常滑 5
予定通り入院して 予定を一日遅れの帰宅となった。 一日遅れはわたくしの横着な行動に因るものであり オペ後一日おいて次ぎの日 院内を歩きまわり 1階の喫茶室CRIÉへ行ったり 肌着を買いに行ったりしていた そのため あわや心臓が痛くなり 麻痺を引き起こしそうになった。
もう少し穏やかに 病を受け流すという精神がわたしには足りない と反省させられた。
病室では鈴木大拙の「座談集」と後藤朝太郎「支那の体臭」の二冊を読んだ。
ある日ヒルゲートの人見さんから 電話を頂いた 用旨は来年開く個展のことであり 話し合った結果 2016年1月25日(火)~31日(日)という日に決まった。
その他菅井滋円作品展に「形象(カタチ)の孤独」と云う言葉をサブタイトルで設けることとした。
わたしの描く絵コトなのだが いつも「形」が擬人的な影を帯びおり 余計な愛想をしない。
この度の展覧会では 海中を漂った漁具のプラスチックの「浮き」を若狭湾で拾い持ち帰ったことが そもそもの始めであり それをしばらくアトリエで眺めていた そこで気付いたことは この浮遊物にはストーリーがあり 物体の内部に時間が宿されている それは海の響きであると 波の狭間を浮遊し削ぎ落すものは 削ぎ落した表情がある。
プラスチック割れた漁具は ある時はドルメンであり メンヒルであり ストンサークルのように見えた そこにはモノのもつストーリーが語られているのに気が付いた 時間が凝縮されている それがわたしの流儀では その形象にマリアを見たり 観音を見たり 人に寄り添い化(ばけ)て行く そしてイメージができるのである わたしが漁具のドロップアウトしたものを描いて 見る人の随意に任そうと思いだしてきた。
人は絵の前で夢想する それを頭に刻み込む。
無駄のモノを削ぎ落した形象はシヤ―プであり それは漁師から わたくしへの提言となった。
奥の収納庫が出来たことによって 40点程の作品を用意するのに至難なことではなくなった。
そう肩に力を入なければ 何とかなるだろう と楽観している。
「わたしの耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」
読み人不知
病は治癒した訳ではない 退院はしたが 小康しているだけなのだが だから背負える以上の憂いはもたないことにした。