
当時としては格安でヨーロッパへ行ける機会があり、
印象派と呼ばれる巨匠方々の絵画観たさに、親を拝み倒して借金をし、
嬉々として、パリの地を踏みました。
当時はまだ「オルセー美術館」はなく、その前身ともいえる「印象派美術館」というのがあり、
私の観たい絵は、ごっそりそこにあったので、ルーブル美術館そっちのけで、
印象派美術館を目指しました。
今でも、チケット売り場に並んだ時の、わくわくしていた気持ちは、リアルに思い出せます。
中は、ごった返した日本の展覧会とは比べようもない程、人も空間も、ゆったり。
たぶん、自然光も入っていたのではないかと思います。
そこで、憧れの、モネの睡蓮や、ドガの踊り子と、じっくりと対峙し、
極上の時を得た事は、言う迄もありません。
しかし、一番衝撃的だったのは、何点かあったルノワールの女性の絵です。
展示されている部屋の中に、遠目に観えた、その作品。
生まれて始めて、「美しい」と思う気持ちで、ため息をもらしました。
「きれい」ではなく、「美しい」でした。
「美術」という言葉は、ルノワールの為にあるのではないかと、思えた程。
ゆるやかな光に照らされた作品は、油絵特有の艶と、筆のタッチが作り出す陰影が浮き上がり、
平面的な複製の写真集とは全く違い、これが原画の凄さなのだと、思い知らされました。
ぼんやりとした絵だなんて、とんでもない事でした。
繊細で美しさの極限のようなルノワールの「レース帽子の少女」
さて、話は銀座のPOLAビルのギャラリーに戻ります。
今回の展覧会は、すごい作品ばかりなのに、ほとんどお客さんがいないが為に、
絵に張り付くけそうな距離でみる事ができます。
そして、一緒に行った友人達も、この時とばかり、ぐぐっと近づいて観ているのです。
「ねぇ、そこから3-4歩、離れて観てごらん」と言うと、友人は後ずさりしました。
「それから、通り過ぎて、斜めから観てごらん」と言うと、今度は「あぁ」と声を上げました。
たぶん、その絵の凄さに気づいたのだと思います。
タッチや、色使いの詳細を観るには、うんと近づくのはいいのですが、
作品全体を鑑賞する場合には、照明の照り返しが気にならない程度に離れた方が、
絶対に良いと思うのです。
これは、その昔、印象派美術館で、遠目に観る絵の素晴らしさに気づいてから、
私の鉄則となっています。
遠近法も、ある程度離れて観ないと、わからないですしね。
もちろん、小さな作品や細密画は別ですが。
そして友人から「この中で盗むとしたら、どれにするか考えながら観ると楽しいよ」と
アドヴァイス。
私は「それは、このセザンヌの梨の絵だわ」と即答しました。
静かであるのにドラマティックな、セザンヌ作「砂糖壺、梨とテーブルクロス」
友人は、華のあるゴッホやピカソやモネを差し置いて、どうして地味な静物画を私が賞賛するのか、
理解に苦しんでいましたが、会場の中で、私を惹き付けて離さなかったのが、この絵でした。
実は、3年位前から、セザンヌが無性に気になっていて、
自宅にも複製を飾ったりしていたのですが、やっぱりいい!、
この日、それは確信的なものになりました。
あの色の深さ、あのオレンジ色の独特の使い方、
そしておそらく、黒の効かせ方が絶妙なスパイスとなって、
私の脳神経のどこかを、捉えてしまっているのだと思いました。
セザンヌの作品って、一見、誰にでも描けそうな雰囲気なのに、
セザンヌ以外の誰の物でもない作品に、ちゃんとなっているんですよね。
正面、そして斜め、どこへ動いても、その存在がギャラリーの中で浮き上がって、
引力を持って、私を捉えていました。
帰りがけ、出口からギャラリーを振り返り、また遠目にセザンヌの梨を観て、
後ろ髪を引かれる思いでエレベーターを降りました。
そろそろ秘境旅行から、ゆったりとした美術館の旅もいいなと、思い始めた秋の1日でした。
・・・で、実は、あまり気になったので、今日、再度行って来ました。
10/25(日)までやっているそうです。入場無料。
オープニング記念の為、こんなすごい絵が揃って観られるチャンスは、そうそうないと思います。
東京界隈にお住まいの方は、是非足を運ばれる事をお勧め致します。
本物は、凄い引力です!!
かわいい子には旅をさせて、本物をいっぱい見せてあげましょう
ルーブルよりもオルセー派でオランジェリーに
座って1時間酔いしれていました。
中年になってからはゴッホの叫びに引き込まれてしまい脱出できず、アムステルダムまで彼を追いかけて、クルーラーミューラーまで行きました。(遠かった!)恥ずかしかったけれど見学しながら泣き続けてしまいました。でもさすが大人の空間ですね。みなさん見て見ぬ振りをしてくれました。思い出すと胸が今でも詰まります。魂を注ぎ込んだ絵というのは魂が宿るのだと信じています。
それでは、「観る方の目」もひと味違うんだと思います。
私も印象派、特にモネがやはり好きでして、まだ20代の頃
パリは16区にある、マルモッタン美術館にて、しばし陶酔しておりました。。
その時々で、心惹かれる「絵」があるんでしょうね。
う~ん。。ハワイもいいけど、
名画、名作を鑑賞する旅もいいですね!
私も観たい美術展目白押しで、
今はスケジュール帳とにらめっこ。。
なかなか時間ができなくて、泣いてます。
ここも、翠ちゃんに教えてもらって
早速行きたい!とこだけど、まだ行けない。。。
でも来週にはなんとか!と思ってます!
楽しみだな~♪
生きているって思えますもの♪
モネの睡蓮をオークラで見たときはちょっと??でしたが
岡山にある大原美術館の受胎告知は素晴らしいです。絶対にお薦めです!
絵は素晴らしいですね♪
翠さんに教えていただいたお蔭様で、100倍楽しい銀座巡りになりました。
ありがとうね!
そうか、どの絵を盗もうかと考えると、真剣に見ますよね。
で、どれを売ったら高かろうか? ではなくて飾ろうか、ですよね。
raはゴッホの「アザミの花」頂きます。どうしてか?うちに一番しっくりきそうだから…としか。
絵は歳を追うごとに好みが変わってきます。
小さい時は柔らかく、綺麗な印象のルノワールを、苦悩の時はエゴンシーレを。
さて、我が家の壁にあるのはクリムト「Der kuβ」風水で、金運UPとかすいません、翠さんの高尚な場を汚してしまいました!
美術館=フランスだとは思うのですが、ドイツ、オーストリアにも素晴らしい美術館がたくさんありました。
美術館に行っても、ぱっ、ぱっ、ぱっと見ておしまい。
何をどう見ればよいのかわからない。。。
翠さんの記事を読むと、私は絵の素晴らしさがわからず
人生損してるな~と思います。(^^;
魂を感じる作品、絵画に限らず、それは伝わってきますね。
その強い思いが、私たちの心を感動させるのでしょうね。
それから、作品を追って、遠く迄足を運ばせるのも、その力なのではないでしょうか。
結局ルーヴルは行きそびれたままで、
印象派美術館はオルセーになり更に充実している筈。
どうもここ2年位、ヨーロッパからの引力を感じています。
るちぃるさん、こんにちは!
絵を描いていたというには、あまりに稚拙な過去でして・・・
でも、自分で描いていると、観る時の好みというものは、明確になってくると思います。
それにしても美しいと思えるものに惹かれるのは、
きっと万民共通の感覚なのではないでしょうか。
モネの絵画は、その象徴でもあるような。
心酔する、ホント、その言葉がぴったりですね。
マルモッタンも、オランジェリーも、是非行かなければならない場所だと思っています。
やっと、自分の人生に、そういう「時」が来ているように思います。
ち~ちゃん、こんにちは!
今回のブログ、美大を出ているち~ちゃんには、
こんな事を書いて、ちょっと恥ずかしいなぁと思っておりました。
皆さんにも、釈迦に説法みたいなものですが、まぁ、素直な感想なもので、
1人盛り上がっている私を、笑ってやって下さいナ。
大きな美術館の展覧会は、行くのにちょっと構えてしまいます。
混む事を思うと尻込みしちゃって、日本の天井の低い所で人に押されながら観るよりは、
現地に行こうと思うのですが、実際はなかなか実現しませんよね。
人生楽しくするには、行動力が必要ですね。
私ももうちょっとマメに展覧会、チェックしなければと思うきっかけになりました。
早紀さん、こんにちは!
素晴らしいものは理屈ではありませんね。
大原美術館は、とてもいい所蔵品があるそうですね。
受胎告知は、どなたのかしら?
何年か前、エル・グレコの受胎告知が上野の美術館に来た時に、観に行きましたけれど、圧倒された記憶があります。
宗教画の世界観は、画家によってとらえ方が様々で、美だけではなく色々と興味深いものがあります。
バチカン美術館は、描かれた聖書の世界に、めまいがしそうな程でしたよ。
radgeneさん、こんにちは!
ゴッホのアザミ、死期を見つめている人が描いた絵とは思えない力強さでしたね。
自宅に複製を飾ると、ゴッホは圧倒されてしまって落ち着かないのですが、このアザミの絵は、私も自室に飾りたいなと思いましよ。
クリムトは、今、一番原画を観たいと思っている画家で、我が家の額にも、
「接吻」や「ダナエ」の複製を折々飾っています。
オーストリアへ行った時は、ほとんど時間がなく、ハプスブルグ家の宮殿に行った位でした。
今にして思うと、ザッハトルテを食べるよりも、
クリムトを観に行くべきだったと後悔しています。
モネだけは不動ですが、年齢と共に好きな絵は、確実に変わってきますね。
きっと自分の心境を映し出しているのかしら。
エゴンシーレ・・たしかに苦悩中という感じですね。
ドイツの美術館としいのは、ほとんどノーチェックでした。
イタリアは、バチカンとフィレンツェで美術館に行きましたが、
お目当ての「ヴイーナス誕生」が修復中でお目にかかれず、これもリベンジしなければです。
pekoさん、こんにちは!
絵に限らず、彫刻でも、音楽でも、食べ物でも(?)、
あっ、これいいいわ、と単純に思えばそれで良いと思います。
いいと思うポイントがあれば、それを心に刻みつけて。
その時、いいと思わなくても、年を重ねてから、
後で「あれはよかった」と思う場合もありますしね。
派閥も、系譜も、うんちくは後回しで、全然OK。
そこから入ろうとすると、小難しいもので、取り付きにくくなってしまうと思うし。
食べ物とかワインに例えると、判りやすいかも知れません。
美味しいというのが、一番重要で、なぜ美味しいかとか、自分で作るにはどうしたらいいかは、次の話。
でも、それがわかると、次に似た物を食べる時、更に美味しさに深みが増すような・・・
美術品もきっとそうだと思います。
ただ、油絵は、3歩下がって観る、また3歩横に移動して斜めから見る。
これだけで、作品の見え方がぐっと違って来ると思いますよ。
翠のひとりごと
あー久々に、美術話をしたら、自分の中で思わずもりあがってしまいました。
いい加減な美術部員だったけど、やっぱり好きなんだなー・・と、自らを再発見したような。
これは、やっぱり目指せ、ヨーロッパだわ!! もちろん、仕事抜きでね!!
ますます、くーちゃんの目指す「女性」です。
くーちゃんは絵の事はよくわかりませんが、絵を見るのが好きで、オルセーもルーブルも行ってきました。斜め45度で見ることを知っていたり絵の事をもっと知っていれば同じ鑑賞でも中味の濃いものになっていたと思います。美術館巡りはすいていてゆったりと見れるのがいいですよね。
行ってみようかな。これだけそろって無料っていうのは、すごいですよね。
斜め45°、やってみます。
昔、上野にMoMA(ニューヨーク近代美術館)が来た時、あまりにも有名な絵がずらずら無造作に並んでいるのにあっけにとられたことがあります。
ちなみに私の好みはゴーギャンです。
東京にいると、いい展覧会が色々と企画されるけれど、
あのヨーロッパの空間を考えると、どうもなかなか足を運ぶ気にならなくて。
きっと、空間も作品のうちなんじゃないかなと思っています。
残念ながら、絵は長らく描いていません。
そろそろ生活も落ち着いて来たので復活しようかなとも思っています。
さしあたって、やりたいのは水墨画です。
やくさん、こんにちは!
記事を書くのが、会期の終わり近くだったので、みなさんに申しわけなかったような・・・
MoMAのコレクションもすごいですね。
近代美術というだけに、独特ですけれど。
若い時にNYのMoMAを訪れましたけれど、そこでハートを打ち抜かれたのは、ピカソの立体の造形物でした。
やはり凄さがありましたね。
ゴーギャン、いいですね!
心が絵の中に入って行ってしまうようなパワーがあると思います。
タヒチも、行ってみたいなぁ・・・