『汝、星の如く』の後日談を中心に描いた作品。
1年前に読んだ時は文章が綺麗で、綺麗な瀬戸内の島でなんでこんなにクセが強い人達が?と思っていたくらい、全員一癖も二癖ある登場人物達が中心で描かれる、まさに「星を編む」作品だなと思いました。
『汝、星の如く』ありきの作品ですので、本作品を読む前には『汝、星の如く』を読むことをオススメいたします。
私も内容を覚えている自信はあったのですが、読んでいて、あれ?ってなるくらい登場人物をいろいろ忘れていましたので。
さて、そんな本作品の登場人物達に1年ぶりくらいに触れてみた結果、「生きる」とは?どういうことなのかを考えさせられました。
この「生きる」には自分で生きるという意味と他者と生きるという意味が含まれています。
まず、「自分で生きる」とは、自分の生き方を決めて生きるということですが、これが結構難しいなと。
私も日々、いろんなことを選択していますし、選択してきました。
大学への進学、就職、転職、結婚など大きな選択から、今日のお昼に何を食べるかとか、今日は雨が降りそうだから傘を持っていこう些細なことまで。
大なり小なりの選択はするものの、その選択は、常に自分が嫌な気持ちになりたくないためだったり、極論、自分自身が幸せになりたいために行ってきた選択をしてきたんだろうなと思います。
しかし、生きる中でどこかで幸せになりたいと願っているものの、その幸せの正体は今でもわかりません。
ふとパートナーといて幸せだなと感じることもあるし、仕事でうまくいったらガッツポーズしたいなと思う時もあるし、ガリガリくんの当たりくじが出てやったーと思うことだってある。
逆に、パートナーとムカつくくらいの喧嘩したときはなんで結婚したんやろ?くらいに思うこともあるし、仕事で失敗したら会社やめたいくらいに思うことも。
そして、その時は思わなくてもあとから考えたら幸せだったんだなと思うこともあるし。
かなり話は逸れてますが、私も自分が傷つかないために、究極には幸せになるためにいろいろなことを選択して生きているよなぁと思いながら読みました。
結局、クセの強いと思っていた登場人物やその登場人物達を追い詰める人達みたいなことを、私も自分を守るためにやったりするなと。
そう思うと、人って実はわがままに生きてるんだよなと思いましたし、そのわがままな生き方が自分を保てているんだなと思いました。
そして、それぞれわがままに生きている私達が「自分以外の他人と一緒に生きている」という事実に気がつくと、本作品は器用に生きられない人たちを描いた物語というだけではなく、実は器用に生きたいけど、人って器用に生きられるものじゃないよね?実際器用に生きているように見える人も不器用に頑張って生きている人なんだよ?と教えてくれている、そんな作品なのかもなと思いました。
私も少しは星を編めたでしょうか?
※ブクログに掲載した感想を転載しております
『汝、星の如く』ありきの作品ではありますが、私はその後を描いた本作の『星を編む』の方が好きかな?とは思います。
『汝、星の如く』を読んだ時は確かに凄いなと思いながらも、どこか登場人物に入り込めないというか、主人公、ヒロインを含め、クセが強すぎじゃね?で終わってしまった感があるなと。
そして、本作品でようやく、いや、登場人物たちのクセが強いんじゃなくて、読者である私やその他多くの人が実はクセが強い、いや強くて当たり前だなと思えたので、ようやく登場人物たちを受け入れることができたなと思いました。
人間とはそこにある幸せに気が付けないのに幸せを探してしまうものなんだろうなと思えた本作品。
全然関係ないですが、急いでいるときに限って、家を出ていくときに鍵が見つからず、家探ししまくるんですが、最終的にしょうもないところから出てきますよね。
なんとなくですが、幸せってそういうものなんじゃないかなと思いました。