下読み男子と投稿女子 -優しい空が見た、内気な海の話。 (ファミ通文庫) | |
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KADOKAWA/エンターブレイン |
「主人公がぐずぐずして前に進まなくて、話が硬直してしまった場合、俺ならヒロインを動かすね」
今回読んだのは野村美月先生の「下読み男子と投稿女子-優しい空が見た、内気な海の話。」です。
野村美月先生のシリーズとしては「文学少女」、「ヒカルが地球にいた頃」、「ドレスな僕がやんごとなき方々の家庭教師様な件」、「吸血鬼になった君は永遠の愛をはじめる」などを読んでいますが、読み切り(単行本)を読むのは初めてです。
「下読み」や「投稿」とタイトルにはあり、一瞬、文学少女の井上心葉みたいな才能ある小説家みたいな女子が出てきてそれを読む天野遠子ポジションの男子が出てくるような気だけはします(私はそうだと思っていました)が、実は違います。
新人賞などの1次選考の下読みのバイトをしている主人公が偶然、クラスメイトのヒロインが投稿した小説を見つけて読んでしまいます。それがきっかけでヒロインとライトノベルの創作を行う(主人公が手伝う)というストーリーになっています。
①ストーリーの概要(あらすじ?)
無類の本好きでライトノベル大好きな主人公「風谷青」には秘密があります。それは、出版社の新人賞などの投稿作品の下読み(1次選考)のバイトをしているということです。ゴールデンウィークに下読みのバイトを楽しんでいると、投稿作品の中に普段誰とも接することのない「氷の淑女」と呼ばれるクラスメイト「氷ノ宮氷雪」の名前を見つけます。
投稿作品と普段のクラスメイトのイメージがかけ離れすぎていてにわかには信じられない主人公の青は、同一人物かどうか気になり、確かめる最終手段としてヒロインの氷雪に対して下読みのバイトをしていること、作品を読んだことを告白。それを聞いたヒロインは戸惑い逃げ出すものの、次回までの投稿限定でライトノベルの創作方法を教えてほしいと青に告げます。
ライトノベルの創作を通じて、主人公とヒロインがお互いの気持ちに向き合い成長してゆくラブコメディです。
②感想(ネタバレあり)
・ラブコメとして
野村美月先生はいつも外さないなと思うくらい、相変わらず甘さマシマシの青春ラブコメディーに仕上がっているなと思います。もちろん?壁ドンも実装済みです(笑)
ヒロインの創作するライトノベルの登場人物の気持ちと自分たちの気持ちを重ねることで自分の気持ちに気が付いたり向き合ったりしていく構成になっています。暗くて冷たくて卑屈な自分を創作するライトノベルの主人公に投影するヒロインですが、こんな自分のことを好きになってくれる人なんかいないとネガティブ思考全開です。
一方で、誰にでも優しくて人気者の主人公はヒロインが創作するライトノベルではヒロイン側に投影さるわけなんですが、その主人公も「誰にでも優しくできる=自分にとっての特別がない」という悩みをもっています。その特別になるのがヒロインの氷雪であることは言うまでもないのですが。
一見ヒロインからみたら誰からも好かれる主人公を羨ましい完璧な人間に見えていても、実は主人公は主人公で一線を越える勇気がないという欠点を抱えています(この欠点が最後まで響きます)。
主人公は自分にないもの(一線を越える勇気や特別に思える気持ち)をヒロインから、ヒロインは自分にないもの(人と接する勇気や接し方)を主人公からそれぞれ得て成長していく過程が丁寧に描かれているので、2人を応援しながら読めました。
そして、主人公がぐだぐだして膠着状態になったら、その時はヒロインを動かしてみるとよく言ったもので、ヒロインの動かし方をよく知ってるなと思いました。
・創作・読み手として
この物語はラブコメとしても十分に面白いですが、創作とは何か、読み手とはどういうものなのか考える上でも面白い作品だなと思います。
新人賞の投稿で一次通過を目指すのですが、商業用に書き上げるのか、自分の書きたいものを書くべきなのかヒロインは悩みますが、そこはプロとして食べていくわけではないので主人公の勧めもあり本当に書きたいものを書くというコンセプトで創作をしていくということになりました。
おそらく、作家として食べていく方はこのジレンマに相当悩まされるはずですが、作家への登竜門である新人賞をとろうと夢見る方々もこういう壁にぶちあったてるのではないでしょうか。
そして、書きたいものが思い浮かばずに必死でひねり出す方法なんかも編み出しているのではなかろうかと推測できるほど、創作というものに対しての作者自身の体験談なども交えて描かれているのではなかろうかと思います(たとえば、50数える間に思いつくままに紙に単語を書いていったものが今書きたいものと決める方法なんかは作者自身、あるいは誰かがやっている方法なんだろうなと思いました)。
その他、創作した物語を世に出した時点でそれは、作者だけのものではなく他の人のものになるということも書かれていまず。その点についてヒロインが最後の最後で創作した作品の投稿に対してためらいを見せたりもします。そういえば、ビューティフルライフなどの数々の作品をドラマという形で世に出されている北川悦吏子先生もtwitterで、「作家が作品を世に出した時点でその作品は作者の手から離れてあなたのものになる」旨をつぶやかれていたと思います。
この時、どういうことなんだろうな?とつたない頭で私なりに考えてみたのですが、なるほど、作品に触れることによって読み手である私は作品のこの部分はこういうものだろうか?、こういうところが好きだ嫌いなど、ミスリードを含め解釈をし、様々な想像をします。これは、作者の意図しているものかもしれませんし、作者の意図をしていない部分かもしれません。どちらにしろ作品の真に伝えたいことは作者しか知らず、他人が触れた時点で作者の手から離れ読み手自身のものになっているということなのでしょう。
話は逸れましたが、ヒロインがなぜ最後投稿することをためらったのか。これは、私の想像ですが、創作した作品は主人公が手伝ってくれたというのものありますが、ヒロインの主人公への想いが詰まったものですし、自分自身と見つめ合い主人公からたくさんのことを学んだかけがえのない作品だからということなのでしょう。創作には世に出したい創作と自分のものにしておきたい創作があるんだなと思いました。
最後に、読み手としての姿勢みたいなものを考えさせていただいた作品でもあります。
主人公の青は自分にとっての特別がないのではないかと悩んでいた分、下読みで読む原稿というのはその作者にとっての特別に触れることだから何でも楽しく読めるようです。
ぶっとんだ設定、矛盾、回収されない伏線そんな商業用でもたまにあるようなもの以上に洗礼されていない石ころやダイヤの原石すべてが面白いと感じます。
この点について、主人公の叔父が羨ましいと思いつつ、彼が発した言葉に印象に残っているセリフがあります。
「他人の作品が、いかにつまらなかったかをドヤ顔で長弁舌するようになったらおしまいさ。あれは最高に醜悪だ」(P301)
この言葉は結構ぐさっと自分にくるものがありました。
私がライトノベルを読みだしたきっかけになったのが『灼眼のシャナ』(電撃文庫)で、一般文芸と呼ばれる世界以外にこんなにも面白い読み物があるのかと衝撃を受けたことを思い出します。その次に読んだのが『涼宮ハルヒの憂鬱』(角川スニーカー文庫)だったなと。その頃は本当にどんなライトノベルを読んでも面白かったし、一般文芸作品では考えられないギャグの連発、アニメやゲームのパロディ満載、とんでもない展開に、無条件の主人公ハーレム状態などなど普段読む本とは違い何もかもが新鮮だったなと思います。
それをいつからでしょうか、これは二番煎じだなとか、この人の書いているのは読みにくいだとか、恋愛関係が唐突過ぎて主人公ハーレム状態も意味が分からないだのを心に留めておくだけでなくなぜかレビューなどで語りだしたのは。
確かに、触れた作品に対して悪いところばかりしか目に見えず楽しめなくなるというのは読み手としては本当におしまいだなと思わされるセリフだったなと思います。
以上のようにいろいろと創作として、読み手として考えされる部分は大いにある作品だなと思います。
③まとめ
いろいろと長々とは書きましたが、ヒロインや主人公にきゅんとするラブコメとしても面白かったですし、テーマとなっているであろうライトノベルの創作や新人賞選考の舞台裏など興味のある部分も多く、楽しい時間を過ごせたなと思います。出会えてよかったなと思う作品です。
ライトノベルはちょっとと思う方も多いでしょうし、シリーズものは長すぎて読む時間が…という方もいらっしゃるでしょうし、様々だとは思いますが、一般文芸マンネリ化したなぁとか、甘々な青春ラブコメを読みたいなと思われた方などは読む作品がないなと思われたときに暇つぶしにでも読んでみるのも面白いかもしれません。