前回のブログで、自分のパートナーについて、あれこれ書きましたが、
親というもの、ムスメの結婚相手について、本人以上に、色々と妄想している事があるようで、
最近「親同士による婚活の為の見合い」がある事をTVで知り、たまげた次第です。
私が20代の終わりに離婚して以来、母に会う度に、
二言目どころか、一言目には、「結婚しろ、孫を産め!!」。
兄の子供は、嫁さんが新興宗教の教育上、がっちり掴んで、こちらへはなじませなかったので、
母曰く
「あの子達は孫であって孫じゃないのよ!
私は自分の自由になる孫が欲しいのよ!!」
とよく言われまして、そのマトモと思えない動機もさる事ながら、言われたところで簡単に産める訳ではないので、
翠 「明日にでも相手を連れて来たら、来月にも結婚して、来年には孫を抱かせてあげるわよ!」
・・・と、私は心にもない事を、息巻いておりました。
さて、私の再婚を望んでいた母は、色々と言いつつも、
このムスメ(翠)は自分が探した相手となど、どう考えても結婚するとは思えないと
悟っていたのでしょうか、とりあえず、自分の希望をあれこれ述べるようになりました。
最初の頃 「相手は背がすらっとしていて、怒りっぽくない人がいいわ。」
・・・まぁ、私の父、星一徹か寺内貫太郎のように、すぐに爆発的に怒るので、母は大変でしたからね。
しばらくして 「結婚相手に外人はダメよ、日本人にしてね。」
・・・まぁ、私は海外を飛び回っていた頃でしたから、どこかの国に行ってしまうのを恐れていたのでしょう。
またしばらくして「とりあえず、東洋人だったらいいわ。ほら、日本人に見えるじゃない。」
・・・見えりゃ、いいわけ!? まったくもう!!
それからさらにしばらくして「あっ、欧米人でもいいわよ。ハーフって孫がカワイイじゃない!」
・・・知り合いの娘さんがアメリカ人と結婚し、そのお子さんの子供をみたら、天使のように美しかったそうな。
やれやれ・・・
そうこうしているうちに、ムスメ(翠)は、どんどん年をとって行き、
さすがの母もあきらめの境地に達したのか、こんな事をいいました。
「相手はどんな人でもいいけれど、キクユ族だけはやめた方がいいかもね」
・・・どうして、私がキクユ族と結婚するという発想をするわけ!?・・・
翠 「じゃあさ、マサイ族ならいいわけ!?」
「あぁ、マサイさんならいいわよ。鼻の形もいいし。」
翠 ・・・・絶句・・・・
たぶん母、この方をとても気に入ってたんだと思います。
マサイマラのホテルにいた、マサイ族のおにいさん。
確かに、イケてると、私も思います・・・
母の生前、2人でケニアを旅しました。
その時のガイド兼ドライバーさんは、小太りで鼻が丸いキクユ族のおじさんでした。
母に色々と気を使ってくれて、いい人だったのになぁ・・・
キクユ族からは、ケニアの大統領も出ているし、なかなか優秀な部族だと思うんですけどね。
まぁ、鼻の形のよくないムスメ(翠)には、鼻の形のよい遺伝子を掛け合わせたかったようで
このあきれた話を、友人Iちゃんに話たところ
Iちゃん 「そういう母をもったことを、誇りに思いなさい!」とのお言葉。
翠 「そ、そうね・・・」
万事に型破りだった母。母親らしい事はほとんどしなかった人ですが、
そんな母だったからこそ、私が女性には稀な仕事を選び、自立して生きて来られたのかも知れません。
まぁ、キクユさんにしろ、マサイさんにしろ、普通に考えて、日本で暮らす私が、巡り合う機会もないし、
結婚相手として適当だとは、どう考えてもありえないと思うんですけどねー・・・母の思いは果てしないです。
父は、私の再婚については、
「今の若い男を見ていると、女性が結婚したくならない気持ちがよくわかる」
とだけ言って、無理に結婚を勧める事はありませんでした。
でも、きっと私が子供を産んだら、ものすごーくかわいがったに違いありません。
子供を産めるタイムリミット近くに、両親は亡くなり、
とうとう「自由になる孫(?)」を両親に抱かせてあげられなかった事は、本当に申し訳なく思っています。
まぁ、こればかりは、仕方ないですね。
私だって、独身主義でもないし、子供は欲しかったのですが、上手い事いかなかっただけです。
そうそう、私がずっと若い頃、結婚相手について言っていた事を思い出しました。
それは、容姿でもなく、学歴でもなく、家柄でもなく、
「若いうちに貧乏なのは当たり前だから、ひと山当てそうな人をつかまえなさい」
・・・・でした。
今、思い出しても、なんて母らしい言葉だろうと思います。
縁の糸は、どこに繋がっているのかしら・・・
親というもの、ムスメの結婚相手について、本人以上に、色々と妄想している事があるようで、
最近「親同士による婚活の為の見合い」がある事をTVで知り、たまげた次第です。
私が20代の終わりに離婚して以来、母に会う度に、
二言目どころか、一言目には、「結婚しろ、孫を産め!!」。
兄の子供は、嫁さんが新興宗教の教育上、がっちり掴んで、こちらへはなじませなかったので、
母曰く
「あの子達は孫であって孫じゃないのよ!
私は自分の自由になる孫が欲しいのよ!!」
とよく言われまして、そのマトモと思えない動機もさる事ながら、言われたところで簡単に産める訳ではないので、
翠 「明日にでも相手を連れて来たら、来月にも結婚して、来年には孫を抱かせてあげるわよ!」
・・・と、私は心にもない事を、息巻いておりました。
さて、私の再婚を望んでいた母は、色々と言いつつも、
このムスメ(翠)は自分が探した相手となど、どう考えても結婚するとは思えないと
悟っていたのでしょうか、とりあえず、自分の希望をあれこれ述べるようになりました。
最初の頃 「相手は背がすらっとしていて、怒りっぽくない人がいいわ。」
・・・まぁ、私の父、星一徹か寺内貫太郎のように、すぐに爆発的に怒るので、母は大変でしたからね。
しばらくして 「結婚相手に外人はダメよ、日本人にしてね。」
・・・まぁ、私は海外を飛び回っていた頃でしたから、どこかの国に行ってしまうのを恐れていたのでしょう。
またしばらくして「とりあえず、東洋人だったらいいわ。ほら、日本人に見えるじゃない。」
・・・見えりゃ、いいわけ!? まったくもう!!
それからさらにしばらくして「あっ、欧米人でもいいわよ。ハーフって孫がカワイイじゃない!」
・・・知り合いの娘さんがアメリカ人と結婚し、そのお子さんの子供をみたら、天使のように美しかったそうな。
やれやれ・・・
そうこうしているうちに、ムスメ(翠)は、どんどん年をとって行き、
さすがの母もあきらめの境地に達したのか、こんな事をいいました。
「相手はどんな人でもいいけれど、キクユ族だけはやめた方がいいかもね」
・・・どうして、私がキクユ族と結婚するという発想をするわけ!?・・・
翠 「じゃあさ、マサイ族ならいいわけ!?」
「あぁ、マサイさんならいいわよ。鼻の形もいいし。」
翠 ・・・・絶句・・・・
たぶん母、この方をとても気に入ってたんだと思います。
マサイマラのホテルにいた、マサイ族のおにいさん。
確かに、イケてると、私も思います・・・
母の生前、2人でケニアを旅しました。
その時のガイド兼ドライバーさんは、小太りで鼻が丸いキクユ族のおじさんでした。
母に色々と気を使ってくれて、いい人だったのになぁ・・・
キクユ族からは、ケニアの大統領も出ているし、なかなか優秀な部族だと思うんですけどね。
まぁ、鼻の形のよくないムスメ(翠)には、鼻の形のよい遺伝子を掛け合わせたかったようで
このあきれた話を、友人Iちゃんに話たところ
Iちゃん 「そういう母をもったことを、誇りに思いなさい!」とのお言葉。
翠 「そ、そうね・・・」
万事に型破りだった母。母親らしい事はほとんどしなかった人ですが、
そんな母だったからこそ、私が女性には稀な仕事を選び、自立して生きて来られたのかも知れません。
まぁ、キクユさんにしろ、マサイさんにしろ、普通に考えて、日本で暮らす私が、巡り合う機会もないし、
結婚相手として適当だとは、どう考えてもありえないと思うんですけどねー・・・母の思いは果てしないです。
父は、私の再婚については、
「今の若い男を見ていると、女性が結婚したくならない気持ちがよくわかる」
とだけ言って、無理に結婚を勧める事はありませんでした。
でも、きっと私が子供を産んだら、ものすごーくかわいがったに違いありません。
子供を産めるタイムリミット近くに、両親は亡くなり、
とうとう「自由になる孫(?)」を両親に抱かせてあげられなかった事は、本当に申し訳なく思っています。
まぁ、こればかりは、仕方ないですね。
私だって、独身主義でもないし、子供は欲しかったのですが、上手い事いかなかっただけです。
そうそう、私がずっと若い頃、結婚相手について言っていた事を思い出しました。
それは、容姿でもなく、学歴でもなく、家柄でもなく、
「若いうちに貧乏なのは当たり前だから、ひと山当てそうな人をつかまえなさい」
・・・・でした。
今、思い出しても、なんて母らしい言葉だろうと思います。
縁の糸は、どこに繋がっているのかしら・・・
「結婚なんてしない方がいいぞ!」と言われて育った私は、
他の女の子のようにわけもなく(?)結婚した~い!とか思わずに、オトナになり、
結局、その通りの人生を歩んでいます。
別に結婚したくなかったわけじゃないけど、
結婚した~いと思わせてくれるような相手もみつからないのですよねぇ。
母はすべて父の受け売りなので、
よそさまに「お嬢さん、早くお嫁に行ってもらわないとね」と言われても、
理由もなく「結婚はするなと言ってあるので」と、
にべもなく返して相手を困惑させてしまう人です。
父亡き今は自分と一緒に暮らして欲しいから、
結婚なんてしてもらっちゃ困る・・・という感じ。
ちょっと憂うつですが、妹と2人で母の面倒みなくちゃね・・・と、
半ば観念しているような次第です・・・。
今もご健在であったなら、翠さんのブログには、
母コーナーが出来ていた事は間違いありません
raは、前回のパートナーの条件の時、
そ~言えば、結婚する人に、これと言って条件は無かったな…
と思いましたが、母も、私にこんな人が良いと言った事は、
一度もありませんでした。
ただ、raが連れてきた相手は、思っていたよりずっと真面目だったので、
ビックリするやら、嬉しいやらだったと思います。
(なにしろそれまでは、危ない感じの人が好みだったものですから…)
お母様とアフリカ旅行もいらっしゃったのですね
すごい思い出ですよね!
アフリカに行っても、男性の顔をよ~く、観察していたお母様には脱帽です。
お母様とも色々と旅行されたのですね。うらやましいです。
ケニアってくーちゃんも行きましたが自然の宝庫ですね。
マサイ族の方も鼻筋がとおってステキですがくーちゃんは皆同じ顔みえてしまいます。
結婚ばっかりはご縁ですものね~
周りから言われてもね・・・
何はともあれご両親は翠さんがどんな人生にしろ幸せと感じる人生を過ごせる事を一番に祈ってると思います。
天国で見守っていてくれてると思いますよ。
孫が早く欲しい!!!
娘は30歳を過ぎた。。。
母親の素直な気持ちよん。
本人も云ってる。
子供を産みたくない、とか思ってない。
ただ、相手が居ない。。。。
残念!!!
何時の事やらね。。。
夢は果てし無く遠いのでした。
無いは、無い悩み
それらは、自分の糧になるのですって。
悩みは全て自分が越えなくてはいけない、試練だから。
私は、タイミング良く出会いがあり、その後も何とか忍耐しながら(お互いに)結婚していますが、何度も離婚しようとは言ってましたね。実現してませんが。
子供もいないので、両家の親からプレッシャーの嵐でしたが、出来ないのは仕方ないのですけどね。
孫は諦めてもらえたようです。
人は一人で生まれ、ひとりで死んでいくのだもの。生きていく中で、何をしたかが大事だと思います。どんな冒険をして、どんな経験をしたか。それは誰にも侵されない宝ですものね。
楽しいお母さんですね。
「若いうちに貧乏なのは当たり前だから、ひと山当てそうな人をつかまえなさい」
この言葉には噴出してしまいました。
失礼の段はお許しの程。
現実の話が浮んできます。
マサイ族の青年の額は自分とそっくりです。
自分では、目つきは少し穏やかだと思っています。
何分にも数キロ先のライオンを見つける必要はありませんので。
で、遠慮深い自分の事ですから、目が少し遠慮して奥まっています。です。
段々広がって行くのが面白い~♪
愉快なお母様だったんですね☆
あ、そうそう、じゅん君のお父さんはいい鼻してたんだけどね
私の団子鼻に似てしまいました。(^^;
なかなか望むようにはいきません~笑
幼少時の家庭環境で、結婚観は随分違ってくるのだろうなと思います。
経済的に自立していた母だから、万事強気で、
自分は跡を継いだり、経営者にだけはなるまいと、心に決めていたものでした。
母が亡くなる前に、病室でまわりの人に言っていたのは、
ムスメに早く再婚して欲しいと思っていたけれど、こうして自分が寝込んでみると、独身でよかった・・・でした。
まったくもう! ・・・いずこも同じですねぇ。
でも、それが本音なんだと思えると、優しい気持ちになりますよね
radgeneさん、こんにちは。
両親は共に、キャラの濃い人でしたので、逸話は沢山ありまして、
また、思い出話、綴って行きたいと思っています。
しっかり者のraさんが選ぶオットさん、お母様はなんの心配もしていなかったのでは?
しかし、危ない感じの人が好みだった・・・これは聞き捨てなりませんぞ! 聞きたいなぁ~
冗談みたいなこの話、まったく実話です。
母が、ドライバーさんやマサイ族の方達をそんな目で見ていたとは、
思いもしなかったので、これいわれた時は、とにかく腰ぬかしました
くーちゃん、こんにちは。
母と2人で行った旅行は、唯一、ケニアだけなんです。
行って、本当によかったと思いました。
ケニア珍道中、思い出しながら、近々アップしますね。
マサイさん、あちらこちらでお会いしましたが、この方がとりわけ素敵だったように思います。
顔よりも、メタボとは無縁の鋼のような体型の格好よさに、
私は惚れ惚れしておりました。
両親が心配しないよう、まだまだたっぷりありそうな人生、
シアワセは何かを見つめ続けながら、生きていかなきゃいけませんね。
サトビさん、こんにちは。
最近、すでに同級生に孫持ちがいる事が発覚!
自分がほんの1-2年前迄、なんとか子供を授からないかと、そんな事ばかり考えていたのに、
もう孫がいてもおかしくない年なんですよね。
サトビさんのお気持ちは察しますが、お嬢さん、30はまだまだ大丈夫ですよ。
相手がみつからない事は、日本全体の最大の問題にも思えて来ます。
我が身も含めて、なんでこうなんだろう?
社会情勢もあるでしょうけれど、なんだか原因はもっと違うところにあるような。
そう、思いません?
早紀さん、こんにちは。
いつも、くぅ~っ、と、うなってしまうコメントですね。
まるで、今の私の心がガラスばりで早紀さんには見えてしまっているような・・・
ある悩み、ない悩み、最近、どうもそこを天秤にかけている自分がいます。
いい事も、辛い事も、自らの糧になる、それを信条にしていた筈が、マズいですね。
まぁ、もう出産もあきらめたので、これからはその状況下で、のびのび(?)人生を楽しんで行きます!
原村さん、こんにちは。
母は、田舎から単身で上京し、自らどんどん人生を切り開いたので、
将来の可能性というものを見つめさせたかったのだと思います。
いわゆる結婚適齢期といわれる20代半ばはバブル期で、
たいていの親は三高をと言っていた時代でしたが、
この言葉の価値観は、ちょっと誇らしくもありました。
マサイさん似の原村さん!
どこかでお見かけしたら、すぐにわかりそうですね!
pekoさん、こんにちは。
母は、はっきり言って、マトモではありません。
母親らしいことも、ほとんどしていませんで、色々と語り草が沢山あります。
まぁ、そのムスメというのも、なかなか大変なもので・・・
子供の姿は、親の美しい所を取って生まれてこれればいいのですが、
うちの場合、どうも思わしくないところばかりが集まってしまいましたね。
じゅん君、凛々しく素敵な顔立ちではないですか!
これからの成長、楽しみですね。
何とも華奢なお二人が、ケニア。。さすがです
お母様は、何だか、アカデミックな方の様ですね
私の母親も、いわゆる私の適齢期の時には、お見合い話を
しつこい程持って来て、しぶしぶ3回程。。
私の相手に対する条件より何より、”私を貰ってくれる人”
であれば、容姿も性格も二の次みたいでした。
。。失敗に終わり、もう何も言わなくなりましたが、
今になって親の思いは、少しずつ分かりかけている所です。
でも、都会の方が、女性は一人では生き易いとは、
実体験からも感じています。
翠さん、私もですが、自分の満足の行く幸せの道を、
これからゆっくりでも、見つけられたらいいですね。。。
「ひとやま当てそうな人」って
なかなかそんなこと並の人間じゃ言ってくれないかも。
母娘ってたのしい関係ですよね。