菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

柏野 4

2016年04月15日 | 菅井滋円 作品集


柏野 4
わたくしの入った部屋は 前の7階の一室の隣の6人部屋で 病院は加茂川の西岸にあり この部屋から東山36峯が全て見えた 窓外は鮮やかな鳶の飛行術が見られた。
この度も亦いつものような何回も受けたオペと同じであった。   やがてその日もキャスターに乗せられて手術室へと・・・

退院3日柏野のアトリエへ通いだしていた かつて絵を描いていたまま 手の付けられない状態である過ぎ去った日が そのまま時間が止まっていた。
兎に角整理には長時間必要だと思はれた 絵の具 筆 モチーフの雑器などを家の方へ持ち帰り ゴミを捨てに通った コドモが賽ノ河原で石を積み上げ その石を鬼が壊す  また積み上げる  果のない作業のように思はれた。
これは長期戦だ もう一度戦術を組み換える必要がある本棚 水屋などを含めやり直そうと思い出した。

退院から10日 F氏の車でK女史と三人で亀岡の公孫樹を見に行こうと話していたが 生憎予報では下り坂で 雨が気使はれた 途上予想に反して陽が斜めから射しており 車は七条を東に向かった そこで国道24号線を南へ南山城の蟹満寺へと向かうことにした そして恭仁京へ向かった。
道路標識に知らない寺の名前があり 曹洞宗地蔵禅院・・咄嗟にそちらへ向かった。
寺は山の中腹にあり 樹齢300年と云うしだれ桜 眺望はおそらく三重県の山並みであろうと思う遥かに望まれた 寺の縁を書かれているモノによると 創建は奈良時代の古いものだという。
草刈り機で老人が草を刈っていた。
奥さまと思える女性が その寺の由来を語った わたしは
「この辺りは橘諸兄さんの地所ですか・・・」
「そうです 橘諸兄公がおいでになった所です」
そのおくさんに挨拶をして別れた。
その曹洞宗地蔵院の脇にものすごい階段 鞍馬寺の階段を思わられたが 病後のトレーニングと登った石鳥居があり玉津岡神社 息を吞むような能舞台 碩学の白数正子さんでも見ていないだろう拝殿を裏の緑の背景の鎮座していた。
誰も居ない森閑とした威厳 わたしは鶴と松の蟇又(かえるまた)をスケッチした。
われわれは山を下り 橘諸兄顕彰碑 蟹満寺 木津川の流れ恭仁京でスケッチをした 予報に少し遅れたが 雨が降り出し帰途に着いた。


   




柏野 3

2016年04月08日 | 菅井滋円 作品集
柏野3
その後法務局から連絡があり 測量の人が来られた そして測量にわたしも立ち会った そのさい思いついたことだが アトリエをこれからどうしようか・・・さまざま考えを回らせた。
問題はアトリエのことよりも 残された作品の山のことである 生きる出あろうその間の問題であり 過去に描きだし長時間に亘って描き切れていない 多くの作品のことである 結果として夥しい途上の宿題が待っているが いずれしても整理だけはしなければならない。
わたしに与えられた時の狭間で 自らへの問いかけでありまことに悩ましい。
それにくわえてオペを前にして避けることができないのは 入院まで空白のトキがイヤなのだ。
そのことがわたしを苦しめていた 目の前の時間をどうかして消してゆけないかと思っていた。
どうにもならないことは十分承知していながら そのトキを消しゴムで消し去りたい それには旅に出ようと思い出していた。
何処へ向かうのか 穏やかな景色はわたしには似会はない。
北へいこう 知らない町へ厳しい風景を求めていた・・・・わたしは敦賀に行こうと思いだしていた。

京都駅から快速がある 敦賀~京都間は1時間あまりで着く そして準備もせず敦賀への切符を手にしていた。
湖西線はたちまち敦賀に着いた そして駅頭で立ち喰い蕎麦をたべ タクシー気比の松原へと行った タクシーをまたし気比の松原に立つ たしか・・・?この松原は・・・長谷川等伯は「松」を描いた・・のだったかと思いだした等伯の八曲二双の屏風「松図」・・・背景の朦朧とした墨の用い方は砂原の・・・そして湾内の海辺が・・実景は対岸のブルーグレーの淡い色・・・思索の旅となった。
タクシーはそして気比神社へと 二礼二拍手し参拝を終えた ここへは松尾芭蕉も参拝して芭蕉の月を詠んだ句が銅版。  境内の参拝者は幾組かの老人がいたが 気比神社の絵馬堂は誰も訪れる人は誰もいないが 絵馬堂にある絵馬の扁額があり江戸時代武将の図 日露戦争の戦勝を語るもの さまざまがあり その立派な幅広い板が用いられている そしてこびり付いた胡粉の執念のような 僅かに残る顔料には感銘を深くした。

国宝になっている鳥居。  街を彷徨った  街はことごとくシャッター街となっていた  たまたま街中の立ち寄った喫茶店に近隣の人たちが集まっていた。
店主は彫刻を楽しむ人であった 孤客は未知の街の人々と語りあった。






                                   気比神社絵馬堂の絵馬

柏野 2

2016年03月18日 | 菅井滋円 作品集
柏野 2
アトリエの登記簿に わたしのアトリエは 明治5年に建てられたのだという記録がある 路地の長屋の平屋である。
その家に安上(やすあがり)りで必要なだけのコンパクトに改装してもらった それから40年が経った。

西陣の西 紫野の一隅 柏野という地域にある。
この辺りは蜘蛛の巣のような 細い路地が張り巡らされている そこは小さな家が並び 無数に屈折した細い道がある  ここを京都市民でも探し出すことは難しいだろう 路地の中の一番奥にある家では 閑静と云うより この前には行く人は全くない  向かい隣の住人 かつて8戸あった長屋も わたしのアトリエを含めて3戸になった。

西陣織はここで織られていた 柏野は織屋の町であった。
あたり一帯激しく鳴り響いていた 力織機の音はイマ絶えてない トキはこの辺り織機を奪った そして過ぎ去った。

ここにはわたしの最も初期の作品や未完成モノや無数のエチュードなどが詰め込まれている 整理をしなければならない 多くの廃棄しなければならない山がある。

そのようなことを考えながらの入院となった。


            


                       柏野のアトリエ

柏野 1

2016年03月11日 | 菅井滋円 作品集
柏野 1
毎日バイクで通っていた 柏野のアトリエはいまでは行ってなない 年齢を考えると ここらが矛(ほこ)を収めるトキであろうと思い 節度を持って警察へ免許返還した 足を奪われたため行きにくくなった。
現実は入退院のため制作は完全に止まった いま行方を見失ってしまったのだ 繁忙な病院との付き合いに疲れたのだろう。

前回の個展はお病院のベッド上での決断であった がその作品は多くは柏野のアトリエで描いたものであった。
病になって20年 病院のベッドうえはもう沢山だと考えている  しかし外の選択枝はないのである。

憂欝は拭いようがなく積み上げられている 以前は自分にご褒美としてCDを自らに買ってやったこともあり 病院の帰途御馳走を自らに与えたこともある 嫌なことを誤魔化していた それにも通じにくいところまで来ていた。
本も買い持ちこんで若い日に繁忙で読めなかった本読んだが これも亦大体終わった。
いやな いやな峠に差し懸った これを越えて行かねばならない。

あなたの目の前で無心で草を食む動物の群れを見るがよい昨日がなにであるか 今日がなにであるかは知らない。

ニーチェの言葉だが わたしは老いてそして昨日を語る わたしにとっての 問題は柏野のアトリエもその一つなのだ わたしの憂欝は「老いる」こと「やまい」この二つは避けられない 多くはこの二つをバネに描いて来た 頻繁な入退院がそのバネを奪いつつある。
憂欝の持つ版図の領域は大きい。

このような思いで亀岡のH医師を受診した。





                                  雪の金沢

三寒四温

2016年03月04日 | 菅井滋円 作品集



三寒四温
河合望さんの個展を見に行った 率直で解かり易い作品で彼女の人柄がよく表れて好感を持った。
持って回った様な作品が多く わたくしは画家です とポーズする小生意気(こなまいき)な連中に辟易していたので 彼女の絵に癒された。

このギャラリーは夷川烏丸西入るという御所に近く むかし米屋の二階建て 京町家を改装した二階で随所に名残を留める 歩けばギシギシと音がする。
階下に中庭があり吹き抜けで蔓草が二階の窓まで伸びている 店主とも話したが 気さくな人柄に出会うことが出来た。

ギャラリーを外へ出ると風花が舞っていた。  堺町御門から御所を過った この辺りへは暫らく散策していないが ことにこの辺りは久しぶりとなった 丁度御苑の迎賓館のあたりで 松は立派な巨木となっていた 高々と天を指している その松を今更のように仰ぎ見た。
樹林を過る風に煽られた細雪が ジーンズのジャケットに吹き付ける 広々とした御苑を外へ出ると 広小路は数寄屋建ての高林和作先生の家がある 家は昔のまま また学生として通っていた立命館大学は いまは昔となっていた。

丁度昼時となっていた 昼食に府立病院のなかの喫茶室でスパゲッティーを食べ 待ち時間を「京都ぎらい」井上章一著と云う本を読んだ。

病院へは先日受けたMRIの結果を聞くためであった。
その結果はヨロシクナイ こうした時には もう笑ってしまう外に言葉は見つからない。
3月25日より入院となった。

病院を後に加茂川の堤を風花の舞う中を歩いた この日はいつも天空にある鳶は舞わない  水中には川鵜が佇立する 賀茂大橋を渡り出町からバスで帰路についた。