菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

回帰 1

2018年03月24日 | 菅井滋円 作品集
  回帰 1
厳しいこの冬 医師は肝臓のフイルムをボールペンの先で示しながら カテーテルによる治療に限界が来た これからは薬による治療にしたいと云った  いわゆる抗癌剤による治療である。
カテーテルによる治療とは 手術によるものであり 入院して2日目くにその日が来る 処置日は手術室へと 病衣にT字体を付け入っていった。
幾度かこの部屋に入っているが 看護師の押すストレッチャーから手術室の人々へ 数人で手術台へ移された
鼠蹊部(足の根っこ)を消毒そしてカテーテルを差し入れ モニターを見ながら手術室専門の医師の手でおこなわれ 言葉を選びながら わたしの緊張に配慮しながら作業である やがて両手には注射が差し込まれている 医師は
「大きく息を吸って下さい   止めて下さい」
と云いながら 
「ハ~イ ラクニシテください」
と云う言葉が繰り返される そして肝臓に薬が投入されるのである。
凡そ2時間くらいの・・出来ごとである。
終了すると消毒をしてガーゼを手に 若い医師が傷跡に手の平で30分ほど圧迫し動脈を止血しやがてもとのキャスターへ移され手術室を後にする。
手術室から天空の7階へとストレッチャーに乗せられ帰る 病室では絶対安静3~4時間が待っている。
こうして昨年の晩秋の御所の黄葉をこの病巣から見ることになった。  十日程の入院である。
わたしはこれまでこの治療を9度受けたのだが その治療に限界が来たのである。
いつかは終わりが来るなだから いまいのちに関しては十分生きたと思っている 何があっても狼狽しないが その治療に限界が来たのである。
わたくし個人は 近辺には家族もない友人も去った そして今年1月半ばで82歳となった 十分だろう。
そしてこの薬剤の治療が始まりだした それには副作用と云う難儀が伴う 新しくまったくの孤高に立つたのである。

今回からの用いられる薬は ネフサバールというピンクの薬で 夜これを2錠飲むのだが その薬剤の持つ多岐に亘る副作用はいろいろある。肝臓の値を示すGOP GPTの数値3倍になった また体重が3キロ減ったこと 足の裏のタコはわたしのよく歩くことの証なのだが そのタコが半透明で黄色くなり 素足で堅いモノの上を歩くと痛い 体はさらに疲労感にある。
足のタコにはデルモベートという薬とクリームを一日に2~3度を塗らなければならない。  憂欝が背中に巣食っている。
朝の鏡に映る老人の眼窩が深く落ち窪んでいる 実に嫌な顔となっていた。
いまは外の選択はないのである だからと云ってニヒルになってもカッコよくない ジジイが拗ねても自ら笑えるだけだ。
こんなことを考えてみた わたしはこれまで何をして来たかと・・? この難解には答は無いのだ整理とともに自らの自省する機会となるだろうと。
これまで2~3週間 残された作品を体調に合わせて整理をし出した。



トキの崖(はて)が来たようだ
蝉の様にコロリと逝きたい。
死力を尽くして描いた絵が家一杯になった
これらの絵に埋もれて消え往こう。
何の不安もない 
自然の成行きを受け容れよう。


絵は命のあるうちは わたしに自身に意味がある
主(あるじ)を失った日 意味もなくなる。

随意なれ 放たれた蕪矢の行方
蝉が虚空に放った叫びと同じだ。

わたしは堤の中程に立つ
寒風の中天を行く孤鳥。


  身は槁木(かれき)のごとく 
心は死灰(しかい)のごとし。
                荘子  斉物論



このブログを長期に亘りお読み頂いた方々への深い謝意を申し上げます。
現在アトリエと家に残された作品で これまでお目にかけることのなかった 未発表なものゝいくらかを お目にかけようと思い この一文を設けました これをご高覧の謝意としたい。   有難うございました。