(ベトナムの旅の思い出話の続きです。
初めていらした方は、その1・その2・その3・その4を是非ご覧下さい)
その昔、ベトナムっていう国に行きました。
東南アジアにある、南北にながーい国です。
ながーいだけに、移動もながーい事かかりました。
実は、この旅で任務を遂行する為に、ベトナム人すら入れない、秘密の地に潜入しなければなりませんでした。
その地名すらも教えてもらえなく、ただただ、ひたすら乗り物に乗って、どんどん、ずんずん。
香港を経て、南のホーチミンから入国したので、かの場所に向かう為に、ハノイに移動する事になりました。
その距離1,700 km以上(日本の本州縦断位)、これは飛行機しかあるまいと、チケットを頼みました。
何の疑問も持たずに、乗り込んだベトナム・エアー。
普通の国内線ですが、機内の表示の大半はソ連の文字で書いてありました。
いわゆる払い下げってヤツでしょうか。
窓は丸窓。
昔日本にも、こんな飛行機があったような、なかったような。
まぁ、古そうな事は確かです。んで、ちよっと緊張・・・・
そうは言っても、今更降りられないし、ハノイに行かにゃなりませんし、
ちんまり座って、シートベルトを締めました。
で、離陸。
ぐわぁぁぁぁぁぁ・・・・・・
私の人生は、ここで終わるかと思いました。
少し高度があがった途端、シューっという音と共に、機内は自分の手も見えない程の、
真っ白な煙で埋め尽くされたのです!!
正確には水蒸気なのだと思うのですが、とにかく何が何だか!!
2-3分して、雲が切れると、大騒ぎしているのは、私たち一行だけでした。
ベトナムでは、機内に雲が侵入してくるのは、普通の事なのでしょうか。
その後、どんな僻地の、どんなローカル機に乗っても、こんな事は1度たりとてありません。
そして眼下に見えたのは、ベトナム戦争の映画でよくみる、鬱蒼としたジャングル・・・
私が1番ベトナムにいるのだと感じた瞬間でもありました。
さて、スッチーさまは、アジア系1名・ブロンド系1名。
制服は、白っぽいのと水色っぽいアオザイだったような。
機内の雲が晴れると、国内線でも機内食ができました。
小さなパンと、ハムのようなもの。
ハムには、ご丁寧にパクチーが載っており、日本人一行、みんなメゲておりました。
まっ、私はまったく問題ありませんが!
食事が終わると、間もなく着陸体勢。
すると、プロンドのスッチーさま、ピッチャーに残ったオレンジジュースをドボドボとトイレに捨て、
(扉は開けたまま)
空の容器を抱えて、足で思いっきり蹴って、トイレのドアを閉めておりました。
あのオレンジジュース、霧になって、ジャングルに甘い雨を降らせるんだろうか・・・
日本に帰ってから、現地の世話役さんを紹介して下さった貿易商の方に、ベトナムエアの話をしたら、
「えー、VIPもいるのに、あれ乗ったの!?
ベトナムにいる日本の商社の人は、危ないからって、わざわざ香港経由で南北を移動するんだよー!」
あ・と・の・ま・つ・り! とにかく無事でよかったです・・・・
さてハノイで4WDの車に乗り換え、一路南へ! (たぶんそっちの方)
1日半、ひたすら移動でも、寝てりゃあ、そのうち着くだろうと、“たか”をくくっていたのですが、
とにかく飛ばす! 飛ばす!
そして、追い越しをかけようが、かけまいが、延々とクラクションを鳴らして走り続けます。
現地で合流した人達も含め、3台の車で移動しましたが、頻度の差こそあれ、
ほとんどクラクションを鳴らし続けているのは、どの車も同じでした。
1泊して、翌朝もクラクションの嵐にて進行。
そうこうしているうちに、舗装道路がなくなりました。
(上の写真は、舗装道路の終着点で撮ったものです)
あとは、デコボコ道を、延々と奥地へ。
途中でスタックしているバスに阻まれて、進めなくなり、
何もできない日本人一行は、ランチタイムとなりました。
バスの子供達に見守られる中、私は、朝、ホテルで用意してもらったフランスパンに、
日本から持って行ったツナ缶とマヨネーズを和えて挟み、サンドウィッチを作成。
それからカロリーメイト配布。
心無しか、日本人ご一行はご満悦で、私の株もちょっと上がったような。
そうそうしているうちに、力持ちの男子達が、バスをスタックから救出し、私たち一行も出発。
車を進めると、物々しいゲートに引っかかり、何やら怪しい紙を見せ、秘密の地へと潜入しました。
そこはどんな場所かと言うと、川でありまして、その川は泥沼のようなのですが、
泥団子の中には、時々、赤い石が出てきて、それが高い指輪になったりするので、
ちょっとヤバい秘密の場所、という事になっているのです。
私は仕事も忘れ、ズブズブと足を取られながら、ドジョウすくいの真似事をしてみましたが、
そんな簡単には、赤い石は見つかりませんやね。
えー、生き物である以上、欠かせないのは “アレ”であります。
その場所の事情がよくわからずに行った事もあり、あまり考えていなかったのですが、
泥遊びをしたせいか、ちょっと冷えた訳で・・・
幸いにも、そこの管理をしている人の小屋があり、を借りる事ができました。
お住まいも小屋ですが、も小屋であります。
男性の皆様は、とっとと済ませ、女子はMさまと私。
扉は放っておくと開いてしまうので、お互いに押さえ合う事にいたしました。
Mさまが出てきて、次に入ってみると・・・
そこはがらーんとした、コンクリート打ちっぱなしの床があるだけ。広さにして4畳半位。
ど、どうしたらいいの?
よくよく見たら、ただの部屋と違い、部屋の片隅の壁に小さな穴が空いていて、そこだけが緩やかに床が傾斜しているようでした。
あぁ、そういう事なのね・・・と、いう事は、ここの人は紙は使わないって事か??
外に出てみると、そこには井戸があり、まぁ、万事は水に流して終了という感じがしないでもなく。
途中、奥地とは思えない、赤い石で成金になった人達の、けばけばしい豪邸(?)が立ち並ぶ村を抜け、
またハノイへと1日走って戻り、またすったもんだの末、出国し、
香港で飲んだ暮れて1泊し、日本に帰り着きました。
振り返ってみて、何が一番印象に残っているかと言うと、
それは長い移動中に見た、どこまでも続く、田んぼの風景です。
二毛作をしているのか、青々と稲がそよぐ場所あり、牛を引いて土を耕しているところあり、
大半の場所は、1本の電柱も建っておらず、それがとても象徴的であり、印象的でした。
昼は光を浴び、夕暮れには赤く染まり、それはそれは美しい光景で、
アジアの原風景とも言えそうなものでありました。
あれから、約15年以上、過ぎました。
電気を頼りの生活をしている私が、こんな事を言う資格がないのは判っているのですが、
電柱にも電線にも切り取られる事のない風景、それがどれだけ美しいかを、
ベトナムの人が気づいて残してくれないものかと、心のどこかで望んでしまいます。
厳しい歴史に翻弄され傷だらけになったベトナム、帰国時にトラブルが起きたのですが、
それはまだ彼らの心の中で続いている南北の争いの残り火のようなものでした。
しかし人々の心は、本当はあの田んぼの風景のように、穏やかで無垢なものだと、
私には思えてなりません・・・
ベトナムへ 完
長旅の必需品は、好奇心と根性ですかね
※ 自分の記憶を書き留めておきたくもあり、長い文章になってしまい、すみません。
仕事の旅で、お見せできるマトモな写真がほとんど手元にないので、とにかくひたすら書き綴りました。
※この話は、10年数年前の私の体験を、ありのままに書いておりますが、
現在はずっと観光化され、直行便もあり、色んな事が改善されているものと思われますので、御心配なく。
改悪されていないかも、気になるところではありますが・・・
初めていらした方は、その1・その2・その3・その4を是非ご覧下さい)
その昔、ベトナムっていう国に行きました。
東南アジアにある、南北にながーい国です。
ながーいだけに、移動もながーい事かかりました。
実は、この旅で任務を遂行する為に、ベトナム人すら入れない、秘密の地に潜入しなければなりませんでした。
その地名すらも教えてもらえなく、ただただ、ひたすら乗り物に乗って、どんどん、ずんずん。
香港を経て、南のホーチミンから入国したので、かの場所に向かう為に、ハノイに移動する事になりました。
その距離1,700 km以上(日本の本州縦断位)、これは飛行機しかあるまいと、チケットを頼みました。
何の疑問も持たずに、乗り込んだベトナム・エアー。
普通の国内線ですが、機内の表示の大半はソ連の文字で書いてありました。
いわゆる払い下げってヤツでしょうか。
窓は丸窓。
昔日本にも、こんな飛行機があったような、なかったような。
まぁ、古そうな事は確かです。んで、ちよっと緊張・・・・
そうは言っても、今更降りられないし、ハノイに行かにゃなりませんし、
ちんまり座って、シートベルトを締めました。
で、離陸。
ぐわぁぁぁぁぁぁ・・・・・・
私の人生は、ここで終わるかと思いました。
少し高度があがった途端、シューっという音と共に、機内は自分の手も見えない程の、
真っ白な煙で埋め尽くされたのです!!
正確には水蒸気なのだと思うのですが、とにかく何が何だか!!
2-3分して、雲が切れると、大騒ぎしているのは、私たち一行だけでした。
ベトナムでは、機内に雲が侵入してくるのは、普通の事なのでしょうか。
その後、どんな僻地の、どんなローカル機に乗っても、こんな事は1度たりとてありません。
そして眼下に見えたのは、ベトナム戦争の映画でよくみる、鬱蒼としたジャングル・・・
私が1番ベトナムにいるのだと感じた瞬間でもありました。
さて、スッチーさまは、アジア系1名・ブロンド系1名。
制服は、白っぽいのと水色っぽいアオザイだったような。
機内の雲が晴れると、国内線でも機内食ができました。
小さなパンと、ハムのようなもの。
ハムには、ご丁寧にパクチーが載っており、日本人一行、みんなメゲておりました。
まっ、私はまったく問題ありませんが!
食事が終わると、間もなく着陸体勢。
すると、プロンドのスッチーさま、ピッチャーに残ったオレンジジュースをドボドボとトイレに捨て、
(扉は開けたまま)
空の容器を抱えて、足で思いっきり蹴って、トイレのドアを閉めておりました。
あのオレンジジュース、霧になって、ジャングルに甘い雨を降らせるんだろうか・・・
日本に帰ってから、現地の世話役さんを紹介して下さった貿易商の方に、ベトナムエアの話をしたら、
「えー、VIPもいるのに、あれ乗ったの!?
ベトナムにいる日本の商社の人は、危ないからって、わざわざ香港経由で南北を移動するんだよー!」
あ・と・の・ま・つ・り! とにかく無事でよかったです・・・・
さてハノイで4WDの車に乗り換え、一路南へ! (たぶんそっちの方)
1日半、ひたすら移動でも、寝てりゃあ、そのうち着くだろうと、“たか”をくくっていたのですが、
とにかく飛ばす! 飛ばす!
そして、追い越しをかけようが、かけまいが、延々とクラクションを鳴らして走り続けます。
現地で合流した人達も含め、3台の車で移動しましたが、頻度の差こそあれ、
ほとんどクラクションを鳴らし続けているのは、どの車も同じでした。
1泊して、翌朝もクラクションの嵐にて進行。
そうこうしているうちに、舗装道路がなくなりました。
(上の写真は、舗装道路の終着点で撮ったものです)
あとは、デコボコ道を、延々と奥地へ。
途中でスタックしているバスに阻まれて、進めなくなり、
何もできない日本人一行は、ランチタイムとなりました。
バスの子供達に見守られる中、私は、朝、ホテルで用意してもらったフランスパンに、
日本から持って行ったツナ缶とマヨネーズを和えて挟み、サンドウィッチを作成。
それからカロリーメイト配布。
心無しか、日本人ご一行はご満悦で、私の株もちょっと上がったような。
そうそうしているうちに、力持ちの男子達が、バスをスタックから救出し、私たち一行も出発。
車を進めると、物々しいゲートに引っかかり、何やら怪しい紙を見せ、秘密の地へと潜入しました。
そこはどんな場所かと言うと、川でありまして、その川は泥沼のようなのですが、
泥団子の中には、時々、赤い石が出てきて、それが高い指輪になったりするので、
ちょっとヤバい秘密の場所、という事になっているのです。
私は仕事も忘れ、ズブズブと足を取られながら、ドジョウすくいの真似事をしてみましたが、
そんな簡単には、赤い石は見つかりませんやね。
えー、生き物である以上、欠かせないのは “アレ”であります。
その場所の事情がよくわからずに行った事もあり、あまり考えていなかったのですが、
泥遊びをしたせいか、ちょっと冷えた訳で・・・
幸いにも、そこの管理をしている人の小屋があり、を借りる事ができました。
お住まいも小屋ですが、も小屋であります。
男性の皆様は、とっとと済ませ、女子はMさまと私。
扉は放っておくと開いてしまうので、お互いに押さえ合う事にいたしました。
Mさまが出てきて、次に入ってみると・・・
そこはがらーんとした、コンクリート打ちっぱなしの床があるだけ。広さにして4畳半位。
ど、どうしたらいいの?
よくよく見たら、ただの部屋と違い、部屋の片隅の壁に小さな穴が空いていて、そこだけが緩やかに床が傾斜しているようでした。
あぁ、そういう事なのね・・・と、いう事は、ここの人は紙は使わないって事か??
外に出てみると、そこには井戸があり、まぁ、万事は水に流して終了という感じがしないでもなく。
途中、奥地とは思えない、赤い石で成金になった人達の、けばけばしい豪邸(?)が立ち並ぶ村を抜け、
またハノイへと1日走って戻り、またすったもんだの末、出国し、
香港で飲んだ暮れて1泊し、日本に帰り着きました。
振り返ってみて、何が一番印象に残っているかと言うと、
それは長い移動中に見た、どこまでも続く、田んぼの風景です。
二毛作をしているのか、青々と稲がそよぐ場所あり、牛を引いて土を耕しているところあり、
大半の場所は、1本の電柱も建っておらず、それがとても象徴的であり、印象的でした。
昼は光を浴び、夕暮れには赤く染まり、それはそれは美しい光景で、
アジアの原風景とも言えそうなものでありました。
あれから、約15年以上、過ぎました。
電気を頼りの生活をしている私が、こんな事を言う資格がないのは判っているのですが、
電柱にも電線にも切り取られる事のない風景、それがどれだけ美しいかを、
ベトナムの人が気づいて残してくれないものかと、心のどこかで望んでしまいます。
厳しい歴史に翻弄され傷だらけになったベトナム、帰国時にトラブルが起きたのですが、
それはまだ彼らの心の中で続いている南北の争いの残り火のようなものでした。
しかし人々の心は、本当はあの田んぼの風景のように、穏やかで無垢なものだと、
私には思えてなりません・・・
ベトナムへ 完
長旅の必需品は、好奇心と根性ですかね
※ 自分の記憶を書き留めておきたくもあり、長い文章になってしまい、すみません。
仕事の旅で、お見せできるマトモな写真がほとんど手元にないので、とにかくひたすら書き綴りました。
※この話は、10年数年前の私の体験を、ありのままに書いておりますが、
現在はずっと観光化され、直行便もあり、色んな事が改善されているものと思われますので、御心配なく。
改悪されていないかも、気になるところではありますが・・・
これだけ、鮮やかな思い出となって心に残っているなんて、
良い旅。。でしたね!(笑)
私も、旅には必ずハプニングがありましたし、
苦い思いをした事も正直ありますが、振り返れば
行って良かったと、後悔した事はありません。
その飛行機と、のお話、
中々普通は(?)体験出来ない事で、インパクト強かったです~
機内に雲が?! それ、私も体験してみたかった。
雲だって予めわかっている場合だけど。笑
私もパクチー大好き♡
ベトナムサンドイッチのときは、パクチー大盛で頼むもの♪
いや~でもその秘密の地に潜入しないと商談(?)成立しなかったのかしら?
電話じゃダメなの?って思ったわ。(^^;
もしかしたら当事はそこは電話もなかったのかもね。
無事帰国されてよかった
人生に何も思い残すことがなくなったら、行ってみてもいいかな~。
昨年次男坊が ベトナムに行ってきました。
これから、発展していく第一候補?
10年前、昨年、そして今と、状況は、ちがうんでしょうね。
いつも暖かいお言葉、ありがとうございます。
こんな私ですが、これからも宜しくお願いしますね。
るちぃるさん、こんにちは!
良い旅・・・
怖いもの知らずだった頃の、恐ろしい体験です。
不思議なもので、旅の思い出は、ヘビーな場所のヘビーな体験程、
よく覚えているものです。
まぁ、旅に関しては、ちょっとしたM体質かも知れず・・・
pekoさん、こんにちは!
機内を埋め尽くした白い気体、一体ナにだったのでしょうね!?
ディズニーランドでカリブの最初か最後に、シューっと白い煙(ドライアイス?)が出るのがあるけれど、
あんな感じでしょうか。
pekoさんも、パクチー仲間ね!
東京でも台湾料理店に行くと、一盛り頼みます。
ついでに暖かい季節は、自宅で栽培もしております
商談というよりは、視察と実体験のようなものだったので、
とにかく行かねばという旅でした。
これまでの海外行きの中でも、ベトナムはかなりハードな旅でした。
ひなぎくさん、こんにちは!
おそらく観光でホーチミンやハノイに行く分には、現在は何ら問題ないと思いますよ。
ホテルも綺麗な所、沢山できているようですし、かのベトナムエアも日本に乗り入れましたしね。
とりあえず、ベトナムはアンデスと違って、空気があるから、楽勝ですよ!
ゆめママさん、こんにちは!
息子さんの感想はいかがだったでしょうか。
私が行った頃も過渡期でしたが、その後の発展はものすごいと聞きました。
今では、奥地までテレビやインターネットで情報が行き渡っているのだと思います。
そうやって社会主義の国も変わっていくのでしょうね。
この頃は、どこへ行くにも、役人が付いて来て、
しかもどんどんその人数が増えて行き、いささか困ったものでした
嗚呼、社会主義国家・・・でした。
ベトナム旅行は色々ハプニングや日本では経験できない事を体験したのですね。
海外って日本の常識では考えられないその国の常識がありますよね。
でも~私たちにとっては「うっそぉ~~~(@_@;)」なんて事ありますよね。
翠さんの印象に残った風景~
目を閉じて想像してみました。
電柱がない夕暮れに染まった風景~
雑踏の騒がしい街中から離れた心休まる風景が目の奥に想像されました。
また違う旅ブログを楽しみにしてます。
ベトナムへの旅は、この奥地への行程が、何と言ってもヘビーでしたねぇ。
ここに行ったら、もうどこへ行くのも、怖くない気もします。
でも大抵の事は、楽しんでしまいます。経験! 経験!
この旅は、メンバーもよかったので、大変ながらも、いい旅でした。
牛車が普通に生活に使われる、その速度感。
今、思い起しても、ほっとするものを感じます。
また、少ししたら、旅の思い出を書き綴りたいと思います。
どこがいいかなぁ・・・
パクチーが好きな翠さん、個人的にうれしいかも。
(私のまわりでも嫌いな人が多い)
なにも遮るものがない田んぼの景色、素敵ですよね。
私の住んでいるところも田舎ですが、
だんだんいろんな建造物が景色を乱しつつあります。
かなしい・・・
ドイモイでかなり近代化され町中はこぎれいだった様子ですが、
ちょっと町を外れると貧民街があり、
戦前の日本のような風景が拡がっていたそうです。
フランス植民地時代の名残でパンやコーヒーがおいしかったそうで、
アルミのコーヒー漏斗(?)をおみやげにもらいました。
(お茶やコーヒーを買うとオマケについてくるって?)
私もパクチー大好き!フォーも大好き!生春巻きも大好き!
行ってみた~い!(食いしん坊です)
夏には中華街で買った浴衣生地のアオザイ(2枚持ってます)を
着て歩いてるんですよ。浴衣より涼しくてラクです!