27歳?28歳くらいの頃染物工場で働いていた。
勿論、漫画で生計たてたい、思っていたけど、もうどうしようもなかった。
子供ができて、本来なら、新しい家族を前向きな気持ちで出発させなくてはいけないのにグレテイタ。
ひどい。アホやね。
まあ、いろいろあって、、新しい家族に入れてもらうには「仕事}をするのが条件だった。(つーか、当たり前)
もう何でもよかった。職種なんて。
「運転免許もない」「漫画家クズレ」
なんつーか。「世の中生きてくセンス」がまるでない。
運動神経ないのと同じで「世の中生きるセンスの才能がまるでない」
職安に行って。
墨田区にある染物工場に就職させていただいた。
現場は昭和9年生まれの社長&同い年のkさん。
それとなにもできない、素性もよくわからない若者の俺。
この3人が仕事していた。
祭り半纏を作るのが主な仕事だったように思う。
浅草の三社祭、浜松の凧揚げ祭りの前は忙しかったような気がする。
同僚のkさん(当時でも70代)から聞いた話では
僕が入る前の2年間で2人、従業員が死んでいる。
一人は社長の従弟?
アル中で死んだらしい。
もう一人は北海道から出てきた少し体に障害のある若者。(多分20歳足らず)
朝、出社しないのでおかみさんか誰かが彼の部屋に行ったら、亡くなってたみたい。(変死ってやつか?)
まあ、僕だけが感じてたものかもしれないが工場には『死」のにおいは充満していた。
同僚の70代のkさんとの関係も良好ではなかった。
お互い唯一の同僚なのに。
染物の布に染料縫って、干すんだけど、そのひもの結び方も教えてくれない。
「職人は目でおぼえろ?」いやいや、
料理人なら「上」をめざす。しかしこの工場の雰囲気ではそんなもの皆無だ。
ちゃんとやりましょうよ!
kさんに聞いた、
「ひもの結び方教えてください!仕事にならないんで!」
「ちっ!」
そんな感じ。まあ、教えてくれたと思うんすがね。
kさん的には「また変なのが入ってきたよ」って感じ。
昼休みの休憩室では
みのもんたの「おもいっきりテレビ」とか無言で二人で観てた。
kさんにはほぼほぼ「チンピラ」いやいや「この工場に来る奴なんて人間以下」って感じだった雰囲気。
kさんは明治大学卒業、
薬品会社に勤めてたけど、たぶん定年。息子さんが起こした交通事故の関係でこの工場で働くことになったみたい。
薬品関係の仕事だったから、「染料」を扱う感じで、この工場とモアサラリーマン時代に関係があったみたい。
そんで社長に頼み込んで、この工場で働いてた気がする。
さて!!
ここからが本番の話したかった話!
ある土曜日、染物工場の仕事が終わっても僕は控室にいた。午後1730
なぜなら、大学時代の友達に誘われ下北沢のライブハウスに行くため、仕事場の控室でビール缶2缶のみの時間調整だったのだ。
ここからはkさんとの会話
k「なんだお前帰らないのかよ?」
須田「はあ、これからコンサート危機に行こうかと思いまして」(ロックバンドとは言わない)
その時、kさんの顔色がすごく変わったのが記憶に残ってる。
k「そ!そうか、、!へ~!ははははは!音楽か~!へ~!」
急になんかいつもと違う表情、。びっくりした感じ。「は!」と表情変わった感じ
k「おお!俺も、若いころは浅草によく寄席にいったな!へ~!そうなのかへ~!そうなのか~、へ~!」
という言葉を残しかえっていったよ。
なんか、その時、
俺を見る表情が変わったよ。
簡単に言うと
「こいつ、人間だったんだ、心があったんだ、へ~!ここ(この工場)に来る奴は{文化」なんて、ないやつだと思ってたのに、へ~!!びっくり!こいつ人間のカスだと思ってたけど、、、へ~!こんな工場に来る奴でも心のある奴いるんだ。。」
つーか、カモさん、おれ、ちょっと前は漫画とか描いてたんですよ、、、。
たぶん興味ないですがね!
その日、観に行ったのがギターウルフだった。
メインが外国人バンド(多分有名な感じ)
セミがギターウルフ、
かっこよかったね!!
せいじさん!
下北のシェルターだったかな?
なんか、最後「が~!!」ってなって、、フロア(客がいるど真ん中)に高いとこら他飛び降りて着地してた。(ような記憶。)
生命の爆発!
ロックンロール!!
>>
んで、
お前は何を言いたいんだ?
ってとこだけど。
「死の世界に片足突っ込みながら、やっぱロックンロールは、、!!!」
って部分と。
染物工場時代のkさんの思い出をちょっと書きたかったかな>
>>>
超久々のブログ更新!!!
勿論、漫画で生計たてたい、思っていたけど、もうどうしようもなかった。
子供ができて、本来なら、新しい家族を前向きな気持ちで出発させなくてはいけないのにグレテイタ。
ひどい。アホやね。
まあ、いろいろあって、、新しい家族に入れてもらうには「仕事}をするのが条件だった。(つーか、当たり前)
もう何でもよかった。職種なんて。
「運転免許もない」「漫画家クズレ」
なんつーか。「世の中生きてくセンス」がまるでない。
運動神経ないのと同じで「世の中生きるセンスの才能がまるでない」
職安に行って。
墨田区にある染物工場に就職させていただいた。
現場は昭和9年生まれの社長&同い年のkさん。
それとなにもできない、素性もよくわからない若者の俺。
この3人が仕事していた。
祭り半纏を作るのが主な仕事だったように思う。
浅草の三社祭、浜松の凧揚げ祭りの前は忙しかったような気がする。
同僚のkさん(当時でも70代)から聞いた話では
僕が入る前の2年間で2人、従業員が死んでいる。
一人は社長の従弟?
アル中で死んだらしい。
もう一人は北海道から出てきた少し体に障害のある若者。(多分20歳足らず)
朝、出社しないのでおかみさんか誰かが彼の部屋に行ったら、亡くなってたみたい。(変死ってやつか?)
まあ、僕だけが感じてたものかもしれないが工場には『死」のにおいは充満していた。
同僚の70代のkさんとの関係も良好ではなかった。
お互い唯一の同僚なのに。
染物の布に染料縫って、干すんだけど、そのひもの結び方も教えてくれない。
「職人は目でおぼえろ?」いやいや、
料理人なら「上」をめざす。しかしこの工場の雰囲気ではそんなもの皆無だ。
ちゃんとやりましょうよ!
kさんに聞いた、
「ひもの結び方教えてください!仕事にならないんで!」
「ちっ!」
そんな感じ。まあ、教えてくれたと思うんすがね。
kさん的には「また変なのが入ってきたよ」って感じ。
昼休みの休憩室では
みのもんたの「おもいっきりテレビ」とか無言で二人で観てた。
kさんにはほぼほぼ「チンピラ」いやいや「この工場に来る奴なんて人間以下」って感じだった雰囲気。
kさんは明治大学卒業、
薬品会社に勤めてたけど、たぶん定年。息子さんが起こした交通事故の関係でこの工場で働くことになったみたい。
薬品関係の仕事だったから、「染料」を扱う感じで、この工場とモアサラリーマン時代に関係があったみたい。
そんで社長に頼み込んで、この工場で働いてた気がする。
さて!!
ここからが本番の話したかった話!
ある土曜日、染物工場の仕事が終わっても僕は控室にいた。午後1730
なぜなら、大学時代の友達に誘われ下北沢のライブハウスに行くため、仕事場の控室でビール缶2缶のみの時間調整だったのだ。
ここからはkさんとの会話
k「なんだお前帰らないのかよ?」
須田「はあ、これからコンサート危機に行こうかと思いまして」(ロックバンドとは言わない)
その時、kさんの顔色がすごく変わったのが記憶に残ってる。
k「そ!そうか、、!へ~!ははははは!音楽か~!へ~!」
急になんかいつもと違う表情、。びっくりした感じ。「は!」と表情変わった感じ
k「おお!俺も、若いころは浅草によく寄席にいったな!へ~!そうなのかへ~!そうなのか~、へ~!」
という言葉を残しかえっていったよ。
なんか、その時、
俺を見る表情が変わったよ。
簡単に言うと
「こいつ、人間だったんだ、心があったんだ、へ~!ここ(この工場)に来る奴は{文化」なんて、ないやつだと思ってたのに、へ~!!びっくり!こいつ人間のカスだと思ってたけど、、、へ~!こんな工場に来る奴でも心のある奴いるんだ。。」
つーか、カモさん、おれ、ちょっと前は漫画とか描いてたんですよ、、、。
たぶん興味ないですがね!
その日、観に行ったのがギターウルフだった。
メインが外国人バンド(多分有名な感じ)
セミがギターウルフ、
かっこよかったね!!
せいじさん!
下北のシェルターだったかな?
なんか、最後「が~!!」ってなって、、フロア(客がいるど真ん中)に高いとこら他飛び降りて着地してた。(ような記憶。)
生命の爆発!
ロックンロール!!
>>
んで、
お前は何を言いたいんだ?
ってとこだけど。
「死の世界に片足突っ込みながら、やっぱロックンロールは、、!!!」
って部分と。
染物工場時代のkさんの思い出をちょっと書きたかったかな>
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超久々のブログ更新!!!