菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

作品1

2016年06月03日 | 菅井滋円 作品集
作品
若い日に描いた絵 初期の作品から拾い出してみた これまで人にお見せしたコトのない絵を この機会にこの場に展示ようと思いだした。

若い日は懐かしくもあり 恥ずかしくもある また健康でもあった。
未熟ながら充実した日々が確かにあった。
いま忘れていた作品を記憶の襞の隙間から抜きだして 展示したい。



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石佛

2016年05月13日 | 菅井滋円 作品集
石佛
紫野に蓮台寺と云う寺がある その辺りは平安京や室町時代には 死人(しびと)を捨てに行ったところである。
蓮台寺は永い歴史があり 春には桜の前に咲く杏(あんず)が白い その傍らにギャラリーのように 夥しい石佛が佇立している。
石佛にはまたそれぞれ趣がある  中にはこれは平安、室町時代くらい・・と思はせる石佛も数多くある。
蜘蛛を退治した武将の源頼光を語る欅は聳え立ち 平安朝最後の京仏師定朝も ここに眠っている。
アトリエから歩いて10分くらいの距離でよく訪れる。   何度もその石佛群の中から気に入ったものを写生した。
先日このコーナーで掲載した「疾風」という選佛寺に納めた屏風のモチーフも この寺の石佛であり またカメラに収めた写真も多い まことに京都の石佛は歴史を刻み優美である 京都の石工(いしく)たちの技術力の高さが伺われる。
国東半島の石佛は巨大で 急峻な坂をのぼり熊坂の不動の名でよく語られているが その巨大さに驚いたのは昨年の栗生工氏との旅であった。

亀岡の国分寺にある石佛は 手の平に乗るくらいの小さなモノもあるが 現地に立って思ったことは 幼子を失った親の嘆きが聞こえて来る。

わたしの描きたいモチーフは 先人の残した石佛の中に秘められたモノである。
石には故人からのメッセージが伝わっていると思うのだが・・・



  

丹波国分寺

2016年05月06日 | 菅井滋円 作品集
丹波国分寺
ここを訪ねて随分時間が経つ丹波国分寺である。   この国分寺が亀岡の千歳町にある この度は 古川氏の車での訪れとなり 同道者福島さんの3人である。

まことに閑々とした また新緑が鮮やか わたしたちは高く聳える公孫樹を見るための訪問であった。
高札に記されている処によると以後何度も火災にあったが 元禄年間に再建されたのが 現在の建築となった そして寛永年間に改装された  大工棟梁木村藤四郎 瓦工花野九兵衛とある。
これまで注目したことはないが 見上げると本堂の屋根左右に阿吽(あうん)の龍が睥睨していた。
幸い天気もよいが訪問する人は少なく 公孫樹を写生もゆっくりと描くことが出来た。
われわれは釣鐘のところで弁当を食べ 午後から以前訪ねた御殿医の屋敷を訪ねるため さきほど近辺の方に聞いた道を行ったのだが 昔見た筈の屋敷も聳え立つ公孫樹の大樹も茫々とした藪に化していた。
過ぎ去った日はまぼろしとなって・・・消え去った。





 


 


                          丹波 国分寺

牡丹

2016年04月29日 | 菅井滋円 作品集
牡丹
どこからか牡丹の噂が聞こえて来そうなシーズンとなった。 二階のモノ入れの中に眠っている斎藤猪三夫先生の絵を取り出して 寝室の傍に置き 贅沢な時間を過ごした 胡粉は素材が牡蠣殻から造られたものであるから不透明である。 だが先生の描かれた牡丹は花弁のひとひらひとひらが うすい透明に描かれている 胡粉を用いるのに胡粉と膠の用い方に秘密があるのだろう。  仏画などの昔のエカキが法衣を透明に描いるが 先生の胡粉を操る高度な技法を駆使しておられたのであろう。
先生が描いて居られる途上のことをわたしは知っている その日のことを思い起こしていた。

斎藤猪三夫先生は 明治43年広島県庄原のご出身で京都絵画専門学校 いまの京都芸術大学である 当時は京都絵専と云われた 日本画家で 最も得意な絵は牡丹であり 牡丹を描き続けて来られた。

わたくしは高校生の頃より先生に教えを受けて来た また家へもよくお伺いをし 写生を教えていただいた そればかりでなく薫陶よろしきを得ている そしてイマは長い時間がすぎていった。

先生画八十歳を越えられたころ
「僕は牡丹では徳岡神泉を超えた 牡丹では・・・」
と自信のある言葉であった。 八十歳を超えた先生の言葉は重い 先生の自信を窺うことが出来た。

旅立たれて幾星霜 季節が牡丹のトキを迎ええると この絵をみたくなり取り出し ひとり思いに耽った。


                     


                     

                            斎藤猪三夫 画

旋風

2016年04月22日 | 菅井滋円 作品集
旋風
新緑の御苑を散策した 稀に見る好天でまだ遅咲きの桜が残っていた 山吹はいまが盛りと満開のトキで黄色い小ぶりの花を咲き誇っていた。 中立売御門の辺りにある井戸であり縣井(あがたい)その近くに故人が植えたものである 近衛家の庭址の楓は若葉を吹いていた 九条家の池に小島があり 清盛が造ったと云う その小島には橋をかけられ小さな石鳥居 見事な木立の新緑 軽いスケッチを何枚か描いた。

わたしは最近和尚の勧めが機会に 隣の選佛寺で座禅をすることになった。  背中に喝を頂き自堕落な日頃を省みる機会となった。
入り口にある 以前に奉納した六曲屏風と都度対面することになり 「旋風」の幻覚をテーマにした作品に会うことになる そのたびごと出来れば加筆したいと思っていた そのことについて 奥さんに話して見た わたしの意を了解して頂きこの二~三日間通った 大きなスポンジで大きなガラスのボール十杯分くらいの墨を洗い  描きだして20年くらいなるだろう上乗(うわの)りしている 墨を洗い落した。ゴツゴツしたイメージを流し落とした。加筆も穏やかで柔らかく イメージ通り描き終へることが出来た。