牡丹
どこからか牡丹の噂が聞こえて来そうなシーズンとなった。 二階のモノ入れの中に眠っている斎藤猪三夫先生の絵を取り出して 寝室の傍に置き 贅沢な時間を過ごした 胡粉は素材が牡蠣殻から造られたものであるから不透明である。 だが先生の描かれた牡丹は花弁のひとひらひとひらが うすい透明に描かれている 胡粉を用いるのに胡粉と膠の用い方に秘密があるのだろう。 仏画などの昔のエカキが法衣を透明に描いるが 先生の胡粉を操る高度な技法を駆使しておられたのであろう。
先生が描いて居られる途上のことをわたしは知っている その日のことを思い起こしていた。
斎藤猪三夫先生は 明治43年広島県庄原のご出身で京都絵画専門学校 いまの京都芸術大学である 当時は京都絵専と云われた 日本画家で 最も得意な絵は牡丹であり 牡丹を描き続けて来られた。
わたくしは高校生の頃より先生に教えを受けて来た また家へもよくお伺いをし 写生を教えていただいた そればかりでなく薫陶よろしきを得ている そしてイマは長い時間がすぎていった。
先生画八十歳を越えられたころ
「僕は牡丹では徳岡神泉を超えた 牡丹では・・・」
と自信のある言葉であった。 八十歳を超えた先生の言葉は重い 先生の自信を窺うことが出来た。
旅立たれて幾星霜 季節が牡丹のトキを迎ええると この絵をみたくなり取り出し ひとり思いに耽った。
斎藤猪三夫 画
どこからか牡丹の噂が聞こえて来そうなシーズンとなった。 二階のモノ入れの中に眠っている斎藤猪三夫先生の絵を取り出して 寝室の傍に置き 贅沢な時間を過ごした 胡粉は素材が牡蠣殻から造られたものであるから不透明である。 だが先生の描かれた牡丹は花弁のひとひらひとひらが うすい透明に描かれている 胡粉を用いるのに胡粉と膠の用い方に秘密があるのだろう。 仏画などの昔のエカキが法衣を透明に描いるが 先生の胡粉を操る高度な技法を駆使しておられたのであろう。
先生が描いて居られる途上のことをわたしは知っている その日のことを思い起こしていた。
斎藤猪三夫先生は 明治43年広島県庄原のご出身で京都絵画専門学校 いまの京都芸術大学である 当時は京都絵専と云われた 日本画家で 最も得意な絵は牡丹であり 牡丹を描き続けて来られた。
わたくしは高校生の頃より先生に教えを受けて来た また家へもよくお伺いをし 写生を教えていただいた そればかりでなく薫陶よろしきを得ている そしてイマは長い時間がすぎていった。
先生画八十歳を越えられたころ
「僕は牡丹では徳岡神泉を超えた 牡丹では・・・」
と自信のある言葉であった。 八十歳を超えた先生の言葉は重い 先生の自信を窺うことが出来た。
旅立たれて幾星霜 季節が牡丹のトキを迎ええると この絵をみたくなり取り出し ひとり思いに耽った。
斎藤猪三夫 画
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます